永遠の青
蒼井七海
序
0.雨
――落ちていく。
地面に落ちた水滴は、しぶきとなって消えていく。
それはまるで、命のようだ。
命の滴は、やがて命の雨となる。
※
その夜は豪雨だった。空から降る雨は白い筋から霧へと変わり、周囲の風景を覆い隠している。腹の底に響くような轟音と、絶え間ない水しぶきは、世の終わりさえ予感させるようであった。
西の地の、いつもは穏やかな林も、今は止まない雨にぬれている。獣も鳥も身を潜めていて、生命の息遣いは感じられなかった。――だが、ふいに、林の中に影が落ちる。雨音にまぎれて、重い物が草木に叩きつけられる音がした。
木々のはざまに落下した影が、ゆっくりと動く。動きに合わせて、赤い滴が草の上に滴った。それすらも、雨水に流されて薄らいでしまったが。それでも、赤い滴は――鮮血は、何度も何度も染みをつくった。
空が雄叫びを上げる。闇と水と木々に覆われて、影のように思われたものは、生物だ。荒い呼吸を繰り返し、血だまりが広がりつつある地面と己の体を見比べた。
震える。
体が、そして心が。壊れかけた、魂が。
止まない。止まらない。この激しい雨も、生命の消費も。
このままでは死んでしまう。林に落ちたものは、それを悟っていた。
黒く塗りつぶされた思考。その一隅で、強い思いがひらめいた。
だめだ。
自分がここで死ぬのは、絶対にだめだ。
影が再び、ゆったりと動いた。今度は、動きがだんだんと激しくなっていく。影の中心に、青い光が現れた。光は大きくなっていき――やがて、影を覆う球となる。
一瞬にして膨らみ、そしてしぼんだ光の球は、小さく弾けて雨の中に散った。
※
雨が絶え間なく降り続く。
草木は細い水の糸を滴らせ、地面はぬかるみ黒ずんでいる。時折雷鳴が空を震わせ、雲の狭間に走った稲妻が雨の幕を貫いた。
西大陸の端。南方と西部ミルデン地方を繋ぐ道は、ここ数日の嵐ですっかり様相を変えていた。ふだんは日差しが降り注ぐ緑豊かな道を人々が行き交っているのだが、今は人っ子一人いない。すべてのものが夜とは違う灰色の闇に沈み、水音ばかりが響いていた。
その道の途上に、小屋というには大きな建物が建っている。旅人たちの宿泊所と関所を兼ねるその建物からは、黄色い明かりが漏れていた。旅の途中で嵐に遭った不運な旅人たちがここに詰めかけているのである。
この世の終わりのような外と違い、建物の中は温かく、にぎやかだ。至る所に
建物の隅。窓際の椅子に腰かけている旅人も、わずかに眉をひそめて窓の方へ視線を向けた。青みがかった黒髪の下、
彼は、ここにいる人々の中でも特に若い。まだ少年といってもよい年頃だが、その割にずいぶんと落ち着いている。達観している、といってもいい雰囲気だ。簡素な旅衣を身にまとい、腰に剣を佩いている。大きな布袋と小さな手縫いの鞄を抱いていた。
少年は窓から視線を外すと、窮屈そうに頭を動かす。そばに座っていた男がそれに気づき、彼の方を見た。
「やあ、お若いの。一人旅かい?」
「……ええ、まあ」
男の方を振り返った少年はやわらかくほほ笑む。ちらと男の隣に視線を移した彼は、丈夫なひもでくくられた荷物に気づいて眉を上げた。
「行商をなさっているんですか?」
「おうよ。これからアルセンで商売するつもりだったんだがなあ。この嵐で予定が狂っちまった」
みずからの荷物を軽く叩いて、商人の男は気持ちよく笑う。それに誘われるようにして、少年も微笑を浮かべた。
「俺もアルセン行きなんですよ」
「おっ、そうなのか」
男がぱっと目を輝かせる。彼はそれから、不思議そうに目を瞬いた。視線が、少年の顔と腰の剣を行き来する。
「何しに行くんだ? 傭兵……って感じでもなさそうだが」
「はい。傭兵のようなこともやりますけど、主体はそっちじゃなくて……」
少年はそこで一度言葉を切る。ふっと口の端を持ち上げてから、穏やかに口を開いた。
「探し物をしているんです」
――雨風の音はまだ大きい。その間をすり抜けるようにして、遠雷がとどろいた。
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