死んだ思い出
言霊遊
死んだ思い出
「健やかなる時も、病める時も、お二人は永遠の愛を誓いますか?」
神父が優しくそう言った。一応確認の為にちらりと彼の方を見ると、目があった。「誓ってくれる?」と目配せ。「もちろん」と彼は頷いた。お互いに、笑い合う。
「「誓います」」
神父はその言葉を聞き、微笑んだ。私たちの幸せの瞬間を、見守ってくれている。神父だけではない。父母や友人、この結婚式に出席した全ての人が、私たちの幸せを祝福してくれているのだ。私は今日、ここで結婚式を挙げられたことを、神に感謝した。
「では、誓いのキスを」
その言葉を合図に、私と彼は向き合った。ベール越しに彼が少し緊張しているのが分かる。めでたい事とはいえ、人前でキスするのはこれが初めてだ。私もちょっと恥ずかしい。今からキスしますよ、と宣言してキスするというのは、多分人生で今日限りだろう。よくよく考えると、相当恥ずかしいことをやろうとしてるのね。ベールを上げる彼の手が、震えていた。
「リラックスして」
小声で彼に注意する。人生一度の結婚式だもの。楽しまなきゃ損よ。
「お、おう。これは武者震いだ」
「まあ。それはどんなキスをしてくれるのか、楽しみね」
どうやら、キスをするのに嬉しくて震えているらしい。彼の言葉がおかしくて、クスクスと笑ってしまう。
彼がゆっくりと顔を近づけてきた。どんなすごいキスをしてくれるのかしら、と今か今かと待っていたが、ひらめいちゃった。
私はピョンと背伸びして、そのまま彼に一瞬の、小鳥が餌をついばんでいる様な、短いキスをした。
「あ」
予想と違ったのか、彼が思わず漏らした声は、拍手の大喝采の喧騒に飲まれて消えた。私は、その時の彼の間の抜けた顔を決して忘れることはないでしょう。彼ったら、まるで幽霊を見る様な顔してるんですもの。
結婚式は無事終了。私は花嫁衣裳のまま式場の外にあるカフェに赴いた。私は、満たされていた。周囲の人が私の姿を見て、微笑んだり、おめでとうと声をかけてくれる。私はこの時、確かに世界で最も幸せな女なのだ。神様だって、それは否定できないわ。
カフェには様々な人がいて、平和な午後のひと時を満喫していた。コーヒーカップを片手に、男と男、女と女、男と女の間で多種多様な世間話が飛び交っている。中には一人でパソコンに向き合っているサラリーマンの方もいた。お仕事中なのかしら。
私はそんな人たちが囲むテーブルとテーブルの間を、颯爽と抜けていった。誰にも私は止められないの。私はまるで単身で相手ゴールまで攻め入る凄腕のサッカー選手よ。あ、こういう場合はスゴ足かしら。
そんな私の視界に、奇妙な男が入った。男は私の進むカフェの奥に、私の真ん前に立っている。イスには座らず、壁に背を預け本を読んでいた。歳は40過ぎぐらいだろうか。紫の趣味の悪いスーツを着ているが、顔は日本人離れして、整っている。
こんな恰好をしていたら、目立って仕方がない様な気がするのだが、他の人間は彼の事など見ていない。見ていないどころか、気付いてすらいないのではないか。私は好奇心に駆られた。普段の私なら絶対にしないであろう、怪しい人物に声をかけたのだ。だって、今の私は、無敵のストライカーなんですもの。
「ハロー、ゴールキーパーさん。そこにいると、シュートが打てないわ」
男は私に気付いて、本から顔をあげた。私の方が背が高いので、あちらは私を見上げる形になる。
「これは大変失礼しました。これで良いでしょうか」
すごく渋い声だ。ハリウッド映画のムキムキの主人公の吹き替え音声みたい。ダンディで素敵。男はかしこまってお辞儀をして、壁を明け渡した。そのまま手近な空いているテーブルにつくと、また本を読みだした。私も男と向かい合う形で、同じテーブルにつく。
「何か私に用ですか」
「あなたが面白いと思って。迷惑かしら」
こんな脳内お花畑の女に「あなたは面白い」と言われれば、誰だって迷惑に、不審に思うだろう。特に本を読んでいる時なんかは。
しかし、男は全く不快感を顔に出さず、さっきのダンディな声で、
「構いませんよ」
だって。ますます素敵。気に入ったわ。
「私、一目見て、あなたは普通の人じゃないって思ったの。ピンと来たわ。どうして立って本を読んでいたの?」
「立っている方が、店内が良く見渡せるでしょう。それでですよ」
男はミステリアスな微笑を浮かべて私を見ている。
「つまりあなたは、本を読むふりをして、店内に睨みを効かせていたのね」
「まあ、そういうことですね」
店内を見渡す理由は何だろう。張り込みの刑事だから? このカフェに極悪非道な犯罪者がいて、それを監視しているのかしら。私はあたりを見回した。みんな善良そうで、とても悪人には見えない。
しかし、それにしては派手な服だ。私が知っている張り込みの刑事は、もっと地味な色のコートを羽織っている。手にはアンパンと牛乳を持って。
「カフェにアンパンは合わないわね」
その言葉を聞いて、男は大きく口を開けて、豪快に笑った。あまりの声の大きさに、近くにテーブルに載っているカップがカチャカチャと音をたてて震えている。
「ちょっと!そんなに笑わなくても……」
周囲の視線が痛い。
「失礼、失礼。私からしたら、あなたの方が面白い人ですよ。いやいや、実に興味深い」
男は眼に涙を浮かべて、まだクックックと小さく笑っていたが、周囲はというと先ほどの事などなかった様に、静かな午後の一時に戻っていた。
男はようやく落ち着きを取り戻すと、私の顔をじーっと見つめてきた。その瞳は宇宙の様に、どこまでもどこまでも続いているように見えて、神秘的な輝きを宿している。
「お嬢さん、あなたは面白いお方だ。ここはひとつ、私も面白い話をしましょう」
男はパタンと本を閉じて、その本をテーブルに置くと、テーブルに肘をつき、掌の上に顎を乗せた。極めてゆったりとした一連の動作が、まるで映画のワンシーンの様な印象を私に与えた。なんていうか、わざとらしい。
「実はね、私は悪魔なんです」
男の口から出てきた言葉は、どだい午後の平和なカフェには似合わない代物だった。
「あら、冗談がお上手ね」
「本当ですよ。正真正銘の悪魔です」
男は不敵な笑みで、私を見る。私も男をじーっと見つめてみるが、どこからどう見ても人間だ。
「角やしっぽはどうしてるの」
「ああ、それですか。悪魔が悪魔らしい恰好をしてちゃ、このご時世、ビジネスにならんのですよ。人間の姿で相手の警戒を解かねばなりませんゆえ。あんな古典的で典型的な悪魔の姿じゃ、こんなお洒落なカフェには出入りできませんし」
「洒落た悪魔ですこと。でも何だか、本当にあなたは悪魔の様な気がしてきちゃったわ」
「そうでしょう、そうでしょう」
悪魔が満足そうに相槌を打つ。よくよく考えてみれば、カフェにこんなに奇抜なファッションの人間がいれば、視線は自然に集まるはず。人間って、随分と失礼な視線を、自分の好奇心を、制御するなんてよくできた種族じゃないわ。でも、この人はまるで空気の様にこの雰囲気に溶け込んでる。やはり悪魔の力で何かしてるんだわ。間違いない。
「悪魔のお仕事は、やっぱり人間の魂の回収?」
「ええ。多分その想像通りで問題ないと思います。私は人の願いを叶えて、そして魂を対価としてお支払いいただく。単純明快です」
ビジネスですよ、と悪魔が言う。その気になれば人の魂なんて簡単に奪えそうなものだ。それにも関わらず、相手の了承を得た上で、ウィンウィンの関係を築く。安心と信頼の悪魔ビジネス。
「私が読んだ本では、悪魔は召喚した人の元へ現れたわ」
「昔は一定数、悪魔を召喚する人間がいたのですが……。この科学の時代に、悪魔を召喚する儀式をやる人間なんて物好きはなかなかいません。一方的に召喚されるだけでは仕事のノルマが達成できなくなってしまったのです」
悪魔は苦笑いを浮かべている。不景気の波は人間の世界だけでなく、悪魔の世界にも同様に訪れているらしい。
「でも今の人達は魂なんて非科学的なもの、ほとんど信じていないものでしょう? だから魂を奪われようが奪われまいが関係ないんじゃないかしら。結構儲かってるんじゃない?」
「それは魂に根拠がないからですよ。私が向かう先々で、魂を信じていない人にビジネスを持ちかけたことがあります。みんな私の話を聞いてからは、コロッと態度を変えてしまうんです。悪魔のお墨付きですからね。途端に自分の魂が惜しくなってしまうみたいです。今まで散々無視し続けていたはずなのに」
悪魔がため息を吐く。まあ人間なんてそんなものよね。
「お嬢さん、いかがです? 魂と願いの交換なんてどうですか?」
「うーん。私、特に叶えたい願いなんてないしなあ……」
悪魔はガックリと肩を落とした。可愛くなりたいとか、やせたいとか思ったけれど、魂と交換するレベルの願いではないし。
「まあ、そうですよね。中でもあなたは、幸せの絶頂におられるお方。悩みなんて皆無ですよね」
そう。私は今人生で最も幸せだと私が思う瞬間にいるのだ。そんな私がさらにお願いなんて、罰当たりだわ。
でも、人生で最高の瞬間だからこそ、私、思っちゃうの。今日が終われば後の人生は、今日よりはつまらないものになるんじゃないかって。一度頂に登ってしまえば、後は下りるしかない。そういうものなのよね。
その瞬間、私は閃いた。あるわ。良い方法が。
「その取引、考えてみようかしら」
私の言葉に悪魔の目が細められる。
「ほう。やはりあなたは面白いお方だ。願いの方を、少々お伺いしてもよろしいでしょうか? それからどうするか決めましょう」
「私は今日をずっと繰り返したいの。この人生一度の最高に幸せな日を。ずーっと、ずーっと。それってとっても素敵なことだと思わない? 魂をかけるくらいに」
「ははーん。そうきましたか。しかし、お嬢さんは中々頭が良いようですね。本当は魂なんてかける気、ありませんね? 悪魔との取引で永遠に関する願いは受け付けておりません。 永遠に関する願いでは、私は儲けを得ることができませんからね。ビジネスですので」
私の悪巧みは一瞬にしてバレてしまった。まあそれはそうよね。相手は数々の人間と命の取引をしてきた交渉のプロ。こんなケース想定していないわけがない。
「あちゃー。まあそうですよね」
他に願いも思いつかないし。この話はなかったことにしてもらおう。そう思った時。
「しかし人間界ではお客を呼ぶ為に、いわゆる”赤字営業”なるものがあるそうですね。お嬢さん、ラッキーですね。今回は特別に、永遠に関する願いでも取引に応じますよ」
悪魔が天使の様に微笑む。
「ほ、本当に!? いいの!?」
「はい。本当にいいですとも。その代わりこちらからもいくつか条件を提示したいのですが、構いませんか?」
「聞いてから考えるわ」
「意外に慎重なお方ですね。まあ取引では大事なことです。私からの条件は、再現性に関してが一つと、永遠の今日の終了条件が一つです。まず、前者から。今日の出来事を再現することが条件です。つまり、結婚式へは強制参加です。細かいところはいいですが、大筋のシナリオに大きな変更を加えることは許可できません。これを許すと、何でもアリになってしまいますからね。もしそんなことをすれば、取引放棄とみなして、即刻、魂を徴収させて頂きます」
それはそうね。それを許せば、今日を明日として過ごせてしまうのだから。それこそ永遠になってしまうわ。
「もちろん。私はこの幸せを繰り返したいの。そんなこと、頼まれたってしないわ」
「良い心がけですな。次に後者。あなたが今日を終了したいと思ったのなら、私を呼び出して、終了とおっしゃってください。これにより、完全な永遠の願いではなくなり、悪魔営業法第25条に抵触しなくなります。グレーゾーンではありますが……」
悪魔の世界に法律があるなんて、知らなかった。もっとも、今日まで悪魔の世界があるということも、知らなかったのだけれども。悪魔が話を続ける。
「終了の時点で、あなたの願いは完遂されます。私は魂を受け取る。途中で取引を破棄することはできません。条件は以上です」
「OK、分かったわ。私が最高の幸せを放棄するなんて、あり得ないわ。二つ目の条件は、ほぼ無いようなものよ。まあ一応、あなたを呼び出す方法を教えてちょうだい」
悪魔が胸のポケットからハンカチを取り出す。それには何やら複雑な模様が描かれている。三角や丸をたくさん組み合わせた、魔法陣の様な模様だ。
「こちらを燃やして頂ければ、私がお伺いに行きます」
「なるほど、分かったわ。あなたの条件、私はノープロブレムよ。取引成立ね」
私は悪魔と握手をした。悪魔の手は、とても綺麗だったけど、とても冷たかった。
「はい。ありがとうございました。それでは素敵な”今日”を、お楽しみください」
悪魔が笑った。その笑顔は、天使の様な笑顔だったけれど、どこか既視感を覚えるものだった。
次の日、私は起きて真っ先に日付を確認した。あの悪魔との夢の様な会話が、本当に夢じゃないのかを確かめるためだ。目覚まし時計に表示されたデジタル数字は、昨日の朝になっていた。信じられない。本当に、本当だったんだ。私はガッツポーズをした。これからはこの最高の今日を生きればいいのだ。なんて素敵なんだろうか。この日の私はそう思ってウキウキしていた。
今思えば、私はその日の私をぶん殴ってやりたい。どこまでも能天気で、刹那の幸せを引き延ばそうとした愚かな私を。
どうして今、13457983723867回目の今日を過ごす私がそう思っているのか。
簡単な話だ。飽きたのだ。代わり映えのしない”最高の今日”に嫌気がさしたのだ。そりゃそうよ。どんなに好きな食べ物でも、毎日食べていると飽きる。頂がずっと続いて、山はただの平坦な砂漠になってしまった。最高の一日は、思い出になるから最高の一日たるのだ。思い出になれなかった”今日”の、なんて退屈なことか。思い出は死んだ。今日というゾンビになってしまった。
悪魔は初めからこのことを分かっていたのよ。きっと。天使の様な微笑みだと思ったあの笑みは、私が暮らす人間の世界でも良く見る。あれは、ビジネススマイルというやつよ。ちっとも祝福なんてしていない、張り付いてるだけの笑顔。私はまんまと騙されたの。良いカモだったってワケ。でも、取引は破棄できない。それは代価の支払い、すなわち魂を失うことを意味するから。
私が今日まで取引を続けてきたのは、私が負けず嫌いだから。私が永遠に今日を繰り返せば、私の勝ち。永遠に嫌々繰り返さなきゃいけない時点で、私は既に負けている気がするけれど、構うもんですか。悪魔にギャフンと言わせてやるまで、続けてやるのよ。この不毛な最高の一日を。
でも最近考えちゃうの。永遠の退屈と、魂を奪われること、どっちが最悪か、てね。そうして後者の方が、何だか解放される様に思えてならないのよ。このことについて、考える時間もだんだん増えてきたし。今では四六時中、夫とキスする時でも考えてしまうの。
まあ考え事はこれくらいにして、そろそろ寝ようかな。私は後何日生きられるかな。それが寝る前に私の頭に浮かんだ最後の言葉だった。
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