第2話

 雄介は多忙を極めていた。福山での引き継ぎ、神戸での引き継ぎが終わると、早速神戸のクライアントとのリレーション作りに専念していた。

 損得勘定を抜きにした情報提供や細かいフォローの下地があってこそ、大きな提案も出来ると言うのが金沢部長の教えだった。

 


 雄介はベタな営業スタイルだなとは思ったが、バカになってこのスタイルを取り入れた後、成績が大幅に上がったので続けている。神戸に転勤してきてあっと言う間に一カ月が過ぎさり十二月に入っていた。




 雄介の勤める会社は営業成績の締めを四半期毎に査定している。月間目標はあるにはあるが、目安程度のもので三カ月に一回大きな締めが来る。読んで字のごとく社内では「クオーター」と呼んでいる。

 


 三月が本決算なので、十月~十二月が「第三クオーター」と言うわけだ。通常、転勤はこのクオーターに合わせて行うのが、慣例となっていたが雄介の場合事情が認められ十一月の転勤となった。

 ただ雄介は自分の事情なので良いが、入れ替えられた元ここの係長はたまったものではない。三か月の間で刈り取るべき営業案件を途中放棄し、雄介の案件を引き継ぐ事になる。

 


 転勤当初は引き継ぎの挨拶回りと、先方担当者とのリレーション作りであっと言う間に一カ月ほど過ぎるはずだ。クオーターの途中転勤だと、営業の刈り取りが間に合わずクオーター目標を外してしまう傾向にある。




 ここの元営業係長は柴田 家康(しばた いえやす)で、雄介と同期だ。

 入社式で話をした時は、名前を聞いて「お前は武将か」と関西独特の突っ込みを入れたくなった事を覚えている。

 


 同期だが配属先が重なった事はなく、同期会で話す程度の仲だが雄介はなんとなくシンパシーを感じる相手だなと思っている。それは柴田も同様のようで、同期会の飲み会ではいつも話に花が咲くが、何かある毎に連絡を取り合う程の仲までにはなっていない。

 


 今回の転勤の件では、雄介は柴田に対して借りをひとつ作ったと思っている。

 雄介のデスクの直通電話が鳴った。社内どうしの通話用で通信代が発生しないシステムになっている。「はい。営業小笠原です」

 柴田からだった。「お疲れ!柴田です」

 柴田の細面の顔が浮かんだ。

 「お疲れ様、何かあった?」

 「うん。ちょっとオハラ工業さんの事でさぁ」

 話の内容はさして深いものではなかった。確認しておくに越したことはない程度の事だが柴田のきっちり仕事を進める姿勢を感じる電話だ。

 


 仕事の話に区切りをつけた後、「花が舞うのママが会いたがっていたぜ」とフランクな話を投げかけてきた。「花が舞う」は雄介が福山時代に通っていた小料理屋だ。

 カウンターとボックス席が二つの小さな店だ。季節の総菜が、カウンターに大皿で並びその日に仕入れた魚を刺身などで提供してくれる。

  


 着物のよく似合う和風美人のママと板さんが一人いる。板さんとママがどんな関係か気になっていたが、とうとう転勤まで聞けず終いだった。

 「え?家康、あそこに行ってるの?」

 「ああ、常連のお店もちゃんと引き継がさせてもらったよ」柴田から笑いが漏れた。

 「いや、本当に途中引き継ぎすまないな。借りにしておいてくれ」

 「何言ってる、そんなつもりで言ったんじゃないよ。わかってるだろ?」

 雄介は十分わかっているが、つい謝ってしまうのだ。






 軽いノリの会話がしばらく続いたが、ふと間が空いた。

 雄介は察しの良い方だ。「なんだよ、言えよ」

 「いや、雄介に言っても仕方ない事かもしれないけど、ちょっと部長と西島が上手くいってなくてさ…」家康が困り顔が見えるようなトーンで話した。

 

 

 「あいつ、いま課長だよな」

 「そうなんだ。課長と部長が上手くいかないって言うのは困るんだよね」

 「う~ん。どこでもある話だけど、実際困るよな」

 「まぁ、俺はともかく下の連中が働きにくそうで…」

 「あ~目に浮かぶわ。別に上手くいっていない、これといった理由がない不協和音だろ?」

 「よく、わかるね」家康の苦笑が漏れた。

 

 「わかるよ~二人共よく知っているからね」雄介も笑った。続けて「次の土日、どうしてる?」雄介が言った。

 「え?いや別に予定はないけど…」

 「俺、そっちに行くから西島をキープしておいて」

 「いや、さすがにこっちの事で来てもらうのは気がひけるし…」

 「俺が花が舞うのママに会いたいだけだよ。前日にもう一度連絡するな」そう言うと雄介は半ば強引に電話を切った。




 雄介の家は比較的落ち着いていた。両親の事が心配になり帰ってきたわけだが、雄介が帰ってきた事で、父の情緒が安定したとケアマネージャーは言う。

 確かにあの状態の母を一人で看て、その看ている母から毎日辛辣な言葉を投げかけられたら、メンタルはやられるだろうなと想像出来る。そこに同性の息子が帰ってきたのだから、心強いだろう。

 

 実際雄介は今のところ、母の介護らしい作業はしていない。たんたんと、問題なく会社に通えているのだ。

 雄介はデスクの上にある、卓上カレンダーで印を確認した。次の金曜日から月曜まで、母はショートステイ予定になっている。


 


 ショートステイとは、被介護者を短期間泊りで預かってもらうサービスだ。

 被介護者の状態だけでなく、面倒を看ている介護者がストレスや疲れがたまった時も利用して良い事になっている。  

 


 父の負担がオーバーしないように、雄介と菅野が相談して利用を決めた。母の拒否の程度を確認して、問題がないなら定期的に続けようと雄介は考えている。

 「うん。大丈夫だな。親父だけならひとりにしておける」とひとりごちた雄介は、花が舞うのカウンターに並ぶ、大皿料理を思い浮かべ口角を上げた。


土曜日の夕方、雄介は福山に向かう新幹線の車中にいた。

 夜には、西島と柴田と会食の予定だがすでに車中でビールに手を付けていた。雄介は自分でもこの酒好き具合には呆れているが、心と体が求めるから仕方がない。

 


 車窓からの景色を肴にしながら、昨日の電話の内容を思い返していた。

 「お電話ありがとうございます。お酒処花が舞うです」

 「あ、ママ?」

 「え、雄介?」

 

 もう花が舞うに通って三年が過ぎようとしていた。はじめは小笠原さんと呼んでいたが、いつのまにか雄介と呼ぶようになっていた。聞いたわけではないが、おそらく歳の近い美人ママに雄介と呼ばれると、こそばくもあり嬉しくもある雄介だ。

 


 「久しぶりやね。この間柴田さんと雄介の話をしてたのよ」

 「聞いた」

 「あら、けっこう仲がいいのね」ママの笑いが漏れた。

 「ママ、ちょっと個室を予約したいんだ」

 車窓の景色から高い建物が消えて、田畑が広がっていく辺りでもう一缶ビールを開ける。

 

 電話で今日の予約を済ませた雄介は、少しママとプライベートな話をした。主に両親の具合を気にしてくれるママの質問に答える形の会話ではあったが、普段の生活では感じない感覚が胸の中を小さな針がついたような不思議な感じだ。

 思いの外、ママに会える事を楽しみにしている自分に戸惑う雄介だった。




 福山駅を始めて訪れる人は、すぐ目の前に城壁が広がる光景に驚く人が多い。福山城跡がすぐ見えるのだ。

 雄介は改札を出ると、駅内のショッピングモールを抜け一番東端の出口から出た。

 JRの高架を縦にくぐる道を南下して、ひとつめの角を曲がれば「お酒処 花が舞う」がある。雄介の以前住んでいた社宅からだと徒歩二分ほどで、かなり酔っても帰る事に心配がない、まさに雄介にとってのオアシス的お店だった。

 

 雄介が店の前につくと西島が立っていた。すでに行灯には灯がともっている。

 奇をてらうことなく、白地に黒のかすれ文字で「花が舞う」と書かれている。

 「なんだよ、入って待っていればいいのに」と挨拶より前に声をかけた。

 「雄介、久しぶりだな」西島の顔が緩んだ。

 「おう、だけど考えたらまだ一カ月ほどだよな」

 「まぁな、だけど俺は寂しいぜ~」とふざけたトーンで言いながら、肩を抱いてきた。

 二人の笑顔が弾けた。




  二人は肩を組んだまま「花が舞う」の暖簾をくぐった。

 「あらあら、仲がいいのね」と、二人を見たママが笑いを漏らしながら迎えてくれた。

 「予約の席、大丈夫だった?」雄介の問いに

 「ええ、ちゃんとご用意させて頂いてます。いらっしゃいませ」とママは深くお辞儀をした。「いっらしゃい!小笠原さん」と奥から板さんの声もかかった。

 「どうも、ご無沙汰してすみません」と雄介は頭を下げながら、ボックス席の方へ向かった。




 花が舞うはカウンター八席とボックス席二つの、小さな小料理屋だ。これが雄介が気に入っている理由の一つでもあった。一人で呑む事の多い雄介にとって、まずカウンター席がある事、こじんまりした静かなお店である事は外せない。

 

 大人数の時は、ナショナルチェーンで十分との雄介の考えだ。カウンター好きの雄介は三人までならカウンター席を選ぶのだが、今日はボックスを予約した。

 真剣な話になる事も十分考えられるのと、会社の人間が来る可能性もあり、今日に限っては顔をさしたくなかったからだ。

 


 花が舞うのボックスは、テーブルだが半個室タイプと呼ばれるもので、隣のボックスとも薄いが壁で仕切られ、正面はすだれがおり中が見えない。

  

 その、仕切りの壁は抜き取ることが出来るような構造で、団体席に早変わり出来る。 少し前の話だが、半個室が総合居酒屋でかなり流行った時期があった。大手チェーンがこぞって半個室タイプの店舗を市場に投入した。

 その時期に、古くなったお店の改装を考えていたママがこのタイプの席にした。顧客にも概ね好評で来店客が当時二割ほど増えた。

 

 「あ~この席は久しぶりだな」と言いながら、奥に西島をいざない反対側に雄介は座った。それを見計らったように柴田が到着した。

 「あぁ、ごめんごめん遅くなっちゃった」

 「いや、こっちも今来たところだから」と西島が受けた。


 三人が顔を見回し、理由なく笑った。

 「なんか、この三人で飲むのは珍しいもんな」と西島が振ると

 「まぁ転勤で仕事の絡みも出来た事だし、プチ同期会と言う事で」と柴田が反応した。

 


 そのやり取りを横目で見ながら「ママ~とりあえず生三つね」と、他の二人に確認することなく注文した。他の二人も異は唱えない。

 俗に言う、営業系サラリーマンの「とりビー」だ。


 


 雄介は乾杯が終わると、そそくさと個室を出てカウンター前へ行った。

 残りの二人は気にすることなく会話を続けている。三人で飲むのは珍しいが、それぞれ雄介とは飲む機会がそれなりにあった。雄介は肴選びを代表でしたいタイプなのだ。

 


 花が舞うは基本和食の店ではあるが、かたくななメニュー構成ではない。

 洋風でも中華でも混ぜてくる。特にカウンターの上にその日の総菜が大皿で並べられている。お客のほとんどは、まずそこからオーダーを始める。

 


 雄介も例外ではない。と言うか、何が並んでいるか少し時間をかけて見るのが好きだった。

 今日はいつもより多く並んでいる。板さんが久しぶりに雄介が来ると聞いて品数を増やしたのだ。

 「麻婆茄子にポテトサラダ、子持ちししゃもの南蛮漬けに温豆腐、小松菜と厚揚げの煮浸しに枝豆の醤油炒め…」雄介は十皿ある品を一つ一つ声に出しながら、見て行く。

 目の奥が期待に満ち溢れている。

 ママがその様子を、半ばあきれながらも可愛い弟を見るような表情で眺めている。

 

 

 「なんの話をしてたの?」注文を済ませた雄介が個室に帰ってきた。

 「ごめん、仕事の話してしまっていた」と柴田が受けた。

 「いやいや、謝ることないよ。よく飲むときぐらいは仕事の話をするなって人いるけど、仕事の話を省いたら、サラリーマンの話す事半分なくなるわ」と雄介が笑った。

 柴田が「そう、しっかり応えられても困る」と言うと、三人で一斉に笑った。

 


 「お待たせ致しました。失礼します」とママがすだれを上げた。

 雄介がオーダーした料理を盛り付け持ってきてくれたのだ。

 「何か楽しそうな笑い声が聞こえていましたね」とママが言うと

 「いや、同期三人で会うのは久しぶりだから盛り上がるよ」と雄介が応えた。

 「はい。子持ちししゃもの南蛮漬けです」

 「お!これ旨そうだな」と柴田が言うと「雄介チョイスでございます」と雄介がふざけて場をリードしていく。

 

 柴田はママがほかの料理を置くのを待ちきれないとばかりに、子持ちししゃもの南蛮漬けに箸をつけた。

 「あ~これ旨い!」

 子持ちししゃもの南蛮漬けは、片栗粉でさっと揚げた子持ちししゃもを板さん特製の南蛮たれに一晩漬けたものだ。温めず常温で食べるのが美味しい。

 


 「だろ?伊達に三年通っていませんからね」と雄介が言うと、西島が「通っている理由は料理じゃなくて、ママだろ?」とつついてきた。

 「あら、嬉しい」と笑顔で会話を拾って、最後の品を置きママは出ていった。

 「客あしらいが上手いね」と柴田が関心してママの後ろ姿を見た。


しばらく軽めの話が続いたが、西島がタイミングを見たかの様に切り出した。

 「ところで雄介、この電撃福山訪問の目的は何?」

 「あ、やっぱりわかる?ただの同期会じゃないって」

 西島は半ば呆れたように鼻から息を出し、「何年お前と付き合って来たと思ってんだよ」と苦笑いで返した。

 


 「いや、俺から説明するわ」と柴田が会話に割り込んできた。

 柴田は先日雄介に、電話で西島と部長の金沢が上手くいっていない事を相談した模様を、正直に話しした。西島は柴田の話が終わるまで黙って聞いていた。

 「お前、いらん事言うなよ!雄介が心配するだろう!」と、若干攻め口調で柴田をとがめるように言った。

 


 「まぁ待て。家康はちょっと話しただけ。それに俺が食いついたんだよ」と雄介が言うと「いや、まさか雄介がこっちまで来るとは思わなかった…」と柴田が言った。

 「雄介は、そう言う奴なの」と苦笑いしながら西島はビールを流し込んだ。

 合わせてジョッキを空けた雄介は、すだれを横から少し開けて「ママ~生三つ追加で!」と大きな声で注文した。

 


 まだ、三分の一ほど残していた柴田が急いで飲み始めた。

「はい。お待たせしました」と、生ビールを三つ置くと話が真剣な方向に行っているのを察して、ママは何も言わず出て行った。

 


 「で、本当のところ部長とはどうなんだよ」と雄介が切り込む。

 「いや柴田が大げさに言いすぎ、俺自身はあんなものだと思う」

 「あんなものとは?」

  「だから、人には合う合わないがあるだろ?」

 「うん。確かにな。部長とは合わないんだ?」

 「いや、違う。向こうが俺と合わないと思っていると思うよ」


 西島が続ける。「俺の営業の方法や考え方を良しとは思っていない。わかるだろ?」

 「確かに、よく文句言っているな」と柴田が割り込む。

 「でも、俺の課はノルマをクリアしている。だから直接文句は言ってこない。だから、部長のうっぷんがたまる。俺の何もかもが嫌に見えてくる」

 「こう言う図式が成り立つわけ」と西島が苦笑いした。

 「俺はどっちかと言うと、部長みたいな人間は好きだよ」西島が続けた。

 「え!?」と雄介と柴田の声が重なった。




 「お前、部長の事嫌いじゃないの?」柴田が驚いたように言った。

 「あぁ、と言うか俺は部長が嫌いだとも言っていないし陰口を叩いた事も一度もない」

 「…確かにお前から直接部長の悪口は聞いたことないな」柴田は狐につままれた様な顔になった。

 「雄介、わかっているか?今係長でいられるのはあの人のお陰なの?」と西島が振ってきた。

 「え!どう言うこと?」

 「だって通常うちの会社は社員の都合で転勤なら、降格転勤だろ」



 雄介の会社は大変営業色の濃い会社だ。会社の都合で動く時はもちろんその様な事はないが、本人が家を買ったとか、実家に帰るとかで転勤なら多くの場合1ランク落とされる。

 おそらくは、その社員都合の転勤でその期のノルマを達成出来ない事が濃厚な為だろう。実際、次にノルマを達成した期に、元の役職に戻る人事が多い。

 別に社則で決まっているわけではない。慣例のようなもので、全国でトップクラスの営業マンなら辞められたら会社が困ると言う理由からか、降格でない場合もある。

 


 雄介の成績は悪くはないが、優遇を受ける程の成績でもない。

 「確かに、そう言われればそうだな。俺はてっきり介護が理由なので上層部が理解してくれたものと思っていたが、うちの会社がそれで慣例的降格をスルーするはずないな」

 雄介がそう言うと「だろ」と、何故か西島が得意げな顔をした。

 「じゃ、部長が雄介が降格しないように動いたってこと?」と柴田が確認した。

 「ああ俺、聞いちゃったんだよ。偶然トイレで」

 


 西島が続ける。「俺が先に大きい方に入っていて、後から誰か入ってきた。それで、たまたまスマホに電話がかかってきた様で、声で入って来たのが部長だとわかった。部長の話し方がすごく丁寧だから、クライアントか社内なら役員クラスだなと思いながら聞いていた」

 


 「うん。それで」柴田が相槌を入れる。

 「内容は詳しくわからないけど、今回小笠原は係長のままで転勤と言う事で何とかなりませんか?みたいな事を言っていたよ」

 雄介は西島の言う事を、一言も漏らさない様な顔で聞いていた。

 「最終的に部長の力かは俺には判断できないが、雄介の為にあの人が動いたのは事実だと思う。あの人良いひとだよ」と西島が話を纏めた。

 


 「なんか、話の方向が違う方向に行きだしたね」と柴田が苦笑いした。

 「いや、話の方向は違わないよ。俺は部長と言う人を嫌いじゃないよって事を雄介のエピソードで証明しているわけです」と少し悪戯な顔をした。

 雄介は一本とられた様な顔をした。




 「西島の言う事はわかった。でも柴田から見てお前と部長が上手くいっていないように映っているし、部下たちが気を使ってやりずらそうにしている事実もあるんだ」

 話の流れを元に戻した雄介の言葉に西島は応えた。

 

 「言いたい事は分かるよ。でも、ここは超えて行かなければならないところだ」

 「どう言う事だ」と柴田。

 「会社の労働環境を変えていかないといけない」

 「労働環境?」ちょっと、素っ頓狂な声を柴田があげた。

 「労働環境とは、また大きく出たな。西島」とほくそ笑みながら雄介が、すだれを開けて「ママ、竹鶴の熱燗ね~」と大きな声で注文した。




 「もう熱燗いくのかよ!」と言いながら、柴田が困ったような嬉しいような顔をした。

 広島は、焼酎よりは日本酒の方が受け入れられている土地柄だ。雄介は神戸に居る時は、寒くなれば焼酎のお湯割りを好んで飲んでいたが、広島で本当の意味で日本酒を覚えた。

 神戸の灘も日本酒で有名だが、完全に雄介の食わず嫌いで焼酎に流れていたことを後悔するほどだ。焼酎も美味しいし日本酒も美味しいと言うわけだ。要は酒飲みである。

 

 「何言ってる。好きなくせに」と柴田に悪戯顔を向けながら、「それで?」と西島に話を促した。

 「俺たちの37歳って言うのは、生まれは昭和だが文明・文化は平成だろ?」

 「そう言う見方も出来るな」と雄介。

 「部長はどっぷり昭和、若い奴らは昭和を知らない」

 「うん」二人が同時にうなずいた。

 

 「俺たち世代がクッションにならないと、会社は上手く回らないと思うんだよね」

 「でも、クッションなら部長の考えを上手く下に理解させる努力も必要だろうし、西島と部長つまり課長と部長が上手く行っていないのが、クッションと言えるのか?」と柴田が問いかけた。柴田に見えている状態、そのものだろうと雄介は思った。

 

 「だれが、両方のクッションって言った?俺は下を守っているの!部長の古い感覚での営業指導や管理からな」と西島が言った。

 「そのあたり、もう少し詳しく説明してくれよ。俺たち二人に」と雄介が促した。

 「ああ、せっかくこんな場までセッティングしてくれたんだし、俺も柴田と雄介が心配してくれたこと自体は感謝をしている。俺の考えも理解しておいてもらった方が良いだろう」と竹鶴を口に運んだ。

 雄介は長い夜になるなと思った。


「まず柴田に聞きたいんだけど、うちの課で俺が課長になってからの、労働環境面で何か変化を感じるか?」

 柴田は虚を突かれて、試されている感じを覚えたが正直に答えるしかないと思った。

 「申し訳ない。そう聞く限りは何かあるのだろうが、わからない」

 雄介はその正直な返答に、柴田の人となりを感じた。

 

 「うん。柴田だけでなく、みんな感覚が鈍っているんだよ。お前も含めて俺の課全員の残業時間は俺が課長になる前の20%削減出来ている」

 「え?…」と言う言葉とともに柴田はしばらく考えこんだ。

 西島が続ける。「俺たち営業は、残業手当でなく見込み時間を営業手当としてもらっている。何時間分か知っているか?」と二人に投げかけた。

 

 柴田の答えが出て来ないのを確かめて、雄介が答えた。

 「40時間だろ」

 「そう。基本的に月間残業をこの時間内に収めるのが理想だ。俺が課長になるまでの現状は何時間だと思う?」

 「みんなの平均だろ?う~ん。そうだなぁ60時間ぐらいか?」と柴田。

 雄介は西島の呆れた顔を見て、フォローも兼ねて答えた。




 「最近だと営業目標もきついし、まずクライアントの決裁者をつかまえる時間が遅くなっているのも踏まえると、80時間は超えていそうだな」

 「ああ、全支店の数字は把握していないがうちの課で80~90時間、となりの課で100近くだ」

 となりの課とは第二営業課である。西島は第一営業課を担当している。

 「そんなにいっているのか」と半ば他人事の様に柴田が驚いた。

 

 そして、西島がまるで労働問題の専門家の様に解説を始めた。

 その内容は概ねこうだった。現状、長時間労働災害のリミット80時間を超えている事、その対価は支払われていない事、現場の上司に改善意欲が低い事、営業の管理に必要以上の精神論が使われている事、その営業の動きが原因で内勤者の労働時間も長くなっている事などを説明したものだった。

 

 雄介と柴田は黙って聞いていたと言うより、口を挟めなかったと言うのが正直なところだ。西島がまくしたてた後、しばらく沈黙があって後…




 「話はよく分かった。でもそれお前の仕事なのか?」と柴田が聞いた。

 西島が答える前に雄介が口を挟んだ。「間違いなく現場の長の仕事だな」

 「おいおい、お前まで…」と柴田が行き場をなくした。 

 

 「それに関しては俺も気になっていた事があるんだ。制作の残業が明らかに異常で、それは俺たちが原因かなと」

 「俺たち三人が何をしたって言うんだ」と柴田。柴田は酔いが回って頭の回転が落ちているなと心の中で苦笑しながら雄介が言った。

 「俺たちって言うのは営業全体だよ」

 「あ!」と声を出し、柴田が少し恥ずかしそうな顔をした。




 

  雄介が話を続けた。

 「俺たちの刈り取りが遅れる。当然原稿依頼が遅れるわけで、締め切りとの勝負になるだろ?」

 「いや、さすがに言わなくても俺にもわかるよ。進行課は待ってくれないからな」と柴田が受けてそのまま「待っていたら本なんか出ないからな。結局、製作時間を短くすることになるよな」と言って、思い出した様に竹鶴を口に運ぶ。

 

 「ただ、制作時間を短くして解決するなら良いが広告のクオリティーを落とすわけにはいかない」と西島。

 「いいかげんな広告で、反応が有るほど今の消費者は甘くないからな」と雄介が話を受けた。

 「と、なると製作が寝ないで作るしかないと言うわけだ」と柴田が話を締めた。

 

 「で、西島は実際にはどうやって20%も残業を削減したんだよ」と雄介が振ったが、答えを聞く前に「お前、一緒に仕事をしていて分からないのかよ」と柴田にも振った。

 バツの悪そうな顔をしながら、「思い当たる事がない…」と柴田が言った。

 

 「いや、そりゃそうだ。ある程度までは特別な事はしなくても削減出来ると考えていたし、実際出来たからな。柴田が思いつかないのも無理はない」

 「どう言う事?ますますわからん」と雄介が重ねて答えを求めた。

 「だって、俺がサッサと帰っただけだから」

 「あ、なるほど」雄介と柴田の声が重なった。




 「まぁ、分かってくれたと思うけど」と前置きをして西島が説明した。

 その説明では、課員の仕事の進行具合と残業の様子を見ていて、必要のない残業がかなりあると確信した。内勤者では、必要がなくてもダラダラ残業すれば残業手当が付くセクションもある。自分の手取りを増やすための残業。まさにこの輩は給料泥棒と言う事になる。ただ、営業は営業手当のみで残業が付く事はない。なので前者のような輩はいないわけで、何が無駄な残業をさせているのか西島は考えたと言う。

 


 「なんだよ?」柴田が突っ込み気味に聞いた。

 「簡単に言うと、目に見えない雰囲気だ」と答え、西島は話を続けた。

 西島の言うところ、当社の社風もあるが部長の存在が大きい。部長自体は営業として優秀なのは間違いのないところだ。ただ時代背景的に「どぶ板営業」が服をきて歩いているような人だ。100件回ってダメなら200件回る。100件電話してダメなら200件する。先方が朝が早いなら、それより早く行って会社の前で待つ。いや、そう言う事が必要な時もあるだろうが、ずっとじゃないはずなんだが、みんな部長の考え方をよく知っている。それは部長が指導者として、よく落とし込みが出来ているとも言えるが、時代に合わない。

 

 若い者の離職率が上がるだけだ。必要な残業を減らすには改革が必要だが、不必要な残業を減らすのは雰囲気を変えればいける。そう思い俺はなるべく定時退社に心がけるようにした。上の者が早く帰ると下は帰りやすいものだ。

 


 「しかし、よく部長が口を挟んでこないな」と雄介が言うと

 「いや、それは分かる。業績が西島の作戦を守っている」と何故か柴田が答えた。


聞くと西島の課は、西島が課長になってからかなり先の月末まで、ノルマ達成が見えているとの事。柴田も雄介もそこそこ売る営業マンだが、課長になってからの西島は一回り営業マンとして成長していた。課員が足らずを出す分を、ことごとく自分の数字でカバーしている。


 「うん。分かるけど、そうなると下が育たないのではないか?」と雄介が疑問を呈し、柴田が横でうなずいて西島の返事を待った。

 「だけど、育てる対象が辞めたら誰に教えるの?まずは労働環境を良くして、続けてもらい営業の面白味などを感じてもらえるところまでもって行けば、自分の意思でガンガンやる奴も出て来るだろうし、マイペースでやる奴もいるだろうが、それはそれで活躍してもらうフィールドは用意出来ると思う」と西島は言った。

 


 「電報のような事件をうちで出さないようにしないとな」と重ねて西島が言った。


 電報は広告代理店最大手の会社で、そこの社員が労働時間過多により精神を病み自殺してしまった事件が世間を騒がせていた。雄介の会社も電報には及ばないが、広告代理店大手に入る。


 この事件を受け、上層部自体労働環境などハラスメントを含め改革に躍起になっているものの、現場のトップが中々昔の価値観を捨てる事が出来ず、進んでいない。

 この場合の現場の上層部とは、部長・課長にあたるが彼らから見れば、その改革とやらをまともにやって業績が落ちたら、責任は自分らがとるわけで雲の上の経営陣が言っている事を100%遂行する気はないだろう。ある程度のところで茶を濁しながら、業績も自分の立場も守りたいのが本音だ。


 


 雄介は酒を口に運びながら考えていた。

 西島は現場の上層部、つまり金沢部長の中途半端な対応に切り込んでいっているわけで、部長にとっては鬱陶しいのかもしれないが、経営陣の意向に沿っているとも言えるし、業績も落としていないので文句も言えず、もんもんとしていると言う事か。


 「部長はそんなバカじゃないぜ」と西島が言った。まるで雄介の心の中が見える様に。

 「え?何がだよ」見透かされたのを、掃うかのように雄介が強めに答えた。

 「お前の考えなんか、すぐ分かるさ。俺が柴田に余計な事を言うなって初めに言ったのは、心配させたくないのと、その心配が杞憂だからだ」


 「心配してもしょうがないって言うのか?」少し口を尖らせて雄介が言った。

 「ああ、正確には心配にあたらないと言う方が正しいかな?」

 「もったいぶらず、ちゃんと説明しろよ」少し酔った口調で、柴田が入ってきた。




 「部長は俺に対して良い評価している。間違いない」と西島が言うと、「それはない。今日は話すが、お前の居ないところで批判しているぞ」と柴田が何故か勝ち誇った様な顔で言った。

 「部長は俺の何を批判してる?」涼しい顔で柴田に聞いた。

 「何をって…あいつまた先に帰りやがったとか、成績が落ちたらとっちめてやるとか…」

 

 「それ、批判なのか?それをみんなに言ったあと、部長はどうしてる?」

 「え?どうしてるって、ぷんぷん、しながら帰っていくよ」

 「あ!その後みんな帰れるな」とピン!と来たぞみたいな素振りで雄介が言った。

 「え?まさか部長と組んでの演出か?」と柴田が言ったが西島は首を振った。

 

 「この間、決済書類を置いておくのに不在の部長席に言ったら、何気にPCが開いてて何かの報告書だろう画面がそのままだった」と西島が説明を始めた。

 「見たのか?」と雄介。

 「ああ、それにはここ2ヶ月間残業が減っている現状や、内勤職の超過勤務代がいくらコストダウン出来ているとか、まぁ色々書いてあったわ」

 「え、そうなのか?」柴田がまさかあの部長がみたいな顔をした。

 

 「部長は俺と、俺がチャレンジしようとしている事を上手く使っている。よく考えたらあの人当時最年少でわが社の部長になった人だよ。そこらの管理職とは違うよ」

 他の二人は黙ってしまった。


 


 「じゃ、俺が心配して来るほど部長とは険悪ではなかったんだな」

 「ああ、今日の話はじめからそう言っている。俺は部長を嫌いではないし陰口を言った事も一度もない。部長も俺の行動や仕事上の考え方に文句は言っても、俺の人格を否定する様な発言はないと思っている」

 西島と雄介が同時に柴田の顔を見た。

 

 「ない。人格否定は一度も聞いたことはない」と柴田が体も声も小さくなりながら答えた。

 

 しばらく無言の間が流れたが、「まぁ、今日は普通の同期会と言う事で楽しく飲もうか!」と空元気調で柴田がちょこを上に上げると、二人が苦笑しながら乾杯に応じた。

 

 その後は大いに話、大いに飲んだ。

 結果的に有意義な休日に満足して、福山を後にした雄介だった。


第二話 完。

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