第3章-03 ジャッジメント・デイ
その日からぼくは再びロンドと会えるようになった。
ただし、今度はテラスの窓からではなく、玄関から。
ぼくは毎日花束を抱え、制服を着たドアマンに迎えられて巨大なエントランスにむかった。そして大理石のロビーからエレベーターを利用して59階にあるロンドの部屋を見舞った。
彼女を見舞うに当たって、ぼくは心に誓った。
ロンドの前では絶対に泣いたりしないということを。そしていつも明るくふるまうということを。
あの子がそうであるように、ぼくも強くなることに決めたのだ。
ぼくは執事さんとも会った。
数十年にわたり
ぼくはメイドさんにも会った。
まだ20歳だというその女性は、背の高い、白と黒のメイド服が似合う、まるで絵に描いたような外国人のメイドさんだった。ぼくはロンドと再び会わせてくれたことに礼を言った。彼女は首を振った。そして顔を手で覆ってはげしく泣いた。きれいな人だった。
こうしてぼくとロンドは毎日一緒の時をすごした。それはつかの間の……平和で満ち足りた日々だった。
幸い、ロンドは小康状態だった。まだ油断はできないけれど、いくぶん血色もよくなり、口数も増えた。このぶんなら手術にも耐えられるかもしれないと先生も言ってくれた。
このころになるとぼくの生活は完全にロンド中心になっていた。もうだれにもその事実を隠すつもりはなかったし、遠慮する気もなかった。ぼくはだれにはばかることもなく、胸を張ってこの子の見舞いを続けた。ロンドはあいかわらずベッドの上からは動けずにいたけれど、ぼくを見ると目をいたずらっぽく輝かせ、そして口の端でにっこりした。
それはぼくにとって永遠の……そして、一度限りの夏だった。
日々は瞬く間に流れ―――そして、手術がいよいよあと数日にまでせまったある日のこと。
その日ロンドは昼から検診だったため、ぼくは夜に彼女の部屋を訪ねた。
「よう」
「ハイ」
ロンドはベッドの上にいた。もうすでに手術に向けて着々と準備が整っているのだろう。あたりはきれいに整頓され、ロンドの表情もこころなしかすっきりしているように見えた。
「いよいよだね」
「うん」
ぼくらはしばらく雑談したが、ロンドはすでにぼくが来る前からあの計画の算段を立てていたのだろう。会話の途中でふと切り出した。
「……ね、ログ」
「ん」
「あのね、わたし、あなたにお願いがあるんだけど」
「なんだよ?」
「すごくすっごく大事なお願い」
「だから、なんだよ」
「あのね、」
ロンドはわずかに目を左右にそよがせ、あたりに人気がないことを確認すると人差し指の第一関節だけを動かしてぼくに近づくように促した。ぼくが上体を寄せると吐息がぼくの耳たぶにふれるくらいにまでその唇を当て、小声でささやいた。
ぼくはロンドの言葉に耳を傾け……そして大声を上げた。
「はあ!? そんなのだめに決まってるだろ!」
「あら。どうして?」
「どうしてって、だめにきまってらい。そんなこと……」
ベッドの上からこの子がぼくに頼んだ願い―――それは、「一度でいいからぼくの能力を使ってこの窓から外に出てみたい」というものだった。
いったいなぜこの子がこんなことを言い出したのかはわからない。たぶん病身の彼女にすればぼくが気軽に窓から出入りするのがうらやましかったのだろう。それとも他に理由があったのか。
むろんぼくは断ったがロンドはいつになく執拗だった。
「そんなこと言わないで、お願い。ねっ」
ロンドは胸元で手を合わせた。
「わたし、一度外に出てみたいの。出て、じっさいに体に風や空気を感じながらこの街の景色を見てみたい。ログのその力を使えば、わたしを外に連れ出すことができるでしょ?」
「ばーか。そんなことできるはずないだろ。あぶなすぎるよ」
「あら、ログだってそうやって毎日ここにきてたじゃない。だからこそわたしたちは会えたのよ」
「そ、そりゃそうだけど……」
「だからお願い。わたし、ログの力でお外に行ってみたいの。ちょっとだけでいいから。ね、一生のお願いっ」
ぼくはさんざん
ぼくはロンドをベッドから立たせると、彼女の手を取り、テラスまで導いた。素足に白いネグリジェ姿のロンドは意外としっかりした足取りで歩いた。窓を開くとさっと風がながれ、ロンドの髪を揺らした。
「いいか。五分だけだぞ」
「うんっ」
わくわく顔のロンドの手を取ったままぼくは意識を集中し……自分の両足を通じて足下の接地面に重力を発生させた。ぼくの重力の波及力……言い換えれば重力の射程距離はぼくの体を中心に半径約4、5メートルといったところだろう。この中にいる限り、ロンドはぼくの発生させた1Gの影響下にあり、決して下に落ちることはない。
そして、ぼくはテラスの塀を乗り越え、ビルの外壁に脚をかけた。地上60階建ての漆黒の闇、さらにそのむこうに広がる無数の窓明かりがぼくらを出迎える。
夜の匂いがした。
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