4月11日「役割分担」

(1)

 朝7時20分。学校へ行く仕度を済ませた小夜子が商店街を通り、駅へ向かう。

 今日の小夜子のカバンには、ある特別なものが入っていた。今日の部活で使う、大切なものである。

―――どんな反応するのかな?喜んでくれるかな?早く部活の時間にならないかな!

「何ニヤニヤしてるんだ?」

 とそこへ友輝が声をかけてくる。小夜子が赤面する。

「べっ別にニヤニヤなんてしてないよ!」

「でもすごいうれしそうな顔してたけどな・・・。気のせいかな?」

「そうだよ!」

 しかし、心の中では

―――やばっ!考えてたこと顔に出てたのか!恥ずかしっ!

 と思っていた。

 改札口に向かい、いつものようにホームで電車を待つ。

「そういえばさやのクラスは委員とか決めたの?」

 この言葉を聞いた瞬間、小夜子の動きが止まる。

「おい、どうした?ってまさか・・・」

―――そうだ、今日ホームルームで決めるんだった・・・最悪!

「決まってないんだな。そして、それを決める話し合いが今日なんだな。わかりやすいな~さやの反応は」

 小夜子にとって係決めは一番嫌いなイベントだった。

「まーさやにとってはトラウマみたいなイベントだからね、係決めは。」

 小夜子が係決めを嫌いになったのは小学校4年生の時にあった出来事がきっかけだった。

当時小夜子は学級委員だった。自分でなりたくてなったわけじゃない。先生から、やってくれと言われやっていた。学級委員はクラスから2名選出されていた。もう一人の女の子は、クラスで横行していたいじめを、学級委員になることで防ぎたいという、そういう高い志を持ち、自分でなりたいと立候補して学級委員になった。小夜子は経験者として、彼女を支えようと思った。自分とは違って、彼女は自主的に、高い志をもってやっていた。小夜子は彼女の手助けをしようと、クラスで横行していたいじめの調査を独自に行ったのだ。しかし、調査の結果わかったのが、実は彼女が、言葉では小夜子と同じようなことを言っていたにもかかわらず、裏のいじめの主犯格だったということだった。“表向きにいじめをしている子”が、いじめられっ子からいじめて欲しくなければ金を渡せ、といってお金を巻き上げる。そして、そのお金をいじめっ子のリーダーが集める。その集めたお金を今度は学級委員をやっていた子が集めていたのだ。彼女自身も小学校3年生の時にいじめを受けていた。その仕返しとして、今いじめをしている子たちを脅しお金を巻き上げているのだと言っていたのだが、彼女がそのような行為を行うことでクラスでのいじめが絶えないのだった。

小夜子は、彼女に対しなぜ学級委員をやっているのかと問うた。すると、彼女はこういったのだった。

『だって、学級委員やってる子って絶対教師は疑わないじゃない。内申もよくなるし、中学での立場も優位になる。社会ってのはね、裏で牛耳っているのが強いのよ。表で虚勢を張ってる奴なんてそのうち叩かれて沈むのよ。』

 この言葉を聞いてから、小夜子は人間不信に陥った。自分の友人も信じられなくなった。

 それから、小夜子は係決めが嫌になった。積極的な姿勢を見せて、教師に媚を売っているようにしか見えないこのイベントが大嫌いになった。クラスのみんなの顔が悪魔のように見えてくる。自分も、その悪魔の一員にならなければならないのかと思うと、憂鬱になるのだった。

「みんながみんな、あの子のような子とは限らないさ。良心で動いている子もいるんだ。」

「わかってる。でもさ、忘れられないんだよ。そういう子が身近に少なくとも1人はいた。それは事実なんだ。だからね。」

「もうあれから6年たったんだ。そして、関わっている仲間のメンバーも当時とは全然違う。そこはさやがきちんと切り替えないとな。」

 このトラウマはなかなか理解してもらえない。友輝も、小夜子がこのトラウマを乗り越えられないことを受け入れてはくれるが、理解はしていない。そんなトラウマになるような出来事だろうかと、思っている。でも、小夜子にとってはそのくらい衝撃的な事件だったのだ。

「去年は仲の良かった女子とクラス離れたからつらかっただろうけど、今年はみんな一緒じゃないか。大丈夫、彼女たちは“あの子”とは違うよ」

「うん。」

 それはわかっていた。出会ってから4年。彼女たちのことは信じている。そんなことまで言っちゃうの?ってことまで赤裸々に語ってくれる友人だ。

「大丈夫だよ、ありがとう。今年こそは、乗り越えるって決めたんだ。もう私、高校生なんだし。」


(2)

 ホームルームの時間がやってきた。ひばりが丘では、ホームルームは毎週月曜日の6限に行われる。その日最後の時間割のところがホームルームなのだ。

 小夜子のクラスの担任の高木先生が入ってくる。

「はい、席について!始まらないぞ!」

 チャイムが鳴っているにもかかわらず、未だに席についていない生徒たちを席に着かせる。

「はい、ではホームルームを始めます。日直、号令。」

 号令に合わせ、起立・礼をする。そして着席する。

「では、先日話した通り、今日はクラスの係決めをする。全員が係に就くわけではない。しかし、自分はやらなくていいやという考えは持たんように。積極的に立候補してほしい。」

 そういって黒板に係の種類と人数を書き出す。

・学級委員:2名

・文化祭実行委員会:4名

・体育祭実行委員会:2名

・図書委員会:2名

・整備委員会:2名

・放送委員会:1名

「来た!私体実やりたいんだよね!」

 そういったのは明日菜だった。

「バスケ部たるもの、やっぱり体育祭には貢献しないとね!」

「明日菜は競技出たほうが貢献できるんじゃないの?」

「いいや、エリート系体育会女子はこういう形で学校行事に貢献しないとね!」

「エリート系?」

 明日菜は英語の成績はそこそこだが、数学・国語の成績は赤点の常連メンバーである。お世辞にもエリート系とは言えない。

「私は図書委員かな?去年文実やったけどしんどかった~。ま、達成感はあるんだけど。」

 そういったのは森下希子だった。彼女は茶道部で、小夜子とは中学3年の時以外ずっとクラスが一緒である。

「希子ちゃん去年の秋、倒れそうだったもんね・・・。」

「イベントの規模が大きいから委員会の仕事も大変でね・・・。」

「私は絶対放送委員!何としても入ってやる!」

 そう力強く宣言するのは柳本夏奈である。

「自分の夢実現のために?」

「あったりまえじゃない!有名な声優さんで放送部にいたって人多いんだよ!三石琴乃様とか、内山夕実様とか・・・。」

 夏奈は声優になることを目指しているオタク女子である。

「夕実さんは確か放送劇部じゃなかったっけ・・・」

 そうツッコミを入れるのは栗原幸希である。

「みんなすごいね!」

 小夜子は話についていくそぶりを見せながら、何とも言えないこの係決めの恐怖感にびくびくしていた。

―――早く終わってくれないかな・・・。

「ねえ、小夜子は何かやりたいな、っていうのはあるの?」

「へぇ!?」

 幸希の問いかけに思わずビクッと反応する。

「だから、やりたい委員会だよ!」

「い、いや、特にないかな~部活も忙しいし。」

「そうだよね~!私もいいかな~!」

「幸希は“帰宅部”だよね!部活忙しいは理由にならないと思うけど!」

 夏奈の鋭いツッコミが入る。

「でも、帰宅部って大変なんだよ。だって、“帰宅すること”が部活動なんだもん!毎日が活動日だよ!大変だと思わない?」

「どや顔で何言ってんのよ。」

―――なんか、ちがう。いままでと、何かが違う。なんだろう、この違和感。

 今の夏奈と幸希のやりとりを聞いていて、何か今まで自分が感じていた嫌なものを一切感じなかった。なんだろう、この感じ。

「よ~し、みんな決まったな。では立候補制で行こうか!まずは学級委員!」

 2名の手が挙がる。

「お、ぴったり2名か!みんな、彼らがなることに異議がある者はいるか?」

 だれも手を挙げなかった。

「よし、ではこの2名に決定する。」

 全員が、拍手をして応える。

「では次、文化祭実行委員会」

 5名が手を挙げた。

「お、いいね、やる気があるね。こちらは前後2名は可となっているので、いいかな。」

 同じく、拍手で皆が答える。

「次、体育祭実行委員会」

 5名が手を挙げる。もちろん、自称“エリート系体育会女子”の明日菜も手を挙げた一人である。

「ちくしょう!こんなにいるのかよ!」

「どうしようかね~。4名までならいけるんだけど・・・。」

「じゃんけんで決めましょう!」

 明日菜が先生に提言する。

「じゃんけんか・・・他の者はどうだ?」

 立候補しているのは皆運動部のメンバーであったためか、「受けてたとう」とか「やっぱり公正な勝負で決めるのが筋だよな」と明日菜の提案に賛同した。

「立候補者が皆それでいいというのなら、じゃんけんで決めようか。」

「よっしゃ!」

 立候補者全員が教壇に並び、気合を入れる。

―――なんか、皆楽しそうだな。なんでだろう。

 活き活きとしている立候補者を席から眺めながら、小夜子はそう思った。

―――そんなにみんな係がやりたいんだ・・・私みたいな経験してないからかな?

 小夜子がそんなことを考えているうちに、熱いじゃんけん大会が前方で繰り広げられる。1人が負け、4人が決まったようである。明日菜は勝ち残ったようで、小夜子たちのところに手を振っている。

―――もしかして、私って何か大きな勘違いをしてた?

 そう思って黒板に書かれた人数を足した。13名。このクラスは35名である。つまり、22名は何もしないのである。

「次、図書委員会」

―――そうか、やりたくなかったらやらなくていいのか。

 小夜子はふと、小学校の係決めを思い出した。先生の言葉が思い出される。

『係は全員がなりましょうね。誰かがやらないなんてことは絶対にありません。皆さんは平等です。』

 そう、全員何かしらの係をやることを強要されていた。それが“平等”なのだと、教師は連呼していた。

―――ああ、私はまだあの時から何も成長していなかったんだな。

 何事も、向き不向きがある。係になることに向いている子もいる。向いていない子もいる。

 ふと、ある記憶が思い出された。小夜子が、学級委員で一番嫌だったこと。それは、なかなか係に立候補しない子を、どうにかして係に就かせる仕事だった。

『先生から言ってしまうと、先生がその子に強要したことになるんです。学校は皆さんが自主的に運営すべき空間です。小夜子さん、あなたがその先頭に立たないといけないのですよ。』

 そう先生に言われ、自分に言い聞かせてやっていた。相手の子が泣こうが何しようが、とにかく係に就かせる。果たして、それが自主的なのか?

 今から思うと、それは先生が自分のやりたくないことを児童に押し付けていたんだな、と思った。

 小夜子は、小学校1年生の時に、学級委員になった。それを理由に、6年間学級委員をやらされた。かたや媚を売るためにやっている子もいる。かたや、教師に強要され学級委員をやっていた子もいる。これの何が平等なのか。

 小夜子の中で、何かもやもやとかかっていた霧が、さっと晴れていくような、そんな気がした。目が覚めたとでもいうべきなのか。

「さや!私放送委員になれたよ!」

 夏奈が小夜子に抱き着いてきた。考え事をしていたところに来たため、思わず小夜子は驚いた。

「そ、そう!よかったね!」

「やったよ~!」

 心の底から喜んでいる夏奈を見て、小夜子は自分が乗り越えるべき壁を乗り越えていなかった現実を、静かに受け入れたのだった。


(3)

 小学校時代は、嫌な思い出しかなかった。

 学級委員をやらされ、親しかった友人はどんどん転校していなくなってしまい、流行に乗れなくて仲間外れにされた。いじめを受けたことはなかったが、何か自分が仲間外れな気がしていた。まさに“浮いた”存在だった。

 小夜子にとって唯一の楽しみは、友輝とやる音楽だった。小夜子は、どんどん音楽に“逃げて”行ったのだ。

 小夜子が中学受験を決意したのも、小学校が嫌だったからだ。こんな連中と中学に進学したくない。ただその一心で勉強した。そのくらい、小学校は嫌いだった。

 一度、友輝に『さやの音楽はなんか殻に籠った感じがする。』と言われたことがある。当時の小夜子にはその意味が分からなかった。

 ヴァイオリンの先生にも言われた。若さゆえの、はじけた感じがないと。何か、自分を守っているような、そんな音楽だと。

 彼らが何を言っているのか、小夜子には全く意味が分からなかった。

 

 ホームルームが終わり、小夜子は音楽室に向かった。音楽室にはすでに友輝がいた。

 友輝は次回の演奏曲として選んだ、モーリス・ラヴェルの『クープランの墓』を弾いていた。演奏を止め、小夜子に話しかける。

「さや、どうだった?ホームルームは?」

「うん。」

 なんと伝えればいいのかわからなかった。楽しかった、でもないし、嫌だった、でもないし。今日のホームルームを通じて小夜子は自分の現実を突きつけられたような気がしていた。

「目が覚めた、かな。」

「ふーん、目が覚めたね。」

 友輝はしばらく何も話さなかった。

「私、逃げてたんだよね。小学校時代の、嫌な思い出を乗り越えることから。もう終わったことだし、自分が変わればなんてことはないことなのにさ。でも、その過去があるから、自分はかわいそうな子なんだって、そういうことにして自分を守っていた気がする。いつまでも引きづりすぎなんだよね。友輝が朝言ってたみたいに、今は一緒にいる仲間も、環境も違うんだよね。過去は過去、今は今。その区別がついていなかったわ。」

「そう、やっと気づけたんだ。」

「うん。私、明日菜たちにひどいことしちゃってたのかな。」

「それは自分で考えな。相手が嫌と思うと自分が思っても、案外そうじゃないかもしれない。逆に、自分が良かれと思ってやっていたことが、相手にとってはすごく嫌なことかもしれない。それは、お互いにしかわからないことさ。そして、それは相手と向き合うことで分かることだと思うよ。」

「そうだね。」

 そういうと、友輝はまたピアノを弾き始めた。

―――がんばらないとな、自分。現実に向き合わないとな。

 小夜子は、心の中で小さく、だけどしっかりと、決意したのであった。

「おはようございます!小夜子先輩!」

 そこへ、紗枝音がやってきた。

 そうだ、この部活で私は初心者の子にヴァイオリンを教えないといけないのだ。それが部長である私の役割なんだ。

「おはよう、さえちゃん!今日から、がんばろうね!」

「はい!よろしくお願いいたします!」

 そして、小夜子は鞄からヴァイオリンの教則本を取り出した。小夜子にとって、朝、特別な思いで入れた持ち物である。

「よし、じゃあやろっか!」

 久々に開いた初級の教則本を広げ、小夜子によるヴァイオリンレッスンがスタートしたのである。

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