第22話入院二十二日目「私の居場所―少しだけ自分語り―」


前月分の入院費の支払いをカードで済ませ、母の面会を静かに待つ。


今日の朝の総回診で私は主治医と補佐医双方に今週末退院したい、という旨を伝えた。


その希望が叶えられるかどうかはまだまだ先行き不透明だが、母にはきちんと話をしなくてはならないだろう。


支払いの関係もあるがそろそろ潮時なのだ。

もうこれ以上減薬も望めないし、晴美さんや五反さんのようなわずらわしい人との人間関係もあったりなどゆっくり静養できる空気でもない。


私は、私を待っている人のところに帰るのだ。もう職はないけれど。

母がケーキを持って、午後面会に来る。

「お母さん」

「なあに?」

「急だけど、今週末退院になるかもしれない」

その瞬間、母の顔が固まった。

そして、次の瞬間。

まるで花が咲くように、母はものすごく笑顔になった。

気がついたら抱きしめられていた。

「真世が帰ってくるの?」

「……まだ本決まりではないから、確定とはいえないけれど」

「いつ決まるの?」

「明日の回診のときに確認するけれど、わかったらすぐ連絡したほうがいい?」

「当たり前でしょ! お母さんたち待ってるんだからね」

そうかあ、真世が帰ってくるのかあ。

嬉しそうに。本当に嬉しそうに母が言う。

「マロンが待ちくたびれているよ」

改めて、私は自分の身の上の幸福を感じる。

確かに私は統合失調症という病だ。

不幸にも一〇〇人に一人罹患するという病に罹り、普通では考えられないような辛酸も舐めてきた。

手足を縛られ、尿道に管を入れられ、オムツをあてられた。

水が飲みたくても放置され、ずっと乾ききった喉で「ひず、ひず」となきながらベッドの上で繰り返したこともある。

私に初めて出来た恋人は大学のサークルで知り合った人だったが、私が統合失調症になったとき、里帰り先の田舎から(しかも車の免許合宿中だったのに)駆けつけてくれたが、三ヶ月の入院期間の間に思うことがあったのだろう。

「怖くなった」

というただ一言をメールに載せて去っていった。

初めて口をささげた相手だった。

二年間一緒に居て、卒業したら結婚しようね、なんて話していた相手だった。

マクドナルドで時給800円くらいで稼いだお金を一生懸命貯めて、2万円もする指輪を買ってくれた人だった。

それでも、駄目だった。

初めての彼が去っていって、私はその傷を癒すために布団に包まって一日二十時間は眠った。

起きると泣いてしまうため、なるべく眠りの世界の中に、夢の世界の中に居たかった。

当時一日36錠もの薬を処方されていたのはかえって幸運だった。

起きているより、寝ていることのほうがずっと楽だったのだ。

それから一年後、次に付き合った彼氏はSNSで知り合った理科大を中退している人だったが、会って話してみて将来のビジョンがしっかりしていたし、一緒に居てとても楽しく刺激になる人だった。

二人でサイゼリアで彼は情報システムに関する勉強を、私は公務員試験の勉強を毎日のようにした。

統合失調症のことは付き合って三ヶ月目に正直に話して、そのことを受けいれもしてくれた。

同い年で、喧嘩も多かったし、顔がやたらきれいな人だったので女性にまつわるトラブルもあったが、それでもとにかく一緒に居るといつも笑顔になれる人で私は八年間幸せだった。

それでも、長すぎた春は三〇歳を目前に終わりを告げた。

自分にとっては悲しすぎる言葉とともに。

「真世は病気だから」

「遺伝するかもしれないから」

「子供産めないでしょ」

……私の努力ではどうしようもないこと。どうしても変えられないところを突かれた。

親友は言った。きっと私の病気が原因ではなく別れる理由はほかにあったのではないか、と。

でも、手っ取り早く私にとってはどうしようもない『病気』を理由にすることで後腐れなく別れたかったのだろうと。

傷ついて帰宅した私はkiroroの「さよなら大好きな人」を何度もかけた。

何度かけても物足りなくて何回も何十回も部屋にこもって聞き続けた。

実家暮らしはこういうときつらい。

本当はどこかに泊まって帰りたかった。

でも、両親が心配していることを知っているから、それが出来なかった。

私はその日からご飯が食べられなくなった。

うまく眠れなくなった。

体重はみるみる落ちていった。

お風呂にも入れなくなって、診察も受けられなくなって、ほどなくして、私は再発した。

この病気がなかったらと何度も思った。

自分が自分でなかったらと何度も願った。

タイムマシンに乗って過去を変えられたら良いのに、なんて夢想した。

死にたいと思ったことも何度もあった。

でも。

私は幸せだ。

私には、帰るところがある。

私が統合失調症でも、時に妄想や幻覚に振り回されておかしな行動を起こしても離れていかなかった数少ない人たちが、私の帰りを待っていてくれている。

本物の人間関係が、きちんと根付いている。

そうして三度目の入院は任意入院になった。

初めてのパターンだったが、たくさんのことを学ぶことができたように思う。

ここで学んだことをしっかりと胸に。そして、もう戻ることのないよう生きていきたい。


今日の昼食

チンジャオロース、冬瓜ひすい和え、ごま酢和え、バナナ


今日の処方

 昨日と同じ

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