第13話 契約の鍵

『正義とは力よ。力あるものが正義よ!』

「……違うっ」

『違わない!お子だって力を欲している!誰かを助ける為の力、家族を守る力、国王を守る力、国を守る力が欲しいはずよ』

「……守る、ちから?」

『そうよ、守る力をくれてやるわ』


 おんなの声以外の音が遠ざかって消える。よく分からない。力を、強くなりたいと、力が欲しいと、私は望んでいたのか。


『お子の正義を貫きなさい。それがお子の正義。お子の力。アタシがくれてやるわ』


 契約を。アタシを生かすために、お子が力を得る為に。



 さあ、契約を。



「……【契約】を」



 光が、私とおんなを包んだ。



 気が付くと、私は教会の祭壇の前に立っていた。


 突き上げられる衝動に身を任せると、私の腹に扉が開いた。その先に漆黒の闇がある事を私は知っている。


 私の右手が、鍵となってあるべき場所から離れて浮いている。あれが【契約】の力を解き放つために捧げられた代償。私の力の象徴である、剣を握る為の右手。


 おんなが笑っている。【契約】は成されたと笑っている。おんなが、光の清流となって私の腹の中に流れ込んで来る。


 力が、溢れる。筋肉を制御していた神経の一本一本が研ぎ澄まされていく。体中の血液の流れすらも感じる。体が軽い。指先。毛先の全てに生命力が溢れてくる。


 知識が、流れ込んでくる。野生の、世界の理たる原初の知識が私の記憶領域に流れ込んで、刻み込まれていく。私が上書きされていく。アルブレヒトと言う人格を要したまま、私に万物の知識が書き込まれていく。


 おんな、鳥獣種、ハーピー族の雌。名をフルーストリ。南の森に住んでいたごく普通のハーピーだった。突然魔法の罠で捕らえられ、打ちのめされ、死に瀕してヒトを恨み、呪った。しかし命はギリギリのところで繋ぎ止められ、この教会へと連れてこられた。そして大臣が言った。


『生きたければ、後でここに来る騎士と【契約】をするんだな。そうすればお前は生き延びられるぞ。せいぜい頑張って騎士を丸め込むんだな』


 彼女も所詮理不尽に捕らえられ、騙されたと言う事か。


 光となったフルーストリが私の中に全て流れ込み、扉が軋む音がしてゆっくりとそれは閉まった。鍵が扉に施錠して、私の右手へと戻って来ると、辺りを照らしていた光がすっと消えていった。


 これが【契約】の力か。


 なるほど。人々が恐れ、時の権力者が禁忌と定めたのは頷ける。これだけの力や知識を得れば、手綱を離れた時に驚異以外の何物にもならない。


 清々しい程落ち着いている。過ぎてしまった事を嘆いたり、悔やむ事もない。私は無知であったし、無力であった。知識と力を手にしたところで私が変わる事もないが、恐らく私はあらがう事を諦めてしまうだろう。彼女が生き長らえた事で、私にも同じだけの安堵と充足が流れ込んで来ている。それだけでぼんやりとして何事もどうでもよく思えて来る。ああ、違うんだそうじゃない。あらがわなくては。私は力を正しく使うために、あらがわなくては。


 二つの感情、考えが目まぐるしく行き交う。彼女の思考が私に干渉してくる。自我を保つ事で精一杯だ。


 慌ただしく剣を構える教会兵団に、何やら喚き散らしている大臣と分隊長。彼らに言われるままに行動すれば、間違いなくあの城で流血騒ぎを起こす事になるし、これだけの力を制御したとしても、城に被害を出さずに戦う事が出来るだろうか。


「せ、成功したのか?」

「おい、お前!け、【契約】は完了したんだな?」

「何とか言え、テオドシウス!」

「【契約】は、完了しました……ですが……」


 お前等に貸す力はない、と言いたいが、言葉が喉の奥に詰まる。彼女が干渉してくる。


「城の、獣を……討っ……違う、私は……」


 清々しいくらい落ち着いていた頭の中が、突然乱れ始める。やめろ、私は、私は【契約】の力など使わない。私はお前を封じたはずだ。


 違う。封じたのではない。中に入れてしまった。内側から操られているんだ!


 私は。私は平和的解決を。団長殿と共に、あの男を討つ。城へ往く。男と対峙せねば。男を討つのだ。男に問いたい。


 私の正義、私の力。私の。


 頭の中が破裂してしまいそうだ。顔を覆った両手に違和感を覚える。右手がない。私の右手が、右掌がなかった。


 空気が震える音がする。鍵が、鍵が浮いていた。


 私の右手が、鍵となって浮いていた。


 【契約】は失敗に終わったのか?


 相反する彼女と私の意志を表すように、白かった鍵は徐々にその色を黒く染め、そしてそれに引き寄せられるように私の腹に扉が現れた。


『お子の心は強すぎた、と言う事かね』


 彼女の声が耳の奥に響く。呆れたような声。落胆したような声。いや、これは……悔いているのか?


『こんなお子に、ここまでの魂が宿っているなんて……つくづくアタシはツいてなかった』


 彼女の溜息が聞こえた途端、私の腹に鍵が突き刺さった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る