第5話 薬草の庭
あれは草の香りだな。
「じぃじーだっこぉー」
昼食を摂りに薬局から戻ってこられたお祖父様に私は飛びついた。薬草のいい匂いがする。
「おおおほ、うははは。ちょっと待って瑞くん。白衣脱ぐから待っててー」
両手を差し上げ、背伸びして抱っこをせがむ私を待たせて、お祖父様はさっさと白衣を脱いでしまわれた。あの、白衣のパリッ効いた糊の匂いと薬草の香りがいいのに。
「あはは、瑞くん。じぃじ薬臭いだろ? 好きなの?
じぃじの胸の辺りに顔を擦り付けて、わずかに残る薬草の香りを愉しむ。
「じぃじ、せんきゅう!」
「プハッ」
ちょうどお昼に戻ってきて、OS-1というお水を口に含んでいた母上が、お水を吹き出した。
「瑞くん、サンキューって、プププ。しかもセンキューって、発音! 良い! ククク」
「ん? おかあさん、せんきゅうよ?」
「えええ???」
お祖父様がゴホンと咳払いをされた。
「いや、これは驚いた。確かに
「おにわのせんきゅう、いいにおいだーねー」
「おおっ、そうそう、わかるのか?
「じぃじ、まえに、ほしてたでしょ、せんきゅうだよって、いってたでしょ」
「ああ……あの時覚えたのか。でも干す前とは匂いが違うだろ?」
「ほしたらいいにおいー。よくなった!」
「わかんのか!?」
本当のところは匂いだけでなく、魔力の色を観ている。植物にはそれぞれ特徴的な魔力の色があるからな。特に薬効を持つものはそれが顕著だ。
「やだ、お父さん。せんきゅうって生薬の川芎のこと?」
「そうだなあ。裏の薬草苑で栽培して干し上がったのをな、今日から調薬に入れたんだ。いい出来で香りも高くてな」
「せろりのにおいの、もっと、いいにおい」
「おおっ、瑞樹! わかるか! 流石だー!」
「瑞くん、へえぇぇ、いい鼻ねぇー」
「
わが秋山家は、先祖代々の薬種問屋、
家業の薬局でも、一般的な調剤は母上が担当なさっていて、お祖父様はもっぱら漢方を処方されているそうだ。
お祖父様は、漢方薬の調合や処方をするために診察もなさるので、そのためにお医者の免許も持っておられる。
お祖父様のお薬を求めて、ずいぶんと遠くからも、お客さんがやって来られるらしい。
いわゆる名人というやつだ。
素晴らしい! すごいな、お祖父様すごい。
この世界の薬草は私の知らない物ばかりだ。
本当に、興味は尽きぬ。
「じぃじ、はたけいきたい。ちょーやくみたい」
「えぇえ? 調薬?! 見たいの? 瑞くん」
「ちょっと、お父さん……」
「えっ? ああ、そうだな。いやはや。瑞くん、調薬は見せらんないなぁ。んーとな? ちゃーんと勉強して免許を貰った人じゃないと、触っちゃいけないんだ。薬は大事なもんだからな、ん? わかるか?」
さもあらん…
「ん。おくすり、だいじ。わかるよ」
「わかるかー。そうか、わかるかー」
「じぃじ、はたけは? はたけはいい?」
「瑞樹、畠もダメよ。お薬の材料が植わってるんだからね。瑞樹、何でもお口に入れるでしょ」
「おかあさん……ぼく、そんなことしない」
「ははは、瑞樹。今はまだダメだな」
あ、やはり、無理か。まあそうだろうな……
お祖父様は、肩を落とした私の頭をぐりぐり撫でてくださる。
「来年三月のお誕生日が来たら瑞樹は四歳になるだろう? そしたら四月には幼稚園だ。瑞樹が幼稚園に入ったら、薬草苑に入ることを許そう」
「えええっ、お父さんってば!」
「いやいや、真弓さん、一人で入るのは許さんから、絶対、そこは守ります!
瑞樹、いいかい? お母さんも心配してくださってるだろ? 薬草苑にはお薬が植わってるが、キチンと使わないとお薬も毒になるんだよ。だから、いいかい? じぃじと一緒の時にだけ、薬草苑に入る許可を出そう」
「ほんと?!」
私は、そっと母上を見上げる。裁量権は母上にあるようだ。
「もう。ふうう……絶対よ。瑞樹、お父さん。二人ともいいですか。必ず、おじいちゃんと一緒でなければ、瑞樹は薬草苑に入ってはいけません。ちゃんとお約束できますか」
「ハイッ!」
「おうっ!」
母上が丁寧に『ですます』でお話しされる時には絶対に逆らってはいけないと、
「もし、お約束をやぶったら、二度と、畠に入ることは許しません。いいですか!」
「ハイッ!」
「いいでしょう。お父さんも、いいですか」
「もーちろんですよ! 真弓さん」
「
「やったー、ぼくおやこどん、だぁいすきー」
私は、薬草の匂いも好きだが、おやこどんの匂いのよしこさんも大好きなのだ。
お祖父様をはね退け、よしこさんにつきまとって、ぴょんぴょん飛び跳ねる私には、決して罪はないと思う。母上も、それからエプロンを外したお祖母様もとっくにテーブルについておられるのだもの。
「じぃじ、はやくおててあらってきてください」
私は優しくお声をかけて差し上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます