第12話 瀕死の獣

「さあ、こっちへ来るんだ」


 大臣の一言で、鉄仮面たちは左右に割れて道を作った。その先に居る者を見て、私は愕然とした。悪魔の所行か、悪鬼のなせる業以外に、こんな事が起こり得るはずがない。


 そこに居たのは、血塗れで横たわる鳥獣種の雌だった。足は麻袋で覆われ、ロープで縛り付けられ、床に描かれた魔法陣で入念に動きを封じてある。微かに響く呼吸音で、それがまだ生きている事が分かる。


「これは……何故、何故です!何故鳥獣種をこんな状態で放置しているのですか!」


 獣たちは神に近い原種の生物と考えられている。始祖の竜、始まりの竜とも呼ばれる我々の神の側近である獣たちは、不用意に手を出してはならない存在だ。時折病に犯され理性を失った猛獣を討伐する事はあれど、こんな風に痛めつけたりする事など絶対にしてはいけない。騎士となる者、戦士となる者、剣や武器を手にする者は一番始めに叩き込まれる事なのに!


 何故教会兵団ともあろう戦士たちが、その最も尊い教えを破ったのか!よく見れば兵団の外套の下に血溜まりが出来ている。この鳥獣種を捕らえて来た証拠だ。


「何故です!何故このような事を」

「逆賊を打ち倒し、城を取り返す力を得る為に決まっているだろうが!」

「早く貴様はこの獣と【契約】をすればよいのだ!」


 この言葉を繰り返すのは何度目だろうか。何を言っているんだこの人たちは!


「断る!禁忌の力と知って【契約】に身を委ねる事など、この騎士アルブレヒト、断じてするものか!」

「きっさま!それでは私の出世に響くのだ!さっさと行けっ!」

「断ると言った!騎士道に反する事など出来るか!」

『何て凛としたお子だろうね』


 ぶわん、と強烈なプレッシャーを感じた。死に瀕して尚強く語りかける声。それが私の耳の奥だけに響く声であると気付くのに数秒。大臣殿と分隊長殿に向けていた視線を、兵団の作った道の先へ移す。


 爛々と光る緑色の瞳に射抜かれた。その瞳が生にしがみつくように私を捕らえて離さない。


『アタシは生きたい。こんなゲス共にやられて死ぬなんてまっぴら。ねえ、力を貸しておくれよ。このゲス共を葬り去る力をくれてやるから、アタシと一緒にコイツらを殺してしまいましょうよ』


「やめろ!私は無益な殺生など望まない!」


 突然叫んだ私に、その場にいた全員が息を呑んだ。


「私は力などいらない!」

『あら、お子だってコイツらが憎いでしょう?』

「憎いかどうかで剣を取るのは、騎士道に反する!」

『ああ、良いねぇそう言う今時珍しい凛とした心。それはそれでアタシは興味津々だ。力を望まなくても、お子の心の中にはしっかり真っ黒な部分があるじゃないか』


 不気味に目を見開いたまま、鳥獣種はヒヒヒ、と笑った。その反応に一同が心臓を落とした事だろう。大臣の一人などは慌てて扉の近くまで走って逃げてしまった。


 笑ったおんなの言葉は私の耳の奥に続く。私の心が全て読まれている!


『正義だの悪だの、何だい小難しい事で頭を使うとは、騎士様とやらは本当に偉いねぇ。ならその答えをアタシが教授して差し上げるってモノさ』

「やめろ!これは私の問題だ!勝手に口を出すな!」

『お宅らヒトが言うところの正義だ悪だってのはね、アタシらの間じゃあ至極簡単さ。力のあるモノが正義、負けたモノが悪って寸法さ。良いだろう、簡単でさぁ』


 つまりはこうさ、とおんなは続ける。


 縄張りを侵したモノは縄張りの長によって処罰される。だが処罰する長を打ち倒せば、次の長は縄張りを侵した侵入者だ。勝てば新たな正義に、負ければ法を犯した悪になるだけの事。自然の摂理は至極簡単だ。


 ヒトはどうだ。ヒトもその自然の摂理に則れば、力を持ち、勝利したモノが正義になれるのだ。力なき敗者は悪になる。


『なぁお子よ、お前はどちらになりたいのだね』

「私は、私はそんな理性のない結論を出したい訳ではない!」

『おぉ、おぉお!何という魂の輝き。何て凛としたお子でしょう。ほしい、欲しいぞ、その魂の輝き!』


 ギャアァァア!と突如鳴き、暴れ出した鳥獣種に一同が再びざわめく。


「貴様にくれてやるものなどない!」

『だが、アタシが奪うモノならたんまりとある!』


 拘束していたロープを引きちぎり、折れているであろう翼を広げておんなは羽ばたいた。素早く剣を構えた鉄仮面、動揺する分隊長殿、混乱して泣き出したり狼狽える大臣たちの声が遠ざかる。


『ほら【契約】とか言うんだろう?アタシが力を貸してあげよう。その男と話をするのに力がいるだろう?城に張られた魔法陣を破壊する力をくれてやるよ。国王を助ける力をくれてやるよ。お子を英雄にしてやるよ』

「違う、違うんだ!私が望んでいるのはそんなんじゃない!」


 ギラリと緑色の瞳がよりいっそう輝いた。


『違わない!違わないさ。お子は国王を助けたい、国を救いたい。城を開放したい、平和な時を乱した男に問い正したい!』


 ぎゅっと心臓が竦んだ。違わない。確かに違わない。


 国王に誓いを立てた騎士として、国王と王妃を救いたい。その為に城へ入るために魔法を打ち破らなければ行けない。男の操る魔法を物ともせず、直接対峙しなければならない。問いたださなければならない。


 正義とは何だったのか。

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