文芸部員、浅井家の事情
1 土曜日、夜
ラインとはいきなりなことだ。
それに相手の都合を全く考えてない。
つまりは、浅井からラインが来た。
『明日、お会いしたいです』
トークには、その一文だけが表示されていた。
明日は、日曜日。一般的なごく普通な家庭では、一家団欒の日で予定なんて空きにくい日なのだが、幸い俺の家庭には一家で団欒するほどの団結力はもうないので空いている。
それでも日曜日に外出するのは嫌だから、俺の家の近辺の店を指定した。
『空いているが、待ち合わせは波多駅でいいか?』
『いいですよ。でも、波多は通りすぎるだけですので土地勘はないですよ?』
『そこまで迷路なわけじゃないが、駅の近くに午後ノ野麦って言う喫茶店があったはずだ。そこならゆっくりできる』
午後ノ野麦は、平日には中学生や高校生が勉強で集まる場所だ。
喫茶店の割には、学生に優しい値段なのが売りなのだが店主は、コーヒーも紅茶も拘りがないらしく美味しくないし、そもそもコーヒーも業務用で引き寄せられたインスタントで、それならば紅茶もリプトンのパックの紅茶を出していると言う噂だ。もちろん噂は、姉から聞いた。
それが安さの裏側なんだと結論に至った。
そんな良心的なお店に明日、行くことになった。
2 日曜日、午後ノ……
なんだろうか……休日に学校の友達に会うのは照れ臭いと思う。普段から会っている筈なのに自分でもわかってしまうほどに照れてしまう。
家から下り坂で痺れた足を降りつつ、波多駅という無人駅で浅井を待っていた。
約束の時間は午後1時、時間までは後5分ほどだが……実際は、後1分程度かもうすぐ、電車が到着する。
今日は、振り回されない。今日は、振り回されない。今日は、振り回されない。
呪文を唱えたところで二両の電車が到着した。
降車する人はいなくて、乗車する人だけだった。
発車するまで待って見るが結局、誰一人として降りなかった。
乗り過ごしたのか?
そう思った矢先だった。
「多田さん!」
後ろを振り向くと、ロードバイクに乗った浅井がいた。
学校とは違い、カーディガンではなく私服だ。
私服にしてもロードバイクとは不釣り合いな格好だ。
「あ、ああ、こんにちは。カーディガンじゃないんだな」
「はい、こんにちは。カーディガンはまあ、制服みたいなものですから。では、案内よろしくお願いします」
軽い挨拶を終えて、午後ノ野麦に向かった。
午後ノ野麦は、駅から5分くらいのとこにある。波多と言う冒頭に『寂れた』と言う言葉が似合うほどに寂れた町で、目立つ西洋風の外見のお店はよくも悪くも目立つ。それが『午後ノ野麦』だ。
ちなみに地元民は、午後ノ野麦は言いにくいらしく野麦と称されている。
いやー、今日の野麦は人が少ないなー。日曜日だからみんな下の街に行ってるよ。
と言う会話をしても波多の人間は話が通じる。
「よかった、人が少ない」
浅井が小さく呟いた。人が多かったら不味いのか?
少し考えるが、この状況で察しがついた。
休日にわざわざ呼び出す必要を考えると、あまり人に知られたくないのか。
「コーヒー一つ」
浅井が頼む。そうだ、浅井はここのお店は本格的じゃないこと知らないんだ。
「リプトン一つ」
コーヒーに口煩い人には、ここのお店はオススメしない。なんせインスタントだし、お湯に溶かして出されるだけだからオススメしない。
ここのお店の通な楽しみ方は、市販でも販売されてるリプトンを頼むことだ。ここのお店のリプトンは年がら年中、変わらない味を楽しめるのだ。
「ここのお店、初めて……。美味しそうなコーヒーが飲めそうです」
浅井の笑顔で言う言葉に苦笑いを浮かべる。
「それより、日曜日に呼び出した理由はなに?」
コーヒーの話題を逸らすために、単刀直入に聞いた。
浅井は、深呼吸をし息を整えた。
「多田さん。春先に私が言ったことを覚えてますか? それに関して、もう一度お願いをしたいんです」
――浅井と一緒に物語を創る。
脳裏に浮かんだのがそのフレーズだ。
それを聞いて、ため息がこぼれる。
「部員も揃った。活動も定まった。それでも、お前は俺に学園ミステリーをやれと言いたいのか?」
ここで浅井がうん。頷けば、俺は学園ミステリーなんかやりたくないと言うはずだった。
しかし浅井の首は、横に降った。
「ごめんなさい。学園ミステリーは嘘です。忘れてください。今回、私が改めてお願いしたいのは、執筆の方です。私と一緒に物語を書いてくれませんか?」
首をかしげた。
「今度の文化祭、文芸部からは本格的な短編集の小説を出します。その時に4人で2話ずつ計8話の話を書き下ろすことになると思います。
それで、私たちは後、1話ほど執筆のできる余裕があると思うんです。そこで、私と多田さんが一緒に小説を書くんです」
「……無理だ。第一、俺にはやる気がない。それに文芸部の活動自体ノリ気じゃない。そんな、どうしよもない俺より、やる気のある人もいるだろ? 園田さんとか。園田さんに頼めば? きっといい作品が出来上がる」
少し言い方に棘があるが……仕方ない。これは、俺はやってはいけないことだ。
店員がコーヒーとリプトンをコトンコトンと置いた。リプトンに手を伸ばし、一口飲んだ。
浅井は、俯き動かなかった。
「……ッ、そんなの! 私は、多田さんとじゃなきゃダメ!」
いきなり浅井は、声を荒げだした。
「私は多田さんと書きたいの。あの時、文芸部の過去も推理した多田さんだから、私は多田さんとならって思ったから一緒に小説を書きたいの」
浅井の震えた声で本気で言っているのだと確信した。
そして確信した上で、
「どうしてお前は、俺と小説を書くことに拘る? お前にとって俺は? 文芸作品ってなんだ?」
そう聞いた。答え方次第では、協力もするし逆に文芸部の退部だって考えていた。
浅井は、口を震えさせていた。何かを唱えているようにも見えた。
「わかりました。実は、そのことも話そうと思っていたんです」
浅井は先程とは別人のように、いつもの敬語で優しい声で言った。
少し長話ですよと付け加え、手元のコーヒーを飲んだ。
小声で、美味しくないと呟きが聞こえた。ごもっとも。
3 浅井家、長話
「先程は、取り乱してしまって失礼しました。それで、ですね。
私が文芸に拘ることになったとこから話します。
本当は順を追ってこれを話すつもりでしたが、少し昔のことを考えていて気を詰めすぎて先程は……。
そんなことより、本題です。
私は今では、こうやって本が好きですけど生まれたときから好きって訳じゃありません」
浅井の口から本が好きじゃないと言うのは内心驚きだ。でも、確かにゆりかごに揺られてる時から本が好きなんて話もおかしいか。じゃあ、保育園の時に好きになったのか。
「ちなみに、幼稚園のときも本は好きじゃありませんでした。どちらかと言うと、男の子に交ざって鬼ごっことかかけっこしてたと思います。……多田さん? 多田さん、私もそう言うときがあったんですよ!」
あまりにも衝撃的すぎて思考が追い付かなかったんだろう、浅井がフォローに必死になっていた。
「それで、いつから本が好きになったんだ?」
「はい、明確にこの日が好きになった日ってのはわからないんですけど、本を好きになった切っ掛けは覚えてます。それは、私の祖父の弟の息子の叔父です。
叔父は小説家でした。と言ってもカクカワとかコウダン社とかとは契約してないフリー作家なんですけど。本も出版してますよ三冊くらい。まあ、自費出版なんでどれもベストセラーにはならなかったんですけど。それでも叔父は、小説家でした。叔父も私もそれは胸を張って言えます。
そんな叔父にある日、私はなんで? と小説家をしているのか、小説は何なのかと聞きました。
あの頃の私は、両親が叔父の小説が自費出版され借金をしており、それで頭を悩ませてる時期でもあったので内心、借金して出版して売れてもないのに"なんで?" と思っていたんでしょう。
そしたら叔父は、ある一つの話をしてくれました。多分、その話で私は物語が好きになり、小説の世界へ興味がわいたのです」
なんとも感動的な話だ。その叔父により今の浅井がある。……迷惑だ。
もっと叔父が、浅井に対して、ゆいにはまだ早い、子供は外で遊んできなさいとはぐらかしていれば、俺は振り回されることはなかったのに。
「そうか、それでそのお爺さんは、今はどうしているんだ?」
浅井の人生を変えるほどの影響力のある叔父さんがいるなら話は早い、俺ではなくその叔父さんのもと9話目を浅井が書けばいい。
そう思っていた。
「…………叔父は、私が小学校5年生の頃に死にました」
「……え? ごめん」
咄嗟に出た言葉は、それだった。
まあ、昔の話だしその中で死人がいても…………?
いや、おかしい。確か浅井の叔父は「私の祖父の弟の息子」と言っていた。5、6親等関係で推定するとその叔父さんは、浅井や俺らの親と同じ世代だ。
そのくらいならまだ、ピンピンしてる。
「立ち入った話にはなるが、お前の叔父さんはなんで死んだ?」
「…………自殺です。自分の体を焼いて……」
きっとこの話を聞いてしまえば、引き下がることはできない。そう感じた。
浅井には、とても重い信念がると思った。
「言いにくかったら帰りたいって言っていい。そしたら、俺も帰るから……だから教えてくれないか?
なんで、お前の叔父さんが焼身自殺したのか、その経緯を教えてほしい」
この瞬間、一秒一秒が大切と思えるほどにゆっくり感じた。
浅井は頷き、口を開いた。
「はい、お話しします。
叔父は、自費出版をする小説家でした。しかし、自費出版するなら最低でも80万は必要です。しかし、叔父にそんな財力はなく、ある親戚は叔父が借金をするのでその保証人になり、ある親戚は叔父に直接お金を貸しました。
もちろん、自費出版はできても500部を書店と交渉し東京と松本の二ヶ所のごく一部の書店に置いてもらうのがやっとでした。
しかし、と言うよりは案の定、採算がとれるような収益は獲られず、後に残ったのは借金と親戚の叔父への偏見だけでした。
そして、浅井家の本家、分家の中でも一番の信頼と責任があった浅井家当主の私の父が動いたのです。
そこからは私や恐らくは同年代の子供は、家の内情を教えられた人はいませんでした。
それでもわかります。父は叔父に何かをしたんです。
だってそれを境に叔父は姿を忽然と消して、それからしばらくもしないうちにスカイパークの森林地帯でぼや騒ぎがあり、その中に焼け落ちた男性の遺体がありました。そして身元確認の通達が来て、叔父である
死因は焼死、現場近くの本人の車の中に遺書が発見され自殺として処理されました」
説明が終ったのだろう、浅井はコーヒーを飲んだ。
「教えてくれてありがとう。辛いことを頼んでごめん」
浅井は、いえいえと笑って返した。
「浅井が影響されるほどの人だったんだな、生前はどういう人だったんだ?」
「とても面白い人でしたよ。気さくで、ユーモアがあって書いていた小説も、ファンタジーからSF、ミステリーまで幅広かったです。
私はそんな叔父が好きでしたよ
なのに私の父も別の浅井家の叔父様もみんな、叔父の事を嫌っていました。
恐らく、疎ましいのでしょう。
私はそんな叔父を疎ましいとも思いません。それよりも許せないのは、父親です」
この話で俺は、浅井のことを少しだけ誤解していた。
以前、俺は浅井の事を何を言っても怒らず、笑顔で優しいと思った。しかし、浅井は悟った人ではなく怒りもするし悲しみを抱えている、ただの少女なのだと改めて思った。
「なぜ、父親は叔父を追い詰めたのでしょうか?
父親もその日を境に、小説が嫌いと小言を言うようになりました。
そんな父親に私は許せない。物語を蔑むならまだしも、物語に必死になった叔父を死へ追いやった父親が許せないんです。
だから、私はいつか物語を毛嫌いする父親に一泡ふかせたい……!
暴力や財力ではなく、物語で……叔父の求めたものを認めさせたい!」
そこまでの固い意思があるのか……それでも。
「お前の気持ちはわかった。わかった上で聞きたい。なぜ、この俺なんだ?」
「多田さんは部活初日、私のたった一つの疑問から手がかりも何もない状態で私の納得いく答えを示しました。その答えは、多田さんにとっては正解か不正解かわかりません。ですが、私にとってあの答えは、正解です。
そして次に、先日書き上げた多田さんの抱負です。
多田さんご自身は、何も考えていないと仰いましたが私にはあの抱負は、多田さんの確かな作家性を感じました」
浅井は、コーヒーを飲み干した。
確かな作家性……。もしかして、浅井は……。
「浅井栄助と被せているのか?」
口に出していた。
浅井は目を深く瞑って言った。
「いいえ。多田さんは多田さんです。ですが、私の中で多田さんは叔父と近いと感じました」
「どういうことだ?」
「部活初日、多田さんは詳しく文芸部の存在について推理しました。その中で出てきた、文芸部で功績を修めた人がいると仮定しました。
実は、叔父も深久高校の生徒だったんです」
「ちょ、ちょっと待て、あの時の戯れ言で出てきた人物がお前の叔父さんだと?」
「いえ、それは私にもわかりません。叔父は昔のことを語りたくなかったので。ですが、叔父が深久の生徒であったこと、文芸部に関係があったことは確かです」
「どうして、そこまで断言できる?」
「叔父が死にしばらくして遺品整理をしました。すると、押し入れから筒が出てきたのです。筒を開けると、二枚の賞状と三枚の原稿用紙が入っていたのです。
私はそれを見た瞬間、父親の目には触れられないように隠さなくてはと思いました。その後、自分の部屋で詳しく確かめました。
筒には、深久高校の卒業証書と黒く墨で塗りつぶされていた辛うじて、文芸部だけは読み解くことができた賞状でした。
そこから私は、叔父に関する何かがあると言うことで深久高校に入学し、文芸部へ入部しました」
そうか、大体はわかった。浅井は俺と違って目的を持って文芸部に入部した。
「その時に、あなたが文芸部でよかった。私の中で叔父と近いから……多田さんでよかった」
浅井は、あの時の俺に学園ミステリーをやれと言っていた。しかし、本心では俺に浅井の叔父である、高校生であった浅井栄助をやって欲しいと思っていたのだろうか?
どちらにしろ、無理だ。…………でも、ここまで浅井の気持ちを聞いておいて、否定的になるのも酷い話だ。
栄助氏本人になりきらなくても、このままでも栄助氏に近いと思っているならここは肯定した方が浅井の為になるのではないだろうか?
「……栄助さんに近いかどうかはわからないが、協力はするよ。文芸部も短編集も……。
ただ条件がある。筆はお前が執るんだ。それで、俺はお前が考えたプロットから完成までならべく意見をする。それでどうだ?」
中々口を付けなかったリプトンを飲んだ。生暖かかった。
そして、リプトンを飲んで持ったコップを置くとすぐさま浅井は、そのコップを持った手に力強く握った。
リプトンが未だに熱々だったら、俺は拷問のように感じていただろう。
「ありがとう!」
そのタメ口は、俺と浅井の距離が近くなったようで安心した。
そして、リプトンを飲み干すまで少しだけ談笑をして俺と浅井の日曜日は終った。
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