第十二話【来るはずのない来客】
ここでまた少し時を遡る。
◇
「〝アチソンライン〟をご存知ですか? 大統領閣下」目の前の男は俺にそう尋ねてきた。
おっおっおっおっおっおっおお〜っ‼ 俺は感じるはずのない風圧を感じ圧倒されていた。そこに立っている男の服装! 〝ゆーえす・ねいびー〟の制服! それも海軍大将の制服だった。今まで気がつかなかった。合衆国海軍の制服にこれほどの威圧感があるとは。くあーっ、大統領を脅す気か! 海軍大将は自分の名前を名乗っていた。その名は『キング』だった。キング海軍大将か。確か前にそういう有名人がいたよな。海軍大将だけでも偉そうなのに、その上に〝キング〟とつくとは。キング海軍大将か。副大統領上がりの大統領より偉そうじゃないか。お前は王様か⁉
海軍大将の顔に刻まれた皺の動きからして、心の内に相当の怒りを秘めているのが想像できるな。まるで親父の目の前に立たされたガキの気分だな。
「もちろん知っている〝アチソンライン〟の件は有名な話しだ。国務省の不用意な発言で却って合衆国の若者の血が流れることになった、んだろう?」
これは朝鮮戦争の直前、当時の国務長官のアチソンが『大韓民国の安全について合衆国はそれを保障しない』と受け取れる発言をした問題で、朝鮮戦争の誘引要因になったという指摘が未だに絶えない。
「ま、掛けたまえ」俺はそこのソファーに腰掛けるよう勧めたが海軍大将は断った。形の上では俺がデカい大統領執務机の前に座り、海軍大将は立たされているように見えるが、目線は俺が下から上へ、奴は上から見下ろすように俺を見ている。お前と俺とは五分と五分と言いたいわけか!
「サトーは〝核の傘〟を求めているだけです。大統領閣下、このことばはご存知ですか?」
「当たり前だ! 近頃は〝拡大抑止〟とも言うな」
「ではその傘についてですが、それは日傘ですか? それとも雨傘ですか?」
俺はムッとした。
「俺を相手に例え話はたいがいにな」
「日傘では雨の日には役に立たない、という意味です」
「……近頃は兼用もあるかもしれんがな」
「そういうつまらない事を言いますか? 日傘といえば布張りで雨の日には役に立たないという例えだとは考えないわけですか」
「……」
「我々が提供すると言っている核の傘が、日傘に過ぎないのではないかと疑われているのが目下の現状です」
「我々の傘が日傘か雨傘かは、そこは曖昧戦略だ」
「しかし日本は曖昧を許さない。特に世論が。今回日本は核の傘が確かに雨傘なのか? という問いを発し、『イエス』か『ノー』か、いずれかの答えを求めている」
「今や我々の方が曖昧な国だ……」
「つまらない事を言っている場合ではありません大統領閣下。サトーは未だ『日本は核武装する』とは言っていません。なのにどうしてここの政治家はああなのです?」
「約一名の上院議員は、ここの政治家の中には入らないということだな。彼にとっては名誉なことだろう」
「私に意味が分かるようにお願いします」
「なぜ、ここの政治家はああなのか、についてだがね、質の悪い人間に、『どうしてお前は質が悪いのだ?』と質問するくらい無駄な問いだな」
「言ってる意味が分かりませんが」
「俺のフィーリングに過ぎんよ」
「あのようなコメントを合衆国の立場だと発表し、この後何が起こるか? 想像はつきませんか?」
「前にも同じような事を言われた……先を続けてくれ」
「合衆国は同盟国の信頼を失います。日本はもちろん、日本以外の同盟国の信頼も失います」
「……」
「合衆国は今や単独行動主義を諦めざるを得ず、同盟国に応分の負担を求めることで世界に影響力を及ぼし続けるのだという路線を選択したはずです」
「そう……だったな」
だが同盟国というのは結局外国に過ぎず、思うように動かないものだ。そんなものを当てにする戦略が戦略たり得るのだろうか? 今回の一件だって、合衆国の同盟国の一つである大韓民国が、同じく同盟国の一つである日本に対し、ありとあらゆる侮辱とネガティブキャンペーンを国家、マスコミぐるみで行ったことが下敷きとしてあって、『日本に対しては何をやっても良いのだ』という空気をこの北東アジア地域に造ることを許してしまったという背景があるからじゃないのか。合衆国が同盟国を制御できていれば起こらなかった案件じゃないのか。
その延長線上の結果がこれだ。同じアメリカの同盟国同士という立場でさえこれほどに日本を脅せたのならロシアや中国はなお日本を脅せる。そうして核恫喝にまで発展したのだ。
「同盟国が核攻撃を受けているのに、合衆国自身が核攻撃されることが怖いからと、核の使用を行わないのならば、たまたま核攻撃を受けなかった他の同盟国がこの先も合衆国の同盟国でいようと思うでしょうか? 離反し、かつての同盟国になるのは確実です。さらにその元同盟国は同時に核武装するでしょう。合衆国の定めた世界戦略も核不拡散戦略も同時に崩壊します!」海軍大将は厳しい口調で言った。
「理屈は分かる。だがな、どうやって世論を説得するんだ?」
「説得など必要はありません。大統領の意志を見せればいいんです」
「それはどんな意志だ?」
「同盟国を核攻撃した国が、核の洗礼を浴びないなどという事は起こり得ない、と」
「何を言っているんだ⁉」
「核戦争から逃げよう逃げようとすれば却って危険な状態を招く。核戦争を辞さずと我々が勇気を振り絞り宣言することで、核兵器を脅迫に使うならず者国家を意気消沈させ、同盟国の信頼を得られ繋ぎ止められるのです」
「そんなことを言ったら大騒ぎだ。核戦争宣言など」
「口に出すのも恐ろしいというわけですか?」
「バカな! 大統領をチキン呼ばわりする気か!」俺は思わず声を荒げた。海軍大将の制服の圧力を少しだけ押し返した——と思った。
だが、海軍大将は威圧された風もなくこんなことばを口にした。
「もっと露骨に言いましょうか?」
「なに?」
「核兵器を使い、非核保有国の国民を殺害した者たちは、核兵器によって死ななければならない」
もしかして俺はコイツを怒らせたのかもしれない。
「だが待て、それでは我がアメリカ合衆国はどうなる? 我々も核兵器によって死ななければならなくなるぞ!」
「大統領閣下、『ノブレス・オブリッジ』ということばをご存知ですか?」
海軍大将の声色にはなんら動揺も無かった。
「当たり前だ! 力のある者は自発的に責任をも引き受けなければならない! だったかな?」
「我々は核兵器を公然と持つことを許された国です」
「ほかにもいくつかあるがな」
「そのいくつかを除いた国々に対しては『核兵器を持つな!』と言っているのも我が国だ」
「そうだな」
「もし我々が自分のためにしか核兵器を使用しないなら合衆国を始め世界の数カ国だけが公然と核兵器を持っている事に何の正当性があるのでしょうか?」
「……」
「『だったら我々も自分のための核兵器を持とう』という理屈が非核保有国の中で市民権を得てしまいます。これにどうやって抗弁できるというのです?」
「他国のために核兵器を撃てというのか?」
「厳密には『撃つのだ』と宣言するだけですが」
「クレイジーだ」
「そうでしょうか? 我々が公然と核兵器を所有し、しかも他国の所有を制限している正当性を他にどんなことばを使って説明できるというのです? ノブレス・オブリッジとはそういう意味です」
俺は黙り込む。次に紡ぐことばは……だめだろくなものが思いつかん。
「……しかし理屈ではそうだったとしても、そんな言い草で世論など説得はできないぞ」
「合衆国の世界戦略と核不拡散戦略を自壊させる選択肢を嬉嬉として選ぼうとしている者がノーマルでしょうか?」
もはや、俺にはことばも無い。
「ところで君はサトーの次の一手をどう読む?」
「揺さぶりをかけてくるでしょう」
「抽象的だな」
「軍人の身でもうこれ以上は発言する立場にない、ということです」
十分すぎるくらい言ってるよ!
キング海軍大将‼
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