第1話 その6
アカツキで調べた住所によると、三澤の家は路地と建物が入り組んだ余り治安のよろしくない街区にあった。もし鈴蘭一人でのこのこと踏み込んだりしたら、よくて迷子、下手をすれば攫われてもおかしくなさそうな雰囲気がある。
だがさすがに蓮児はこの手の道行きに慣れていた。袋小路にぶつかったり、違う角を曲がって遠回りすることも幾度かありはしたものの、ほぼ想定通りの時間で目的地を探し当てることができた。
築年数が鈴蘭より古いのは確実な、壁の薄汚れた木造二階建て集合住宅だった。蓮児は一〇三号室の扉を叩いた。薄い合板がやばい感じにみしりと軋む。もし蓮児がその気なら一撃でぶち破れるのは間違いない。
暫しの静寂ののち、やがて小動物が巣穴から首を覗かせようとするみたいに隙間が開いた。蓮児はすかさず指を掛けて広げにかかる。
「強制執行代理所の者だ。三澤勝也だな」
太い声で問い質す。相手は慌てて扉を閉め引きこもろうと試みた。
「させるか、たわけが」
だが蓮児は軽々と阻止すると、逆にいっぱいに開け放った。同時にジャージ姿の少年が玄関の外に現れる。
「違う! 俺は何もやってない! 本当だ!」
ほとんど泣きそうな調子で弁解する少年を、蓮児は凝然と見下ろした。
「本当に後ろ暗いことがないなら、なぜそんなにびくついている。俺に知られたら困ることがあるんだろうが。おとなしく白状しろよ。鈴蘭をたぶらかした罪は重いぞ」
少年は一瞬沈黙した。上目遣いで巨漢の様子を窺う。
「えーと、一体なんのことだか」
「とぼけるつもりか。いい度胸だ。もっともすぐ後悔することになるだろうがな」
「もう、お兄ちゃんはちょっと黙ってて。三澤が混乱してるじゃない」
鈴蘭は蓮児の背中を引っ張って下がらせ、自分の方が前に出た。三澤は目を瞠る。
「え、お前、氷川か? どうして俺のうちに……ってか、お兄ちゃん?」
理解不能といった風情で兄妹を見比べる。鈴蘭は余計な説明はしなかった。真っ直ぐに核心へと切り込む。
「教えて三澤くん。和泉先生に乱暴しようとしたって、どういうこと?」
「どうって、それは、和泉のやつが急に俺に絡んできやがって」
三澤は説明しかけた途中で口を噤んだ。ふてくされたように顔を横に向ける。
「お前には関係ない。大体なんだってこんなところまで来てるんだよ。まじでうざいんだけど。帰れよ」
「なんだとこら小僧」
「ひっ」
「お兄ちゃん、いい加減にしてったら! 怒るよ?」
青筋を立て三澤の首根っこをつかまえようとした蓮児を、鈴蘭は叱りつける。
「ごめんね三澤。今日のお兄ちゃん、ちょっとおかしいの。だけど見た目はともかく、本当は優しいから。怖がらなくても大丈夫」
「べ、べべ別に怖がってなんかいねーし」
言葉とは裏腹に、蓮児から距離を置きたがっているのは丸分りだ。鈴蘭は蓮児の巨体を両手で押して追い払った。蓮児は不本意極まりなしといった面持ちがら、妹には逆らわない。
鈴蘭は一仕事終えたといったように息を吐き、三澤の前に戻った。なんとなく頭のリボンの位置を直してから、背の高い同級生を見上げて口を開く。
「今からわたしの本当の気持ちを伝えたいの。聞いてくれる?」
三澤は返事をしなかった。だが嫌だとも言わない。鈴蘭は回れ右しそうになる足を手で掴み締め、告白をした。
「たぶんわたし、あなたのことが好きじゃない」
「なっ……」
「三澤は自分勝手だし、ちゃんと話そうとしてくれないし、普通に意地が悪いし。友達として、かなり駄目だと思う」
三澤が怯んだのはほんのわずかの間だった。いつも以上に怒った目つきで鈴蘭へ言い募る。
「ふざけんなよ。こっちだってな、お前みたいな可愛い子ぶってる奴のことなんか全然好きじゃないんだ。今だってうちに来られてメーワクしてんだ。分ってんのか?」
「うん、知ってる。だけど信じる」
鈴蘭は真っ直ぐに三澤を見つめた。荒っぽく揺れていた相手の瞳に戸惑いの影が落ちる。鈴蘭は少しだけ足を進めて、二人の間の距離を縮める。
「三澤が自分は何も悪いことはしてないって、信じてほしいっていうなら、信じる。だから、ちゃんと全部話してほしい。わたしは本当のことだと思って聞く。それでやっぱり三澤は悪くないって分ったら、お兄ちゃんとか代理所の人に全力でお願いする。あなたが捕まらないようにしてもらう」
「なんで……お前、氷川は俺のことが嫌いなんだろ。だったら放っとけばいいのに。どうして俺なんかに構うんだよ」
「ただのお返しだよ」
きのうは転んだ鈴蘭に三澤が手を差し伸べてくれたから。
今日は鈴蘭が手を差し出そうと思う。
そもそもの原因が三澤にあるうえに、結局助けてくれなかったわけだから、あんまり釣り合いが取れていないけど。
ますます不思議そうな顔つきをする三澤に、鈴蘭は意地悪そうに言ってやった。
「いいでしょ。三澤が勝手だから、わたしも勝手にするんだよ」
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