第二十二話【待った!】
特使派遣は結果論から見れば失敗に終わっていた。が、アメリカ国内には派遣に反対する者も一部にはいた。
◇
日本周辺の核兵器問題に関し、日本への特使派遣に「待った」をかけた者がいた。俺からすれば意外以外の何ものでもなかったが、それは国務副長官だった。
「大統領閣下! あの特使の派遣を即刻中止して下さい!」
「中止も何も議会までもが、なぜ日本の領土問題で我々が核戦争の危機にさらされるのかという主張で埋めつくされている。できるわけないだろう」俺は言った。
「我々は何のために8月6日にヒロシマでの式典に駐日大使を出席させてきたと思っているんです?」
俺は返事に困った。何のためにと言われても、ハテ、何のためだろうか? 仕方ないので黙って先を続けるよう促した。
「日本を模範的な核廃絶論者のままにしておくのに役に立つからです」
「模範的?」
「そうです。日本は合衆国にとって模範的です」
「どう模範的なのだ?」
「核の脅威から身を護る方法について、日本が主張する内容が実に合衆国にとって模範的な優等生の回答なのです」
「俺を相手に回りくどい言い方はほどほどにな」
「核の脅威から身を護る方法について人々に語らせると通常〝自らも核を持てばいい〟という答えになってしまいます。インドとパキスタンのように。ところが日本は政府が公式に、核の脅威から身を護る方法について〝核を廃絶しよう〟と言うのです。合衆国の国益は核の不拡散ですから、我々にとってこれほど模範的な回答もないでしょう。ところが近年、日本国内において〝核武装論〟が公然と語られ始めるという、非常にナーバスにならざるを得ない動きがある。『核を廃絶して核の脅威から身を護ろう』などという主張は空想主義だ、というわけです——」
「実際空想主義だろう?」
「大統領閣下、私の話の腰を折らないで下さい。まだ続くんです。確かに空想です。しかしいくら彼ら日本人が空想主義者でも明日から核兵器が廃絶されるとは考えない。少しずつ数を減らすことをまず期待する。全ての核兵器が廃絶される日が来ると仮定して。その日までは核保有国が存在する。ではその間非核保有国はどう自国の安全を確保するのか? 核武装もせずに。その方法こそが『核の傘』であると、どうして思い至らないのか? つまり核兵器廃絶論と核の傘は一体の価値観です。その一方の核の傘を機能不全、無きものにしてしまったら、核兵器を廃絶するというもう一方の価値観も当然死にます」
「……」
「日本政府の〝核廃絶〟という主張が日本国内において以前ほどの説得力を持たなくなりつつあります。この価値観が失われた場合、日本国内の〝核武装論〟の台頭は押さえがきかなくなりかねません。我々は日本政府がこれまで唱えてきた〝核廃絶〟という主張をフォローアップして力を失わないようにし、日本国内の〝核武装論〟を押さえなくてはならない。〝核廃絶〟に合衆国も賛意を示しているという、言わば国際的支援がこれからは絶対に必要です。彼らに無力感を与え支持を失わせるようなことをするべきではない。そうしたフォローアップを目に見える形にしたのがヒロシマやナガサキでの式典に駐日大使を出席させてきたことの意味です」
「その事を国務長官には言ったんだろうね?」
「言いましたもちろん」
「奴は何と言った?」
「話しになりません。〝核の脅威から身を護るために核廃絶を主張する連中が、我々の核の傘を便利使いすることが許されるか、あのスニーキー野郎が!〟などと言うのです。もはや手に負えません」
〝ジャップ〟と言わなかっただけマシだろうな。俺は内心思った。とは言えこの目の前の男もこの直後とんでもないことを言うのだった。
「私にはなぜ日本をこれだけ憎悪する世論が合衆国にあるのか理解できません。だって彼らは発電所と兵器をいっしょにしてくれているのですよ!」
「そんなバカなことがあるか!」俺は思わず言った。
「いいえ、事実です。核発電と核兵器が同じレベルで語られ報道されています」
「……」
「アメリカ人にとって実に僥倖だと思いませんか? 我々アメリカ政府は日本人に放射能被害を与えたが、日本政府もまた日本人に放射能被害を与えたのだと、彼らは自発的に言ってくれているのです」
「しかし……あの発電所はアメリカ企業無しには造れなかったはずだよな?」
「大統領、そういうことは実際日本国内では問題になっていません」
「ああ、原子炉を買ってくれた日本の顧客が日本人からの集中砲火を浴びているんだったな……」
「だからあの特使の派遣を大統領権限で中止させて下さい! 弊害の方が大きい」
俺は直接返答せず、との対応だった。
国務副長官は力なく部屋を去っていった。
『爆発を起こすような引火物は元々そこにあったってことですよ』というあの補佐官の言葉が俺の頭の中をリフレインする。
そう、日本への露骨なガイアツをかけるための特使派遣は、何も大統領である俺がそれをしたがったから、ではない。
『送るべきだ!』というアメリカ世論が送らせたのだ。世論を造りだした連中がいる。
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