第50話 前書きのような、或いは後書きようなもの

 皆様、初めまして。それとも、いつも有難うございます、と言うべきなのでしょうか。そのどちらも、あるのでしょう。

拙作をご覧いただき、ありがとうございます。

私のプロフィールを見ておられる方も多いでしょうからくどくなるかもしれませんが、私は大学時代に統合失調症を発症し、三度の入院(医療保護入院二回と任意入院一回)を経験した者です。

それに加えてプラスの入院は任意入院のような、そうでないような……治験患者でもあるので何とも言いがたいのですが、まあ、とにかく閉鎖病棟への入院暦がさらにもう一回追加されてしまった……四度の閉鎖病棟への入院暦がある人間でもあります。

一度ならず二度までも。三度目の正直とも言うのに四度目まで。

学習しているのか、いないのか。三度進んで二歩下がっているのか。

でも、入院のたびに自分の中には新しい発見があり、自分なりの進歩があり……。

入院と言うと後ろ向きのイメージですが、そんなに悪いことではないなあ、と。

(開き直りって怖いですね!)

いや、でも死んで人生を卒業してしまうより、ずっとマシでしょう。

   ***

さて。この作品は今のところ二部構成になっています。

一部は任意入院して感じた、さまざまなことを毎日一つずつエピソードで「○日目」で綴る、という形式で書いています。

特に「任意入院」は「医療保護入院や措置入院」とは、大きく違うんだよ。ということを浮き彫りにさせたくて、そこを意識して頑張って書きました。

ただ、改めて読み返してみると、制度的なことよりも入院患者さんとの触れ合いを中心とした群像劇的なところが目立つな、と自分自身、思いました。

まあ、制度のことを説明するだけなら、がっちがっちの固い文章を(それこそ保健所や精神保健福祉局のホームページからでも)引用すればいいだけです。

でも、それでは「任意入院に興味がある」「任意入院をしようと考えている」「任意入院を大事な人にさせたい」という層には響かないだろうとも思ったのです。

それらの層の人が知りたいことは実際に閉鎖病棟に入ってからどんな生活が待っているか、ということだろう、と私は思い、なのでそれを文章化していきました。

一部で、毎日の食事のメニューを書いたのも、なかなか好評でしたね。やっぱり『食』って大事なんだなあ。

未知なものは怖いけれど、少しでも見聞きしていれば、恐れが薄れていく。

私が、この作品で一番伝えたかったのは、たった一言に集約されてしまいます。

「死ぬくらいなら、任意入院しましょう?」

実際会ったことのない人でも、画面越しにしか接することが出来ない人でも、『カクヨム』というツールを使えば、救える(、というのは傲慢ですね。少し考え方を変えてもらえる、と言ったほうがいいでしょうね)かもしれない、と思ったのです。

そして二部は一部と違って私の私見のようなもののごった煮状態になっています。

リアルタイムで入院しながら(院内散歩の午前か午後、一回三〇分~一時間の時間を使って)書いたので、二部のほうが突き刺さる人もいるかもしれませんが、蛇足だったかもしれません。一部で完結したほうが有終の美だったやも。

あと、この作品はカクヨムオンリーではないので、他の媒体に少しだけ出しゃばってます。そのときにアンケートをとったところ、『今何してるのか(どうやって、生活してるのか)』という質問がぶっちぎりでトップだったので、今の私についてちょっとだけ書いておこうと思います。

今のところ、就職はしていません。が、出張のパソコン教室や、WEBサイトの構築などをしてお小遣い程度の小銭は稼いでいます。

契約関係はあまりしっかりしていなかったのですが、近く、きちんと請負契約を結ぶ予定です。時給は仕事内容によりますが、三千円~五千円。それを高いと思うか安いと思うかは人の価値観によると思いますが、それだけのスキルを職業訓練校(ハローワークで紹介してもらえる専門学校用なもの。大体、三ヶ月~六ヶ月くらい学ぶ)で叩き込まれまたのは幸いでした。

家族は「生きてさえ、くれればいい」「幸せであってくれるなら、それでいい」というばかりで私が稼ぐことには反対、という姿勢です。なので退院はしたものの、まだ職場復帰はしていない、という状態です。

「お願い。出来れば、働かないで」

と、家族から、乞われる私の状況を羨ましく思う方もいるかもしれませんね。

でも、もしかしたら「仕事をしなければご飯が食べられない」「仕事をしなければ自分は家族から捨てられる」と思っている人がいたら、案外そうではないかもよ? ということだけは伝えておきたいです。

話がわき道に逸れますが、有償ボランティアをしていた時期(二週間に一回、二時間だけ。時給1500円)もあり、そこでとても素敵な異性(通称ザビエルさん)に出逢うことも叶いました。(ちなみにその職場に復帰する予定は今のところありません。)

そして、そこで出会った利用者さんたち……知的障害や、精神障害で苦しむ人たちと接するうちに、私の中に存在していた「生産性の無い人間に価値は無い」という冷ややかな人生観がぼろぼろ壊れていきました。

生産性がなくたって、この人たちの誰が欠けても私はすごく寂しい、悲しい。それだけで、もう十分じゃないか。と、肌で感じられたのです。とても貴重な、体験でした。

だから、相模原のやまゆり事件を起こした植松(うえまつ)聖(さとし)被告のことを私は、分かり得ません。障害者であっても、家族から愛されていたり、哀しいことがあったら涙をこぼしたり、辛いことがあったら、それを上手な形ではないにしても、表現できたりする人たちを「価値が無い」と、何人も手にかけた彼を私は真っ向から否定します。

この世界に居る人たちの中で、『要らない』人間なんて、いないんです。

私が言っていることは甘いかもしれない。

それでも、例えば年を得た、おばあさんおじいさんはもう社会の役に立たないから殺しましょう。障害者も生産性がなく、役に立たないから殺しましょう。子供を生める女性には必ず三人以上生むことを義務付けた社会を作りましょう。

そんなところに誰が住みたいと思うでしょう。

皆、自分の価値を発信することだけに躍起になってギスギスして、家族など大切な人は、自分にとって単なる重荷になる。そんな生産性だけを突き詰めた世界は多分に地獄でしかありません。

   ***

長くなりましたが、これで筆を止めます。

最期に。いつも温かく接してくれる母。癌もそっちのけでがむしゃらに働く頼もしい父。そして、いつもお腹を見せてくれる犬のマロン。

私の愛しき、家族たちにこの文章を、捧げたいと思います。

出来れば、いつまでも、家族の誰も、欠けることのないように祈ります。

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