第2章-11 ディメンション・トリガー
彼女は不思議な子だった。
異様なお金持ちの子である事はすでに言ったけど、その規模は尋常なものではなく、その浮き世離れした素性を思わず知りたくなることがあった。
ロンドが自ら語ったところによれば彼女の母方の祖母はイタリア人であるらしい。遡ればその血統はいにしえのイタリアの名門貴族にまで行き着くといい、この子の白い磁器のような肌と光り輝くブロンド、なによりその身体に流れる血は彼女から受け継いだものらしい。
「すげー」
単なる一庶民のぼくにすればこの子は高嶺の花以外の何者でもなかったが、ではなぜそんなに大切にされている彼女に母親は会いに来ないのかとか、父親は何をしているのかとか、いろいろ疑問が湧いた。
ほかにもいくつか疑問はあった。専属の看護師の他にいつも侍女が詰めているのも不思議に思えたし、ロンドの寝室に至るセキュリティや警護にしても(窓から侵入するぼくには関係なかったけれど)身体を養う女の子の病室に対する警護にしては少々手厚すぎる感じがした。
なにより不思議なのはインテリアだった。この子の趣味なのか、それともなにか別の理由があるのか、この子の部屋は不思議なものがたくさんあった。無数のキャンドルは女の子らしい趣味と言えたが、ハロウィンの時期でもないのに箒や黒マントがコートかけに吊されているのは奇異に思えたし、壁にU字型の蹄鉄が釘で打ち付けてあるのには疑問を感じた。
「……なに、これ?」
「あら。知らないの。馬の蹄鉄よ」
「蹄鉄?」
「そ、インテリアで下げてるの。かわいいでしょ」
ロンドは澄まして言う。
またあるとき、ロンドがぽつりと言ったことがあった。
「ログ、わたしね、ときどき身体にふしぎな熱を感じるときがあるの」
「熱?」
「うん。なんていうか、 血が暴れたがって牙をむくっていうか、がおーって感じになるっていうか」
「…………」
ぼくはちらりとロンドの手脚を見た。暴れる、と言うにはそのか細い手脚はあまりにはかなく、ぼくはあわててそっぽを向いた。そして言った。
「そりゃあれだな。きみに血の気が多いせいだな。ゲームばっかりすんのも考えもんだぜ。あんまり頭が悪いと、「馬鹿はお断り」ってどこの中学も入れてくれなくなる」
「あら、失礼ねっ。ちゃんとお勉強だってしてるわ」
機嫌を損ねたように、ロンドはぷっとむくれてみせた。
ロンドはいつも明るかった。
とても難しい病気にかかっているにもかかわらず、彼女の笑顔は周りの人間をも明るくさせる力を持っているみたいだった。ロンドと話すだけでぼくは自分のいいところやポジティヴなところが引き出される感じがしたし、この子といる一時間は他の二十三時間よりも笑っている回数が多かった。そのはじけるような笑い声は耳に快く、それを聞くためにぼくは毎日せっせと彼女の元へ通い続けた。たまに彼女の顔色がひどく悪かったり、窓をノックしても出てきてくれないときはひどく様子が気になったし、逆に彼女が快活エネルギーをふりまいて元気いっぱいだったらその日一日ぼくは幸せだった。
雨の日も風の日もぼくは毎晩ロンドのもとへ通い続けた。そして、そのことを彼女もまた喜んでくれた。今、ふりかえってみればあの子の気持ちがよくわかる。たぶんあの子にとってぼくは「外へとつながる」たった一つの扉だったのだろう。動けぬ体を抱えながら、彼女は毎日窓から現れるぼくを通してきっと外の風景を―――自分が決して見ることのかなわない外の世界を遙かに眺めていたのだろう。
学校が終わるのは夕方だったから、ロンドの家を訪ねるのはどうしても夜になった。だがロンドは、ぼくがどんなに遅れても必ず起きてぼくが来るのを待っていてくれた。たまに我慢しきれずにベッドで眠りこけてしまっているときもあったけれど、そんなときぼくは彼女を起こさずそっと引き上げた。そして代わりに来た証としてサイドテーブルに近くのコンビニで買った50円チョコを一個おいていった。それは厳しく食事管理をされているロンドが大好きな、お気に入りのお菓子だったからだ。
「………ん……」
枕に片頬をあずけ、体を丸くして眠るロンドは妖精のようにはかなく、まるで彼女のほうこそティンカーベルの住人であるかのようだった。
そんな彼女の明るい笑顔見たさに、ぼくは一日も欠かすことなく毎日ロンドの元へ通った。それは本当に楽しい蜜月の日々だった。
一か月後、彼女の容態が急変するまでは。
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