第2章 敵の名は炎

1.


 21時を5分ほど過ぎたとき、理佐と横田、そして支部長は昨日のアパートに着いた。

 彼が帰ってきた時連絡を入れさせるため、横田を門前に止めた車の中に残し、門からまっすぐ駐輪場へと向かう。

 そして、理佐が倒れていた辺りを中心にマグライトで照らしながら探したが、目当てのものは見つからない。

「誰かに持ち去られたのかも知れないわね。私は敷地内を探してみるわ」

 支部長が立ち上がって、灯りを左右に振りながらアパートのほうへ向かった。理佐はそれでもあきらめきれずに、なおも駐輪場の冷たいコンクリ床に這いつくばって探していると、

「何してんだい、あんた?」

 門のほうから、老女が懐中電灯を持って理佐のほうに近づいてきた。

「すみません、昨日の晩ここで落し物をしてしまって」

 理佐が素直に答えると、老女は自分はここの管理人であると言い、品定めするようにじろじろ見ながら尋ねてきた。

「落し物の届けはないねぇ。あんた、神谷さんの関係の人かい?」

「え? ええ」と理佐はあいまいに答えた後、どうしてそう思うのかと逆に聞いてみた。

「いやなに、このアパートで女っ気があるのが、神谷さんくらいしかいないからさ。……で、あんたは母親かい?」

 いつの間にか戻ってきた支部長を見て、老女が訪ねる。

「はい。すみません、断りもせずに。この子が『神谷君からもらったものだから、見つからないと怒られちゃう』っていうものですから、一緒に探しに来たんです」

「あの子はそんなことで怒るような子じゃないけどねぇ。そうかい。じゃあ、探し物の張り紙はまずいねぇ」

 老女は、理佐から落し物の特徴と携帯の番号を聞き、自宅へ帰っていった。支部長が理佐に控えめな声で笑いかけてくる。

「良かったわね。これからは『神谷君の恋人』としてここに出入りできるわよ」

「冗談やめてください。わたしに彼氏がいること、知ってますよね? 彼、そういうのすごく嫌がるんですよ?」

 理佐が同じく控えめな声ながら本気で嫌がっているのを見て取ったのか、支部長は苦笑する。

「はいはい、ごちそうさま。ちょっと待っててね」

 理佐を再び置いて支部長はアパートのほうに向かい、3分ほどして戻ってきた。

「集合ポストによると、神谷君は2-A、2階の向かって一番左側の部屋ね。憶えておいてね、恋人さん?」

「支部長さん、怒りますよ」

「うふふふ、こわいこわい。車に戻って神谷君の帰りを待ちましょう」

 そう言った支部長が、突然右後ろ上を振り返る。半拍遅れて理佐も振り向くが、曇りがちな夜空が広がっているだけ。

「? 支部長さん?」

 理佐の問いに支部長は答えず、しばらくあごに指を当てて考えていたが、急に何を納得したのかうなずいた。

「理佐ちゃん、今日はもう遅いから帰りなさい。明日も学校でしょ?」

「え? でも――」

「ここは私と横田君で見張るわ。マンション、ここから近いのよね? 送っていくわ」

 しばらく逡巡した理佐も、最後には説得され、帰った。

 


 理佐を送っていった帰り道、支部長は思案する。

 先ほど彼女が一瞬だけ見たもの。それは、電柱の上に立ってこちらに微笑みかける、『あおぞら』の会長の姿。

(会長が何か企んでいるのね……うふふふ、面白いことになりそうだわ)


2.


 翌金曜日の昼過ぎ。未だ元気の出ない理佐は優菜とるいに励まされながらイッショクへと向かっていた。『神谷君』は結局朝まで帰ってこなかったのだ。

「元気出せよ。今日はあたしも見張りに参加するから」

「るいもするよ。その神谷君を発見次第、制圧して身柄を確保すればいいんでしょ?」

「るい、殺すなよ?」

「オケー、DEAD or DEATH ね?」

「死んでるじゃんか、それ」

 親友2人の掛け合いを聞いても理佐は元気が出ない。正直な話、学食に行ったって食欲なんかないのだ。この2人が空腹なのと、もしかしたら学食に『神谷君』がいるかも、という根拠のない推測にすがってみただけ――

 いた。

 イッショクのど真ん中のテーブルに1人で陣取り、ものすごい勢いで昼食を食べている。

 今日は金曜日だから、ランチはカレー。

 『カレーは飲み物』って言ったのは誰だっけ? 彼はその言葉の信奉者であるかのごとく、皿を持ち上げてみるみるうちにカレーをライスごと体内に流し込んでいく。

 不測の事態に動けずにいる3人を知ってか知らずか、カレーを食べ終わった彼は口をテーブル備え付けの紙ナフキンでぬぐうと、デイバッグの中を探って何かを取り出し立ちあがった。そしてお盆と皿を返却口に返して……こっちに来た!!

「え、えと、あの――」

「これ、君のだよね?」

 そういって彼が戸惑う理佐に差し出したのは、探し求めた白水晶。急展開過ぎて頭が働かないまま、理佐がこくりとうなずいてそれを受け取ると、彼は右手をしゅっと挙げた。

「じゃ、渡したから」

「あ、ちょ、ちょっと待って!」

「ごめん! バイトに遅れるから!」

 そう言い残して、彼は走り去ってしまった。……あれ?

「……めでたし?」

「るいの大立ち回りに乞うご期待、は?」

「なんなのよ、あの男……」

 理佐たちは白水晶が無事に戻った安堵感と、何も言わせずさっさと行ってしまった『神谷君』の素早さに立ち尽くしていた。



 一方、学食の片隅では、ミキマキが一部始終を目撃していた。

「なんやのん? あれ」

「隼人君、なに渡したの? あの子、誰なん?」

 昼過ぎまで食い込んだ実習終了とともに飛び出した隼人を、片付けに手間取った2人はすぐに追いかけ損ねたのだ。

(隼人君、あの子とどんな関係やの?)

 神ならぬ身の美紀には推測の材料すら与えられず、ただただ、その疑問を反復してその日の午後を過ごすことになった。


3.


 日もとっぷりと暮れた街を隼人は原付に乗って帰路についていた。疲れがひどい。

 今日は警備のバイトだったのだが、ちょっとしたいきさつで酔っぱらいに絡まれてしまった。先輩や警備先の社員が間に入ってどうにか収まったのだが、先輩には愚痴られるし社員にはお小言を食らうしでさんざんだった。

 そして、夕食休憩のとき、何気なく携帯を見た隼人はめまいに襲われた。その原因は、真紀からの30分おきの着信記録。慌ててかけてみると、今度は尋問の始まりだった。昼の一部始終を美紀と見ていたらしく、あの女の子はなんだ、どういう関係なんだ、何を渡したんだと追及の連撃に遭ったのだ。

 あのアクセサリを拾った場所だけ大学の構内にして説明し、最後は休憩時間が終わったことにして無理やり通話を切ったのだが、納得していないご様子にゲッソリ感はハンパない。真紀の背後ですすり泣く声も聞こえ、隼人の神経はさらにすり減って現在に至るというわけである。

 駐輪場に原付を止め、ヘルメットを脱ぐと、隼人は部屋に直行すべく足をアパートへと向けた。コンビニでなにか夜食を買ってくるつもりが、うっかりコンビニの無いルートで帰ってきてしまったため何もない。

 しようがないのでご飯を炊いて、そのあいだに冷奴でも食べるかと考えていた彼にとって、背後から呼び止める女性の声は、正直ありがたくなかった。

「すみません。神谷さん、ですよね?」

「……ええ、そうですが」

 苗字まで呼ばれて知り合いだったかと振り向くと、そこにいたのは見覚えのない女性だった。40代だろうか、スーツに身を包んだ外見はOLというよりも管理職のような雰囲気を漂わせている。

 姿勢をすっと立てた女性は隼人が振り向いてくれたことがうれしかったらしく、笑顔を見せると深々と頭を下げた。

「先日は、うちのスタッフを2度も助けていただいて、ありがとうございました」

「スタッフ? なんのことですか?」

 隼人には皆目検討もつかない。人違いじゃないか、そんな疑問が顔に出たのだろう、うふふふ、と女性は笑いながら問いかけてくる。

「3日前と2日前に、それぞれ赤い髪と白い髪の女の子を助けませんでしたか?」

 ――10分後、隼人と女性は近所のステーキレストランにいた。

 先の質問に合点がいき、ようやく女性の話を聞く気になった隼人は、次に名刺を差し出され『ボランティアのサポートスタッフにならないか』と誘われた。意表を突かれて戸惑ううちに腹の虫が限界に達したらしく、盛大に鳴いてくれた。女性はまた笑い、立ち話もなんだしと食事に誘ってくれたのだ。

 注文を終えた女性が話を切り出そうとしたとき、隼人が、詳しい話を聞く前にと先手を打った。

「僕は、バイトを火曜日以外は夜まで入れていて、正直余裕がないんです。だから、最悪火曜日の夕方からだけの、週1回出勤になっちゃうんですけれど……」

「構わないわ」と女性――支部長は断言した。ボランティアの勤務表の穴は正規職員が埋めるので、状況の変化で複数日可能になったら勤務表に反映させてくれればいいとの説明を聞いて納得した様子の隼人に、支部長が期待を込めたまなざしを送る。

「お願いできるかしら?」

「いや、ちょっと待ってください。詳細を聞いてからじゃないと」

 慎重派ねと眼を細める支部長に、笑って韜晦する。

「臆病者ですから。それにしても……」

「? 何かしら」

「いえ、支部長さんが自ら勧誘に来るなんて、本当に人手不足なんだな、と思って」

 隼人の率直な感想に支部長はまた笑い、事情を説明した。

「本当はね、女の子たちにあなたを勧誘してもらおうと思ってたの。でも、お昼はあなたがすぐバイトに行っちゃって話ができなかったそうだし。今、彼女たちは出動している。だから、私が来たの」

「出動? またあの化け物が暴れてるんですか。そもそもあいつら、なんなんですか?」

 隼人が尋ねると、支部長はうなずき、話し始めた。

 あの子たちが変身した姿はエンデュミオールと呼ばれている。隼人が昼、理佐――あの綺麗な子の名前らしい――に返した白水晶、あれを使って変身しているという。

 一方、敵対している者はバルディオールと名乗っているらしく、こちらは黒水晶を使って変身している。バルディオールの統率者は“伯爵”と呼ばれている、年齢不詳の外国人とのこと。

「そのバルなんとかが、なんでここで暴れてるんですか? 伯爵っていうと、なんか外国人みたいですけど」

 という問いにも答えてくれた。

 伯爵の目的は、『あおぞら』の会長が持っている『愚者の石』を奪い我が物にすること、

 そして、会長の身柄を拘束すること。

 2つの石と会長の命、それらが合わさることで持ち主を不老不死にすることができるらしいと“伯爵”側では考えられている、とちょっと持って回ったような表現を支部長はした。要するに詳細不明ということなのか。

「愚者の石? 賢者の、じゃなくて?」

「そう、愚者」

 ここで、注文したものが運ばれてきたため、支部長は話を中断した。ウェートレスが去って後、説明を再開する。

「……ある愚かな行いによって生まれた呪いの石、だそうよ。会長が白、伯爵が黒いほうを持っているわ。……ああ、食べながら聞いてね」

 隼人に食事を摂るよう促し、支部長は自分用に注文したコーヒーを一口すすった。

「それから、バルディオールたちは、この国を“伯爵”の支配下に置こうともしている。そのためにも活動しているようだわ」

 支部長はそこでいったん説明をやめ、隼人が理解する時間をくれた。その後は、ボランティアの現状の説明へと続く。

 今、支部にはエンデュミオール(表立ってはフロントスタッフと呼ばれている)が3人しかいないこと。サポートは支部長を含めて6人で、つい3ヶ月ほど前までは、これで十分回っていたという。ところが、そこから敵の攻勢が突然激しくなって、今はきりきり舞いしているありさまなのだそうだ。

 フロントもサポートも求人雑誌で募集かけられないしねと支部長は苦笑した。ほかの支部も余裕があるところは少なく、主力がボランティアだから、機動的な人員の配置転換も難しいとも。

「そういうわけで、縁のできた神谷君にお願いに来た、というわけです」

 支部長の話が終わり、しばし無言のときが流れた。支部長は、隼人が食べ終わるまで待ってくれたようだ。隼人は紙ナフキンで口を拭うと、ごちそうさまでしたと手を合わせた。

「どういたしまして。食べるの早いわね」

 とやや驚きながら、支部長も最後の一口を飲む。

「ええ。何かと忙しいですから。……支部長さん」

 隼人が一歩踏み込む。

「現場を、見せてもらえないですか」

 支部長に異存があるはずもなかった。



 現場に向かう車中で、運転席の支部長に尋ねる。

「どうして、僕に話を持ってきたんですか? 縁があるにしても、まったく支部長さんともあの子達とも、今まで接点がない人間に」

「接点がなきゃだめ、かしら?」

「僕がどんな人間か、まったく調べずに来てますよね。だから」

 支部長が運転しながらなにかを言おうとして――会長が、と聞こえた気がしたが――止め、理由を話し出した。

「ピンチの優菜ちゃんを助けた勇敢さと、倒れ伏した理佐ちゃんを見捨てずに介抱してくれたその義侠心が、うちに向いていると思ったからよ。あなたが秘密を守れそうな人、というのも大きいわ。スタッフはフロントもサポートも、正体がばれたら大変だから。ネットに書き込んだりしてないでしょ、神谷君?」

 運転中の支部長からの横目での問いに、隼人は応じた。

「ええ、まあ。なんかあの去り際からして、秘密の仕事なんだろうな、って気がして」

「最近、見聞きしたことを深く考えもしないでつぶやいたり、ブログに乗せたりする人が増えてるじゃない。そういうのを検索して対処するのも私の仕事なの。で、そういうのが見当たらなかったから、あなたを信用できる人、と判断しました」

 本当に人手不足なんだな、と隼人は思った。こんなに簡単に、つい3日前まで赤の他人だった自分に、ばれたら大変だという秘密を打ち明けて、仲間にならないかと誘っている。

 勇敢で義侠心がある、と言われたことは少しうれしかったが、こうもあけすけで、そのほかの機密保持は一体どうなってるのかと、そこが不安でもある。

 でも、あの子達――今の話から推測すると、赤髪の方が優菜で、白髪のほうが理佐っていうのか――のあの戦いや傷を見てしまうと、助けてやりたいという気持ちも沸いていることは確かだ。けど、俺1人が入ったって、なにが変わるのか。いやしかし……

 考え込んでしまった隼人に、支部長はあえて催促しないつもりのようだった。だが、彼女も言葉を発せざるを得ないときが来た。車は静かに停車し、隼人のほうを向いた支部長が、なぜか厳かに告げる。

「あなたは運がいい。バルディオールのおでましよ」


4.


 隼人が連れてこられたのは、港の倉庫街だった。人気のない、ついでにいうと火の気すら厳禁のはずのこの場に、紅蓮の炎が渦巻いていた。

「ほらほら、どうした? もう終わりか? このバルディオール・フレイムに1発でも当てれば、この場は勘弁してやる、そう言っているだろう?」

 侮蔑と愉悦をないまぜにした声音でエンデュミオールたちを嘲弄している女がいる。

 肩甲骨の辺りまで伸びた髪は炎のように赤く、瞳もまた同様だ。黒ベースに赤い模様の入った上着に、くるぶしまであるロングスカートもこれまた赤と黒のラインが交互に入っている。右手からは炎がなぜか地面まで長く垂れており、まるで鞭かなにかのよう。

 彼女はさらに嘲弄する。

「せっかくこの私が出てきてやったんだ。もう少し楽しませてくれよ」

「なめやがって。これでもくらえ! ボリード!」

 赤い髪のルージュが立ち上がりざまにスキルを発動し、巨大な火球を放つ。火球は一直線に飛び、フレイムに当たってその身を炎で包んだ。だが。

(効いてない?)

 隼人が見る限りでは、彼女はいたって涼しげな顔で屹立している。

「キミはバカかね? 同じ炎系の私に、しかもこんな下等なスキルでダメージが与えられると、本気で思っているのか?」

 くやしさに唇をかむルージュに代わって、青い髪のエンデュミオールが叫ぶ。

「ならこのアクアがその炎を消してやるわ。トライアド!」

 彼女の周りに、たちまち水が生成され、3本の水の槍を形作られた。3本は彼女の手前で捻りより、さらに巨大な1本の水槍となって敵に迫る。

 だが、気合とともにフレイムが左手を額にかざすと額の黒水晶が光り始める。そのまま左手を前にかざすと、水槍とフレイムとの間に分厚い炎壁が立ちふさがった。水槍は炎壁と衝突し、あえなく蒸発する。

「無駄なことを……むっ!?」

 嘲りの言葉を発しようとしたフレイムが、左に身をかわす。先の水槍と炎壁による蒸気に紛れて、白い髪――ブランシュが突進していた。

 少し手前で跳躍して炎壁を越え、降りざまに手にした氷槍を振り下ろす。かわされたブランシュは着地し、そのまま氷槍を右に一閃するも、紙1枚ほどの差でまた敵にかわされた。

 なおもラッシュを仕掛けようとするブランシュに、フレイムが言い放つ。

「溶けろ雪女! リヒューザル!」

 先ほどと同じくフレイムの前に炎壁が出現した。いや、先ほどのより2倍ほど縦横とも長い。その炎壁が号令一下、唸りを上げてブランシュに迫る。ブランシュはとっさに左に横っ飛びして逃れたが間に合わず、右脚が炎壁にかかってしまった。

「うっ……」

 ブランシュの右くるぶしから下が、見る間に焦げ、嫌な音を立てる。動きを封じられた白いエンデュミオールに詰め寄ろうともせず、フレイムは悠然と微笑む。

「さあ、次はどうする?」

 その言葉は同時に、支部長から隼人に向かって放たれてもいた。聞き間違いかと見つめる隼人に、支部長は繰り返す。

「対応策を聞いたのよ。あなたなら、このあとどうする?」

「撤退します」

 即座に答える。

「赤と青が援護している間に、サポートで白を回収して――」

「却下」と支部長に切り捨てられた。

「あいつを撤退させる方策を聞いてるの」

 なぜ僕がそんな、という言葉を飲み込んで、支部長の眼を見る。支部長は口元だけで笑うと、その口から意味不明な言葉を紡ぎだした。

「あなたは会長期待の新人なの。だから答えて、その期待に。あの蛇のような女から、仲間を救って」

 意味が分からない。分からないが、今の支部長の言葉で思い浮かんだ記憶が、隼人の思考を加速させた。

「3つほど教えてほしいんですけど」

 数分後、隼人の立てた作戦は、支部長考案ということにして、エンデュミオールたちに無線機を通じて伝えられた。

 了解、と3人が答え、まずアクアがフレイム目掛けて突進する。一方、ルージュは右拳を握りしめ、スキルを発動させるべく準備を開始する。

 フレイムは相変わらず悠然の体でかまえ、近接戦闘を仕掛けてきたアクアを適当にあしらい、隙を見つけてはカウンターを打ち込んでくる。アクアの軽い身のこなしで一撃くらうところまではいっていないが、徐々に押され始めており、そう遠くないうちに致命的な攻撃を食らうことは明らかだ。

「まだか、まだか……」

 隼人は両拳を握り締め、見守るしかない。手のひらだけではなく、全身に嫌な汗が噴き出ている。そして、ようやく待ち望んだその時は来た。

「くらえ! フラン サーペント!」

 ルージュは、長大な炎の蛇を作り出していた。それを正対するフレイム目掛けて放つ。と同時に、ブランシュが氷槍を垂直に捧げ持ち、額の白水晶が光ると同時に、槍の穂先が3つに分かれて展開して十文字槍となった。

 いや、穂の根元を中心に白い光が槍先に膨らみつつあるところをみると、あたかも十字を頭に頂く杖のようだ。そうこうしているうちに、炎蛇はフレイムに迫る。

「学習能力のない女だな」

 フレイムは薄く笑い、ブランシュのスキル発動に一瞥をくれる。だが、再び正面を向いたとき、炎蛇は消えていた。いや、正確には、視界から消えていた。

「なにっ?!」

 消えた炎蛇を探して立ち尽くしたフレイムに、足元まで急降下して地面すれすれを這い寄った炎蛇がその身を巻き付かせる。時間をかけて大きくしたそれは、フレイムの脚のみならず腕まで締め付け、動きを封じた。

「トライアド!」

 アクアが水槍を放つ。だが、溜めが短かったのか、先ほどのものより細い。これなら、この炎蛇自身の体で蒸発させられる。そう踏んだフレイムは、その時自分の右からスキル発動の声を聴いた。

「ゼロ スクリーム」

 ブランシュが厳かに告げ、槍を振り下ろす。放たれた白い氷の球は、当たったものすべてを絶対零度で凍らせる。白氷球はしかし、なぜかフレイムへは向かわず、あさってのほうへ飛んでいく。

「どこへ投げているのだ、へたくそめ」

 フレイムが嘲笑いかけたが、その表情はたちまちこわばる。水槍に白球が衝突し、尖鋭な氷の槍と化していた。白氷球は敵を狙い、それたのではなく、初めから水槍をめがけていたのだ。

「ちいぃ!! アナイアレーション!」

 フレイムが初めて余裕を失い、スキルで全身を炎で包み、もって炎の蛇を焼き尽くして束縛から逃れんとする。たちまちのうちに身を焦がされ、滅ぶ炎蛇。それすら待ちきれず蛇身を引きちぎったフレイムは、左に転がり難を逃れようとするが、氷の槍が一瞬早く、その右肩を貫いていた。

「やった!」

 隼人は拳を握り、ガッツポーズをとる。だが、エンデュミオールたちは動かない。そのまま対峙し、いくばくかの時が流れて、やっとフレイムが声を発した。

「くくく……よくやった。いいだろう、約束通りここは引いてやる。さらばだ」

 フレイムは踵を返すと、高く跳躍して手近な倉庫の屋根に飛び乗り、そのまま屋根伝いに去っていった。



「ふう、終わった終わった」

 アクアに治癒してもらって一息ついたルージュとブランシュが、アクアともども支部長のもとにゆっくりと帰ってきた。

「支部長、いい作戦でした……げっ!」

 とルージュが隼人を見つけて声を裏返す。いや、年ごろの女の子が『げっ』てのはいかがなものか。隼人は苦笑して慰労の言葉をかけた。

「お疲れさん。良かったな、約束どおり引いてくれて」

「支部長、なんでこいつがここにいるんですか!?」

「まあそう言わないの、ルージュ。今の作戦は神谷君が立てたのよ? それより、あなたとブランシュは彼に何か言うことがあるんじゃないの?」

 支部長が二人に問いかけると、ルージュは思い出した様子で、おずおずと切り出した。

「あの、この前は、助けてくれてありがとな。それから、その、すぐいなくなっちまってごめん。乱入されるなんて初めてで、どうしていいかわからなくなっちゃって」

「ああ、いいよ。それは気にしてないし」

「アクアからも、ありがとう」

 ルージュの横から、青い髪のエンデュミオールが話しかけてきた。

「さっきの作戦、アクアなら溜めの時間を長く作れるって、信用してくれたんでしょ?」

「うん、まあ」

「ふふっ、ありがとね。はい、次はブランシュ!」

 促されたブランシュはためらいがちに進み出ると、ぺこりと頭を下げた。

「白水晶を見つけて、返してくれて、ありがとう」それだけいうと、さっと後ろに下がってしまう。

「ああ、ごめんな。勝手に持っていっちゃって」

 隼人も返事をするが、ブランシュと呼ばれた女の子は微妙に視線を外したままだ。

「ん? なんだブランシュ、照れてんのか?」

 とルージュが顔を覗き込み、アクアが声を上げた。

「あかいあかい、ぶらんしゅがあかい」

「う、うるさいわね! 面と向かってお礼言うのって、照れくさいじゃない……」

 仲間のリアクションが珍しいらしく、からかい始めた二人を見て、支部長が微笑みながら隼人に言う。

「こんな職場だけど、どう? 神谷君」

 そうですね、と一応考えるふりをした隼人だが、さっきの戦いを、そして、傷つきながらも戦う彼女たちを見て、心は決まっていた。この子たちと一緒に戦い、この子達を守りたい。そう、素直に思えたのだ。

「やります。とりあえず週1ですけど」と隼人は答えた。

「いやだから、なんでこいつがここにいるんですか?」

「あなたたちがボヤボヤしているから、私が大人の魅力で誘ったのよ。ねぇ、か・み・や・くん?」

 支部長がしなを作り、いたずらっぽい笑みを浮かべてウィンクしてきた。

「ええ、大変おいしゅうございました」

「な、なななななな?! 可奈さん、あんた妻も子もいる身でいったい――」

「ルージュ、性別が逆だよ逆」

「なに冷静にツッコミ入れてるのよアクア! ていうか、あなた、20以上年上の人によくもまあ――」

「ん? 何勘違いしてんだ?」

 わたわたしているルージュとブランシュに引導を渡すべく、隼人はにやりと笑う。

「俺が食べたのはステーキ定食だぜ? 大学から少し離れたところにあるだろ? ステーキハウスが」

「ねぇねぇ、私が一体何を食べさせたと思ったの? ねぇ?」

「支部長さん、若い子をからかうのはそれくらいにして、帰りましょう」

 耳まで真っ赤になってしまった2人を見かねて、サポートスタッフのまとめ役っぽい男性が止めに入る。各所で通行止め等をしていたサポートの人たちも、いつの間にやら集まってきていた。

「そうね」と、支部長は管理職の顔に戻って、隼人のほうを見やる。

「彼は私が送っていくわ。ついでだから神谷君、簡単に自己紹介して。来週の火曜日に改めてしてもらうけどね」

「はい。――初めまして、神谷隼人と言います。縁あって、サポートのボランティアをすることになりました。あまり出勤できませんが、できる限り頑張りますんで、よろしくお願いします」

 あいさつを終えた隼人に拍手が送られ、激闘の場は和やかな雰囲気で幕を閉じた。隼人は家路に着き、他のメンバーは支部へと戻るため、ボランティアの車に足を向けた。

 こうして、隼人は『あおぞら』の一員となった。ひょんなことから『あおぞら』に関わりを持った人間が、サポートとして、あるいはエンデュミオールとしてボランティアの一員に迎えられる。全国の支部でたまにある、しかしありふれた風景だった。

 だが、今夜のこのできごとは、結果的にはいつもと違ったものとなった。隼人の加入は、会長をはじめとする『あおぞら』のメンバーとそれに敵対する者たち、そしてまだ見ぬ人々の運命を大きく変えることとなるのだ。

 そのことをまだ、誰も知らない。

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