第6話 贈りもの

「瑞樹! おいてっちゃうよ!」

「待ってーおにいちゃん! すぐ行くから!」


 白いホーローの水差しを持って、部屋から部屋へと飛び回りながら叫ぶ。

 植木鉢への水やりは私の毎朝の日課だ。



「行ってきまーす!」

「はいはい、気をつけて。柾樹、瑞樹をよろしく頼むわね」

「大丈夫だよ、おばあちゃん。瑞樹、今日は走りまわったりしないね」

「はーい! まかせてー!」

「おやまあまあ。ふたりとも行ってらっしゃい」


 お祖母様おばあちゃんに見送られて家を出る。

 この春、小学生になった私は、兄上おにいちゃんと一緒に電車で通学しているのだ。

 それほど混まない区間を三駅ほど乗ったら、最寄りの駅に着いてしまうので全く苦にならない。兄上と電車に乗るのはとても楽しい時間だ。



 兄上は六年生で『これから一年間、一緒に登校できるよ』とおっしゃってくださった。

 お揃いの制服を着てグレーの背囊リュックを背負うと、自分がすごく立派になったような気がして、嬉しくてついつい飛び跳ねてしまう。


 冬制服は濃紺のブレザースーツで、半ズボンが幼稚園の時とは違って、膝丈まであるのが大人っぽくてドキドキする。それからなんと言っても、ブレザーの胸に付いたエンブレム。桜の花を背景に剣を交差させたような意匠でかっこいい。兄上は『これ、剣じゃなくてペンだよ』とおっしゃったが、どう見てもこれは、先が尖っている。剣であろう。





 私がこの世に生まれて六年が過ぎた。

 これまでの間にいろいろと見聞きを重ね、この世界から魔法に関する全てが失われて久しいということも、既に理解している。

 全く惜しいことである。

 この世界は、私のかつて知っていたあの世界に比べて、遥かに濃く豊かな魔力を有しているというのに。


 幼き頃より、特に兄上に対して魔力の鍛錬を伝授しようと努めてはきたが、残念ながら理解していただくに至っていない。

 もう正攻法は諦めた。

 それで、今では密かにある計画を進めている。





 今からおよそ二年ほど前のことだが、私はお祖父様の薬草のお庭で、その一本の霊性の高い樹と出逢った。


 お庭のちょうど中央あたりの日当たりの良いところにその樹は立っていた。

 精霊が宿っていると言われても不思議ではないほどの光の渦を纏うその樹を、お祖父様は月桂樹だよと教えてくださった。

 月桂樹は他にも二、三本ほど植わっていて、それもある程度の魔力を持ってはいたが、その大樹ほどの霊性を纏っている樹は他に無い。

 まさしく、身の震えるような邂逅であった。



 私が毎日のようにその庭へ連れて行って欲しいとせがみ、庭に着くと一目散にその月桂樹の太い幹にかけ寄り抱きついて、じっと動かないのに困られたのであろうか。お祖父様は月桂樹の栽培法を教えてくださった。


 月桂樹というのは生命力の強い樹で、葉挿しができるという。

 私は目を細め神経を研ぎ澄まして、その樹から魔力の豊富な良い枝をいく本か選びぬいた。そしてお祖父様に教えていただきながら、水に浸して根が生じるのを待ったのだ。


 しばらくすると月桂樹の小枝は見事に白い根を生やしてくれた。母上が綺麗な植木鉢を沢山くださったので、私は一本づつ丁寧に鉢上げをしたのである。


 今では、枝も伸び葉も増えて、私の胸の高さくらいまで育った。

 毎朝、水を遣る必要は無いが、虫が付かぬか、魔力に乱れは無いか観察は欠かせない。



 この月桂樹の鉢植えを、居間のテラスや兄上のお部屋の窓際などに置かせてもらっている。

 兄上は私の贈った苗木をとても大事にしてくださっていて、『瑞くんからのプレゼントだもんね』と言って可愛がっておられる。とても嬉しくて幸せだ。



 小さな苗木とはいえ、流石はあの霊樹の末である。見事に霊気を循環させ、あたり一面に魔力を満たしてくれているのがてとれる。


 特に、兄上のお部屋の枕元に置いた樹は優れた霊性を持っているので、兄上の魔力は順調に育ってきている。ふふ、まさに計画通りである。




 魔力というのは生きとし生けるものの生命力の源泉。まさに命の源なのだ。

 何も大きな術を為すためだけのものではない。

 この世界の文明や歴史から、何故こんな大切な事柄が忘れ去られてしまっているのであろうか。

 自然の成り行きなのか、それとも何者かの意図するところなのか。


 私は幸いにしてこれから学問を修めることとなる。学究を深めて、この謎に迫りたいと思う。

 ただし、安易に魔術魔法を世に知らしめることは避けたい。まずはこの世のことを深く知ることから始めるべきであろう。

 私の今生の人生はこれからである。まだ始まったばかりなのだから。




「瑞樹、よそ見したら危ないよ。信号、よく見てね」

「はあーい!」

 兄上と手をつないで、右手を掲げて横断歩道を渡る。立派な校門が見えてきた。


 私は、兄上や家族が大好きだ。

 絶対に幸せにすると、私はそう決めている。

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