1章「美味しいティラミスはどこですか?」(2)
今日はなんか駄目っぽいな。
立ちっぱなしの
「いらっしゃいま……って、裏から入りなさい、てあれだけ言ってるでしょ」
店主の
「ごめんごめん、嘉神ママ」
謝りつつ麻耶は、嘉神の美貌をしげしげと眺めた。
このルックスでアラフォーなんだもんなあ。
明るい茶に染めたショートボブに、彫りが深い顔立ち。モデル顔負けの引き締まった長身のおかげで、ダークカラーのパンツスーツを無理なく着こなしている。
「けどさ、こんな時間まで店開けてたって、客なんて来ないんじゃない?」
「来るかもしれないでしょ、明日結婚する娘に嫁入り道具を持たせようと、親御さんが駆け込んできて」
「ボロいサイドボードをお買い上げ? ないない」
テラコッタの床タイルが敷き詰められた店の中は、統一感を欠いた家具や装飾品と、間接照明が放つ
「手ぶらってことは、今日はもうギブアップ?」
「駄目。辛党ばっか」
純粋にデートが目当ての客を、嘉神は辛党と呼ぶ。その癖は麻耶にも伝染していた。
「もうあがるね。明日も学校あるし」
麻耶はカウンターの上に、
ケースをつまみ上げた嘉神が、あら、と意外そうな声を上げた。
「夕方に一人、付いたわよね。『毒りんご』は使わなかったの?」
「自分の工場で死にたいって言いだしてさ。クレーンにロープを結んで、キュッと」
革手袋をはめた右手で、麻耶は自分の首を絞める真似をする。
現地へ到着するなり興奮して脱衣したのは、故人の名誉のため伏せることにした。
死を目の前にして奇行に走る客は、決して少なくはない。拾った石で歯を叩き折り、「記念にあげる」と麻耶にプレゼントした客もいたし(もちろん後で全部捨てた)、路上で突然自慰をおっ始めた客に遭遇した(これはしたいようにさせた)こともある。
「それなら明日は大騒ぎなんじゃないの、その工場?」
「とっくに潰れてぼろぼろだったから、誰も来ないんじゃない?」
ふうん、と嘉神はボールペンを手にしたまま腕組みをした。
「死にたい理由は、借金を苦にしてってとこかしら」
「言ってた言ってた。生命保険で借金をチャラにしたいって。奥さんや子どもにもちょっとはお金が遺せたらいいなあ、てさ」
「じゃあ死体が現場に無いとまずいわね。保険金が下りないわ」
ボールペンの軸先が、麻耶へ向けられた。
「それ、杉田と
「……あ」
嘉神は無言で、胸ポケットからスマートフォンを抜いた。
「鳴ってますよ、マサトさん」
脂光りのテーブルで振動するスマートフォンを、後谷
「はい、杉田……え、戻せ? 遅いですよ、ナタ爺に引き渡したの、一時間前ですよ」
ラーメンを
「どうしてそんな……ああ、そうですか……そっすね、じゃあ無かったことで……ええ、ええ……今メシ食ってるんで、もうちょっとしたら……はい、お疲れ様です」
通話を切り上げた杉田に、後谷が「何かトラブルっすか?」と
「麻耶がポカやりやがった。回収しないで現場に残しておかなきゃいけなかったんだと」
嘉神から聞いた話を、杉田は手短に説明した。
「まずいっすよ、それ。今すぐナタ爺のところに戻らなきゃ」
慌てて腰を浮かせた後谷を、杉田は
「遅いだろ、もう。ナタ爺が仕事に取っかかる早さは知ってるだろ? あのおっさんも今頃、人間の形をしてるかどうか。どうする、駄目元で引き取りに行ってみるか?」
いや結構っす、と後谷は奥歯で
「で、結局どうするんすか?」
「どうもこうもないさ。あのおっさんは失踪者リスト入りだ。オーナーもそれでいいってよ。苦情が入るとすれば、おっさんが化けて出たときだけだ」
「オーナーとマサトさんがそれでいいってんなら、いいですけど」
スープだけが残る丼に、後谷の溜め息が落ちた。
「肝心なとこが抜けてんすよねえ、麻耶って。こないだにしても、道のど真ん中で客に『毒りんご』食わせちまうし。たまたま人通りが無かったからよかったようなものの、一歩間違えれば
「だからこそ、俺たちケツ拭き要員の立ち回りが重要ってこった」
「女子高生のケツ拭くって、なんかやらしいっすね」
アホか、と杉田が小突く真似をした。
「それにしてもあのおっさん、犬死にもいいとこっすね。こうなると知ってりゃ、もっとマシな死に方もあったでしょうに」
「どうだかな。途中から保険金なんてどうでもよくなったんじゃねえかな。一生でたった一度しか味わえない究極のスリルを存分に味わって、満足したのかもしれねえぜ」
「テーマパークのアトラクションじゃないんすから」
一口サイズの
「いい加減、慣れちまえって。心と鼻を麻痺させちまえば、あとはブツを運ぶだけの簡単な仕事だ。ナタ爺の解体作業を見学した後でホルモン焼きが食えれば一人前だ」
こんな仕事で一人前になっても、誰も褒めちゃくれないけどな。
せり上がった自嘲を、杉田は伸びかけの麺と一緒に喉の奥へ押しこむ。
店の小型テレビでは、
「異常が正常なんだよ、俺たちの仕事に限らずな」
ニュースは天気予報に切り替わっていた。お天気お姉さんがにっこり微笑んでいる。
明日は晴天に恵まれるでしょう。
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