とーきょータワー

卯月君

第1話

 「パパ迎えに行く!」

 今年の夏2歳になった娘は、夕飯が終わってしばらくすると、毎日決まってそう言う。

 「パパから連絡が来てからね」

 私がそう答えると、言葉の意味を100パーセント理解できているのかどうかはわからないが、とりあえずおもちゃで遊び始めるのである。

 主人を駅まで迎えに行くようになったのは、今年の夏頃からである。主人は京都市内の中高一貫校で理科の教師をしている。テスト期間や夏休み中は比較的早く帰って来られた為、散歩がてら迎えに行くようになったのだ。

 私としては、新学期が始まるまでと考えていたのだが、娘にはすっかり習慣として定着してしまったようである。『夏が終わるまで』『寒くなる前まで』と期限をずるずる伸ばしているうちに、今日まで至ってしまった。秋も深まり、主人の帰宅時間も8時前後に戻ったため幼子おさなごを夜風にさらすのは気が引けるのだが、娘の気持ちがいじらしく感じられ、防寒装備を万全にして毎晩主人を迎えに行くようにしている。主人が喜んでくれているということも、理由としてあるのだけれども。

 そうこうしているうちに、主人からLINEに帰宅する旨のメッセージが届いてきた。ご丁寧に『〇時〇〇分に帰ります』と教えてくれるので尚ありがたい。しかも、これがかなり正確なのである。予定の15分程前になると、外出の支度を始める。

 「パパ帰ってくるって」

 私が娘に言うと、娘ははしゃぎながら

 「ハチさん着る着るー」

 と答える。

 『ハチさん』とは先述した防寒着のことである。ハチの着ぐるみで、歩くと触角が揺れる。

 マンションのエントランスを抜け、外に出ると大通りに面している。夜風が頬に当たる。

 「とーきょータワー、キレイねー」

 娘が斜め上を指差す。

我がマンションからは左を向けば東寺(教王護国寺きょうおうごこくじ)の五重の塔、右を向けば京都タワーが見える。絶好のロケーションである。

 「京都タワー、綺麗ね」

 私が何度『京都タワー』と言い直しても、娘の『とーきょータワー』は直らない。京都に住んではいても、テレビなどでは『東京』という単語を聞く機会の方が圧倒的に多いからだろうか。または『きょーと』よりも『とーきょー』の方が幼児にとっては言いやすいからだろうか。

 大通りに沿って東へ少し歩き、横断歩道を北へ渡る(上ル《あがる》)。しばらく歩くと再び『とーきょータワー』が見えてくる。タワーを見つけるとまた嬉しそうに指差しながら

 「とーきょータワー!」

 と叫ぶのである。タワーに届かんばかりの大声で。

 昼間買い物へ行く時も同じ道を通るにもかかわらず、そのときはタワーには見向きもしない。というか、あの白色の灯台は、空の色に溶けて幼児の目には認識出来ないだけなのかもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていると、シャンプーの良い香りが漂ってきた。仕事から帰宅し、夕飯を済ませ入浴しているのだろうか。お風呂と言えば、久しくゆっくりと入ることができていない。入浴はいつも娘と二人である。娘の背丈に湯量を合わせるため、肩まで浸かることができない。また、洗髪の際には、娘を湯船に入れながら行うので、溺れないように常に湯船に神経を向けている。結果、カラスの行水といった有様である。主人が休みの日や帰宅が早いと、娘と一緒に入浴してくれるので私は一人で入ることができる。しかし、私が入浴すると娘は

 「ママ、どこ行った―」

 といって泣きだすので、これまたカラスの行水になってしまう。娘が寝た後に入ればいい話なのであるが、高確率で娘と一緒に翌朝まで寝てしまう私にとっては、寝る前にお風呂に入らないのはかなり危険な賭けなのである。

 「ゆっくりお風呂に入りたいな―」

 声にならない声でつぶやくと、近所の小学校の裏門が見えてきた。主人がかつて通っていた学校である。

 裏門と歩道の間のちょっとした空間には、塀沿いに植えられた桜並木の落ち葉が散乱している。

 「葉っぱ葉っぱ!」

 そう言うと娘は、落ち葉の絨毯の中に突入していくのである。

 街頭に薄ぼんやりと照らされた紅や黄色の落ち葉たちが娘の足で掻き分けられていく。ひとしきり足で掻き分けると今度はしゃがんで手をつっこみ、勢いよく立ちあがりながら落ち葉をばらまく。頭や背中、おしりに放り投げた落ち葉がくっつく。

 この遊びがすっかり気に入ってしまったようで、最近はここで主人の帰りを待つようになっている。不思議なことにタワー同様、この遊びも夜限定なのである。

 「ただいまー」

 コートにリュック姿の主人が歩道から裏門を覗き込むようにして、声をかける。主人にとっても私たちがここにいることがお馴染みとなっているようだ。

 「パパ、おかえりなさーい」

 そういうと、落ち葉まみれの“ハチ”が主人に駆け寄り、脚に抱きつく。

 「さぁ、寒いから早く帰ろうねー」

 主人と娘が手をつなぎ家路を急ぐ。私が後ろをふりかえると、“とーきょータワー”がいつものようにすっくと立っている。まるで我が家の団欒をあたたかく見守ってくれているかのように。

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とーきょータワー 卯月君 @Uzukinokimi

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