第Ⅰ章 失われた記憶を求めて

Episode1 記憶



 そこは我々が科学という技術を使い、文明を謳歌しているこの世界とは次元の異なる世界。


 そこは人間属する「光族」と、魔物属する「闇族」が対立しあう"魔法"の世界。





 今なお戦火の絶えない世界の片隅で、一人の少年が目を覚ました―――――










        ◇ ◆ ◇





「・・・・・・。」





 重たい瞼を開き、ぼやける目を凝らす。段々と鮮明に目に映っていく木の天井をしばらく見つめた後、鉛のように重い仰向けの身体をゆっくりと起こした。


 木の香りに混ざってほんの少し埃っぽい香りが漂う。見慣れないベッド脇の窓の景色は、そこが草木豊かな小高い丘の上の小屋であり、今がまだ太陽高く上る昼間である事を示していた。視線を室内に移すと、今自分がいる物とは別にベッドが2つ、そして机と椅子が並んでいる。そして、自分のすぐ脇に金髪の少女が一人、こちらを向いたまま椅子の背にもたれて寝息を立てている。状況から察するに、どうやらここは複数人が生活している小屋で、自分が何らかの理由で気を失っていた所を助けられ、この目の前の少女が今まで介抱してくれていたのだろう。

 しかし気を失っていたとしたらそれは何故?一体どこで?目覚めたばかりのせいなのかどうかよく分からないが、頭がよく働かない。記憶の糸を手繰ろうにも、どうもうまく思い出せない。



 このまま考え続けても埒が明かないと思い、とりあえず目の前の少女を起こしてみようと、その肩に手を伸ばす。



「あの・・・」

「・・・ぅ、ん・・・?」



 小さく声を漏らしながら目を覚ました少女は、目を擦りながらゆっくりと顔を上げる。鼻筋の通った端正な顔立ちは、自分と同じくらいの年回りだろうか。



「・・・あら、気が付いたのね、よかった。ごめんなさい、ついつい寝ちゃってたわ・・・。」



小さくあくびをしながら少女はこちらに向き直る。そして彼女のグリーンの瞳と目が合った瞬間、何故か彼女の顔が引き攣る。





「・・・何?あなたのその目は?」


「えっ・・・?」




 ガチャッ




「今戻った。さっきの人の調子はどうだ?・・・って、お!気が付いたか。良かっ・・・。」



 妙な質問をされた矢先、唐突に部屋のドアが開かれ、複数の少年少女が入ってきた。先頭の小柄な少年はこちらを見て一瞬安堵の表情を浮かべたが、目が合うと先程の少女同様に凍り付いた。

 周りのメンバーもこちらを見て明らかに動揺する中、一人澄まして前に歩み出たのは黒髪の少年である。



「まあ落ち着け。見たところ闇の気配は感じられない。とりあえずまずは話を聞こうじゃないか。」



 そう静止されて一同は押し黙る。その状況といい風格といい、どうやらこの少年がグループのリーダーのようだ。その少年を筆頭に一同はベッドの前へとやってくる。人数は全部で6人、少年が3人と少女が3人。いずれも年回りは近そうだ。リーダーの黒髪の少年が口を開く。



「驚かせてすまない。まずは自己紹介といこうか。俺はルーク・マクシエル。見ての通り俺達はドーリア帝国軍人で、俺はこの小隊の隊長を務めている。あんたの名前は?」



「・・・シアン。シアン・エリオット・・・。」



 ルークと名乗った少年の強い眼力に押されて、若干萎縮しながらも自らの名を名乗る。自分でも、自分の名をしっかりと確認するような、そんな口調で。



「シアンか・・・。いいだろう。さて、今のこの状況に至る経緯を話そうか。俺達は軍と言っても、この隊は敵や魔物との戦闘以外にも、魔道の研究や一般人が立ち入れない魔物の巣窟での調査・採集活動も任務として行っている。今朝、俺達は任務でこの小屋の先、さらに深くにある魔物の巣窟のトリステ山を訪れた。そうしたら山奥であんたが行き倒れていたんだ。そこを助け、俺達の生活拠点であるこの小屋へと運んだというわけだ。」



 ルークの話を聞きながらシアンは頭の中でその言葉一つ一つを反復させていた。だが、なぜかどの内容もしっくりと来ず、頭の中で謎が深まるばかりである。



「まさか俺達以外に人が立ち入らないような魔物の巣窟に、人が倒れているとは思わなかった。一体あの場所で何をしていたんだ?」



 ルークはそう言って顔を覗き込んでくる。思わずたじろぎ目をそらすが、その後のルークの反応に警戒しながらも、恐る恐る言葉をつなぐ。





「・・・分からない・・・。」



 細々としたその言葉に、ルークの後ろにいた一同は顔を見合わせる。ルーク自身も怪訝そうに眉を寄せ、目を伏せたまま口元を震わせるシアンを見つめていた。

 自分でも合点がいかない本心を漏らした言葉に、きっと怪しまれているに違いない。そう感じて怯えているシアン。突き刺すような、ルークの視線。




「分からない?ではシアン、お前の家はどこにある?」



「・・・分からない・・・。」




 しかし、今度の問いかけにも先程と同じ返答しか出来なかった。強い不安感とルークの強い眼差しに圧倒され、固まったまま冷や汗を流すシアンの姿は、まさに蛇に睨まれた蛙である。




「お前の職業は?」


「・・・覚えてない・・・。」




「お前の両親の名前は?」


「・・・分からない・・・。」




「・・・本当に覚えていないんだな?」


「・・・覚えてない。名前以外は、本当に何も思い出せないんだ・・・。」




 事実、その通りだった。訊かれるたびに必死に頭の中で記憶を手繰ろうとしていたが、空白ばかりが目立ち、困惑の感情が積もるだけである。

 周りの一同も不安と驚きの混ざった表情で見守っていたが、ルークはしばらく黙ったままシアンの目を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。




「・・・最後に一つだけ訊いておく。・・・シアン、お前のその目の色は何だ?」



「・・・えっ?」



 言っている意味がよく分からず、露骨に困惑する。返答に詰まるシアンを見て、ルークの脇にいた先程の金髪の少女がすかさず顔の前に鏡を差し出してきた。シアンは不思議に思いながらも鏡を覗き込む。そして鏡の中の自分と目が合うと、思わず息を飲んだ。





 色白な肌、淡い金髪、どことなく中性的なほっそりとした顔の中に、不釣り合いな紅色の瞳が2つ。その瞳が放つ輝きには、魔力を秘めているようなオーラがあった。





 その異様さに思わず取り落とした鏡を拾い上げたルークは、再びシアンを向き直る。走る緊張感。





「紅い瞳の人間は過去に見た事がない。その上瞳そのものに魔力を宿している人間となるとなおさら奇異だ。・・・シアン、本当に何も知らないんだな?」




 シアンは未だに動揺で魚のように口を開閉していたが、やっとの事で声を出す。




「・・・知らない。自分でも分からないんだ・・・。」




 目を覚ましてからずっと不安に苛まれていたが、抜け落ちた記憶、奇妙な紅眼に、段々と自分という存在そのものにまで恐怖心が芽生えてくる。





  ――――自分は一体何者なのだろうか・・・?――――




「・・・そうか。」



 ルークは半ば諦めたように、呆然としたまのシアンから視線を外した。緊張の切れたシアンは大きく息を漏らす。




「千里眼の魔法で真偽を確かめさせてもらったが・・・、どうも本当に覚えていないようだな・・・。紅眼について気にはなるが、闇の魔力はないようだし、安心して大丈夫だろう。」




 それを聞いた一同も、警戒が解けたのかほっと胸を撫で下ろす。しかし、危害を加えられる心配は無くなったものの、ただ一人わだかまりを拭いきれないシアンは、ベッドから身を乗り出して声をあげる。



「でも、俺はこれからどうしたら・・・?自分の家も何も分からないし、行く場所がない・・・。」



 助けてもらった恩に感謝する一方で、身を寄せる場所がない事がずっと気がかりだった。このまま礼を言ってこの小屋を出たところで、すぐにどこかでのたれ死んでしまう事は明らかである。

 それを聞いた一同は一瞬何か考えたようだが、すぐに互いに目配せをして頷き合った。ずっと表情の硬かったルークが、先程とは打って変わってほんの少し口角を上げて言う。



「軍人を何だと思っている?国のため、人のために尽力してこその軍人だ。乗り掛かった船だ、記憶が戻るまでシアンをこの隊で預かろうじゃないか。失った記憶の手掛かりも探す事にも協力する。いいだろう?みんないい奴らだ。」




 そういってルークは右手を差し出す。シアンはその提案に驚いて周りの一同に視線をやるも、皆何一つ不満のない笑顔だ。その空気に押され、自分も軽く微笑んでルークの手を握り返した。先程まで冷たい視線を向けていたルークの、温かい手。




「ありがとう、よろしく頼むよ。」

「あぁ。じゃあ、隊員を一人一人紹介しようじゃないか。―――――」







こうして紅眼の少年と、軍隊の共同生活が始まった。――――――





                          to be continued...




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