第六話【勝ったのは誰か】
合衆国大統領の俺、そして日本国首相サトー。俺たちがこうして核兵器がどうのこうのときな臭いテーマで電話会談をしているのには当然原因があった。
俺は考える。今回この騒動、結局〝勝ったのは誰なのか〟を。
負けた奴ははっきりしている。日本を悪者にして事態を収束させようとした連中だ。議員どもマスコミども。
そいつらとは対極の位置にいたのが〝軍〟の連中だった。
だから〝軍〟は勝者なのだろうか?
そうとも一概に言えない。日本を悪者にする過程でマスコミどもは『反・核戦争運動』キャンペーンを張った。これをサトーに逆手にとられたのではないか?
「核を持っていない国は核を持った国から自国をどう護るか?」、核保有国、非核保有国を問わず世界中の政治指導者が曖昧にしてごまかしてきた問い、サトーの命題に世界が震撼した。
サトーの言うことは基本不快なのだ。不快だが真っ当に答えられない。グローバル化時代になって世界が荒んでいるせいだろうか。非核保有国が核保有国に対し脅迫状を突きつけているような状態なのだ。
反核戦争運動の原動力はその状態に恐怖を感じる人間の心である。別に非核保有国の国民だけがやってるわけじゃない。核保有国の国民も大いに反核戦争運動に参加している。しかし別に人類愛からデモをしているわけではなく、恐怖から来ている運動である以上は、いつ『やられたならやっちまえ!』に多数派が変質するか知れたものではない。
我が国の軍は『核の先制使用』を否定してはいなかったが、もはや非核保有国への核の先制使用はできない情勢だ。それを考えれば我が国の軍が勝ったともいえない。その意を汲んだ俺も勝ったとは言えない。しかし……『非核保有国であっても核の先制使用の可能性を排除しない』などと言い、それを実行してしまったら我が国は未来永劫終わる。軍の連中もある部分は諦めたというほかない。ではサトーが勝ったのだろうか?
一体全体なぜこんなことになってしまったのか? を考えるのに効果的な思考法は帰納法だ。少しずつ少しずつ過去に遡って考えてみる。原因というものが積もり積み重なって今があるのだ。
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