第2章-10 ディメンション・トリガー

 ロンドは何一つ不自由ないよう真綿にくるむように大切に扱われていた。主治医や専属の看護師さんのほかに彼女の身の回りの世話をしている人はふたりいて、ひとりは年配の男の執事さんで、もうひとりは専属のメイドさん(侍女長というらしい)だった。


 彼らはこのビルの同じフロアにいていつも彼女の傍らにつきそい、片時もそばを離れなかった。ロンドとは彼女が赤ん坊の頃からのつきあいであるらしく、それだけに遠慮もなく、ロンドが薬を飲まなかったり何か悪さをしたときには容赦なくびしびしと叱った。


「こらっ。ロンド様! また夜更かししてゲームばっかりして。もう何度言ったらわかるんですかっ。夜はちゃんとお休みにならないと、いつまでたってもお体がよくなりませんよ!」

「ああん。ごめんなさい」


 テラスの窓越しに漏れ聞こえてくるその叱責は厳しさと同時に愛情にあふれており、さすがにこのときばかりはロンドもわがままを出さずに素直に言いつけに従うようだった。

(おこられてやんの)

 ぼくは一応闖入者であるだけに挨拶するわけにもいかず、彼らとは直接の面識はなかったけれど、それでもこの少女が周囲の人間にとても大事にされていることはなんとなく伝わってきた。


病気のことについては、ぼくも彼女もあまり話さないようにしていた。ふたりでいるときはなるべく楽しい話をしたかったし、難病だというその病気が治る可能性を聞くのがこわかったからだ。それよりは楽しい話をしようと、ぼくはせっせと話のネタを仕込んでは彼女のもとを訪ねた。


 彼女のもとを訪ねる時刻はだいたい夕方から夜にかけての時間帯だった。それは暗くなってからのほうがビルを上るのに人目につかなくて都合がいいという面もあったが、一番の理由は、ぼくが学校をサボっていると知ったロンドがぼくにちゃんと日中は勉強するように説教したからでもあった。


「えー。いいよ、めんどい。がっこーなんて」

 ぼくはイヤがったが、この子に「ふっ。ばかね。学校に行きたくてもいけない子もいるのよ」などと遠い目をして言われれば、うなずかざるを得ない。

 こうしてぼくは再び真面目に学校へ通い出したが、毎日がむやみに楽しく、ロンドとの逢瀬を重ねているうちに気がついてみるといつしかすっかり以前の自分に戻っていた。ひところの、死んだ目をしてビルを眺めていたテロリストのような剣呑さは失せ、友達からも明るくなったと言われるようになった。


 ぼくは真人間へと生まれ変わった。

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