第15話 白い獣と黒い獣
話を聞いてくれ!ええい忌々しい体め!体の自由が利かず、まるで別人の視点を大画面で見ているようだった。
男の腹から出て来た白い獣に剣を弾かれ後退する。その隙に男が獣と融合していく。白い獣と黒い獣が吼える。魔力の渦が波となってぶつかり合う。互いに一歩も退かない。
体に染み着いた動作だな、と他人事のように見ながら、黒い獣の体が剣を構え直し、吼えながら突進した。が、直線的な動きは読まれやすい。白い獣は中段の突きから振り上げられる剣の動きを完全に予測しており、軽く身を捻るだけの動作で避けて見せた。何て滑らかな動き、まるで水のようだ。
「【契約】に失敗して、その程度の力で此処へ来たのか。無駄死にだな」
切り返したこちらの剣戟をくるりと踊るように避け、回った足が蹴りを放つ。剣で受けたが、鋼の折れる耳障りな音が響いた。力を受け流す事は出来ず、黒い獣の体が、私の体が吹っ飛んだ。壁に激突し、体中に響きわたる痛みの衝撃。体は動かせないのに痛覚だけは感じるのか!いっそ痛みも感じない方が良かった。
ガラガラと装飾品が落ち、その傍らに膝を着いた。ズキズキと体中が痛い。訓練などの痛みとは全然違う。実戦の痛み、命に関わる痛みだ。
「討つ、討つ……」
それでもこの体はまだ戦う事を望んだ。これが私の中にあった戦闘本能だと言われるとゾッとする程の闘志だ。
床に落ちた装飾品の剣を獣の体が両手に一振りずつ取る。両手に騎士剣を持って扱える辺りが【契約】の何たるかを物語っている。両手に剣を構えた私の体が床から飛び立つ。右手の剣を振り上げ、やはり真正面から男の脳天目掛けて振り下ろす。やはりそれも避けられるかと思った瞬間、私の体は右手の剣を振り下ろした反動をもってそのまま回転し、左手に握った剣が男の長い毛を一束切り裂いた。初めて男に一撃が通った。そう思った。
「ほう」
回転の勢いに任せ、床に転がるように膝を付いた黒い獣に、男の丸太のような腕が拳を繰り出す。咄嗟に転がってそれを避けると白い獣の拳が床を粉々に砕いた。【契約】の力を持ったこの体でも、あの拳は食らいたくないものだ。
「フッ……フゥーッ!」
言葉を忘れた黒い獣が文字通り獣のように呻く。体が重く感じる。【契約】の力を有しているとは言え、私の体は一介の騎士に過ぎない。あの距離の飛行と、この戦闘で随分疲弊していて間違いないのだ。もう戦いたくない。私はただ貴殿と話がしたいんだ。
「討つ打つ撃つ伐つ鬱討つ打つ撃つ伐つ鬱鬱鬱!」
懇願の言葉は、ただ敵を討つと言う歪んだ言葉に成り果てる。ただ貴殿の言う正義とは何なのか、私の言う正義とは何であるのか。ただその会話をしたい。私が望むのは貴殿との対話だ。
剣を握る腕がメキメキと音を立てて変化していく。黒い獣の腕が膨れ上がって、筋肉が急激に膨張している。はち切れそうな腕で剣を握り、獣が何度目かの攻撃に出た。翼を羽ばたかせ床を蹴る。繰り返される剣戟の太刀筋はもう把握されているはずだ。そんな一直線に剣を振るんじゃない。真正面からではあの男に勝てない。せめてもっと別の角度から振り下ろすんだ、さっきやったみたいに!振り下ろした剣戟が男の手によって弾かれた。ふん、と男が浮かべた余裕の笑みが凍りついた。
弾かれた右の剣の反動を殺さず、円を描くように右腕を薙ぎ付け、男の鼻先に剣先が掠った。どうして、と疑問を抱くより先に目の前で繰り広げられる攻防に息を飲んだ。黒い獣が繰り出す一撃を白い獣が弾くが、弾いた先から新たな剣戟となって繰り出される。それを防ごうとすれば、反対側の手が新たな剣戟を繰り出す。男は完全に防戦に追い込まれていた。
こんな風にどうして突然、と思って先ほど自分がどう剣を振れば良いのか、ほんの一瞬考えた事に思い至る。まさか、僕の考えを読んだ?獣が学習を始めている。しかしそれは恐怖でしかなかった。自分の意識までも読まれ、蝕まれてしまう恐怖。
戦いたい訳ではない。私は対話を望んでいる!
やめてくれ!
叫ぶ声は声にならず、強く強く念じる言葉は剣戟となって白い獣に襲い掛かる。剣戟は一撃ごとにその速度を上げ、今では男の拳と交互に攻めあっている。右の一撃を防がれれば、すぐさま左の剣戟が横から繰り出され、それを止めれば右腕が再び剣戟を放つ。放たれる剣圧が獣の体を切り裂き、血が飛び散り始める。疲れを忘れた私たちの攻防は、黒い獣の咆哮でついに形勢逆転した。
「うおぉぉお!」
白い獣が恐ろしい大音量で吼えた。同時に剣戟を諸共せず白き獣の拳が、黒い獣の腹にめり込んだ。不意の一撃に視界が真っ白になる。痛い!痛いなんてもんじゃない!息が出来ない!腹に大穴が開かなかった『契約』の力に感謝せざるを得ない。吹き飛んだ体が床に叩きつけられて更に体が痛む。意識が飛んでいかないところは『契約』の力を恨むしかない。
コチラのダメージも相当だが、相手のダメージも大きい。剣戟を無視して繰り出された右の腕は剣によって切り裂かれ、上げる事も出来ないのか、だらりと床に向かって下ろされている。
「……よく俺の動きを読んだ。たった数分でこれなのだ、恐ろしい人材が居たものだ」
血で赤く染まった白い獣が憎憎しげに言葉を搾り出す。内臓にダメージが入っているはずのコチラも何とか起き上がり、手負いの黒い獣は声を抑えて唸りを上げる。
次の一撃を繰り出させるのか?もし次の一撃があるとすればそれで決着が付くだろう。私が、黒い獣が死ぬか、彼が、白い獣が死ぬか。
駄目だ。そのどちらも望んだ結末ではない!
何度目か分からない、止めてくれ、と声にならない声で叫んだ瞬間だった。
『兄さん、もう止めて!』
まるで神の啓示が降りたような、神々しさすら感じる透き通った声が響いた。
「口を出すんじゃない!」
『駄目だよ、兄さん!』
「コイツを排除すれば、終わる」
『違うんだ!兄さん!』
涼しげな声が大きなホール内に、いいや、私と、彼の耳の奥に響いているのだ。彼を兄と呼ぶ、少年の声がする。
『彼を殺してはいけない!彼は敵じゃないんだよ!』
「何だと?しかしヤツの声はもう喰われているんだぞ?」
『まだ彼は……』
視界が揺れた。風景がぶれてその移動速度に目が追いつかない。ただ私は懇親の力で、待て、と全身に命じた。目の前の風景を捉えた時、真っ赤な血液が飛び散る様がゆっくりと流れていった。
弟の声に耳を傾けていた白い獣の脇腹を、黒い獣の剣が抉っていた。
「ぐっ……ごはッ」
ごほりと獣が血を吐き、しかし倒れる事無くその左腕が懇親の力で振り下ろされる。再び視界が激しく揺れ、脳天に一撃を喰らった私はついにその意識を手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます