第3章-02 ジャッジメント・デイ

 ロンドに会えたのはその数日後のことだった。


 その後もロンドのマンションに通っていたぼくは、夕刻、ビル壁の一隅になにか白い旗のようなものがはためいているのを認めたのだ。

 それはロンドの部屋だった。いつもは窓むこうに下ろされているカーテンが、まるで信号旗のように翩翻へんぽんと風にひるがえっている。

 ぼくははっとして駆け寄ると、テラスの窓は大きく開け放たれていた。風にそよぐカーテンごしにぼくはそっと中をうかがい、足を踏み入れた。


 そこに、ロンドがいた。


 ロンドは、すっかり面変わりしていた。

 病状が悪化したせいだろう。ここ数週間の闘病の激しさを物語るように、その顔はすっかりやつれていた。頬は削げ、かつての活発な女の子の面影をたっぷり残したぷにぷにのほっぺは見る影もない。ただでさえ華奢だった体はやせ衰え、ついこの間まで病室にあってなお軽やか動き回っていた手足は布団の下に静かにしまわれ、そのせいでこの子がひどく小さく見えた。


「……ロンド?」

 声の震えを押し殺し、ぼくはそっと声をかけた。すでに絨毯に伸びる影でぼくが入ってきたことに気づいていたのだろう。ぼくの声にわずかに身じろぎすると、ロンドはいつもと変わらない、いや、いつもよりずっと優しい瞳でこちらを見つめた。そして小さな声で言った。


「ハイ」

「そのう……おきてる?」

「うん。きて……」

「い、いいの……?」

「うん」

 ぼくはそっと近づいた。そして言葉もなく枕元によりそう。

 ロンドは血の気を失い、肌は大理石のように白かった。そのせいか髪の黒さが際立ち、まるでこの子がはかない妖精のように見えた。




 おそるおそる顔を寄せるぼくに対して、ロンドは枕に小さな頭をあずけたまましずかに微笑んだ。

「ごめんね。心配かけて」

 ぼくは無言で首を横に振った。うまく言葉が出てこなかったのだ。一方、すでに上体を起こせなくなっているのだろう。ロンドは寝たまま言った。


「窓ずっと締め切っちゃってごめんね。しめちゃ駄目って言ったんだけど、セバとJJジェイジェイが今は駄目っていって勝手に閉めちゃったの」

「いや、ぜんぜん気にしてないよ」

「心配だった?」

「うん。まあ……ちょっと、な」

 ぼくは鼻の先をぽりぽりかきながら言った。


「ちょっとって、どれくらい?」

「どれくらいって……まあ、少し」

「少し?」

 ロンドは口をとがらせた。


「や、けっこう、かなり、……だいぶ、かな」


「へへー」

 ロンドはくすっと笑ったが、雑談をするだけの体力は今の自分に残されていないことを思い出したのだろう。時を惜しむように、わずかに頭をぼくの方に傾けると真剣な表情で言った。


「あのね。わたし、手術をうけることにしたの」

「う、うん」


「成功率は高くないけど、これ以上体力が落ちる前に。これは前から先生が言っていたことなの。自分でもそう思う。たぶんこれがぎりぎり、最後のチャンスなんだって。だからわたし、がんばることにしたの」

「うん。うん」


「だから……今までみたいにログとは遊べなくなるけど……それでもいい?」

「ああ」


「なおるまで時間がかかっちゃうかもしれないけど、それでも待っていてくれる?」

「いつまでも待つよ。おれ、気は長い方なんだ」


 ロンドは安心したのだろう。ふうっと吐息をついて枕に頭を沈めた。そして言った。


「ねえ。もし治ったら……なんでも私の願いを聞いてくれる?」

「おう。なんでもいえ。なんでも聞いてやるよ」


「いったわね。どんなことでもよ」

「おう。なんでも聞く。男に二言はない」


 懸命に表情を保ちつつぼくは言った。ロンドはかすかに微笑んだ。

 やがてぼくは引き上げることにした。あまり長くしゃべってロンドを疲れさせたくなかったのである。


「じゃあ、また」

「うん。またきてね」

「明日になったら、すっとんでくるよ」


 別れ際に手を振ってふとふりかえったぼくは、隣の控えの間へ通じる扉がわずかに開き、人が詰めていることに気がついた。たぶん、ロンドのメイドと執事さんだろう。


 この再会は、きっとロンドがとくべつに頼んだのだとぼくは察した。

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