第2章-05 ディメンション・トリガー
学校を平気でサボるようになり、朝、登校するふりをしてそのままノーネクの制服姿で街中をほっつき歩くようになった。そしてそれが見咎められるようになると、地上ではなく高度100mのビルの上を歩くようになった。皮肉なことに、学校をサボるようになってぼくの『イーサン・ハントごっこ』は復活した。ただし、今度は明るいお日様の下で。
ぼくは日中を都心のビルの屋上や壁面ですごすようになり、そこで時間をつぶした。朝っぱらから日がな一日ビルの外壁に寝転んでひなたぼっこしながら街を背に立つ陽炎を眺めているなんてしょっちゅうだった。誰かに見られることなどもうどうでもよかった。知るか。いったいなにが困る?
ぼくの身体の周りにはマックの袋やらポテトの包み紙だのが散らばり、それらはぼくの重力場に引っかかってビルの壁面にとどまり、やがて風に煽られ、ビルの谷間に音もなく落ちて行った。
サボりだけじゃない。けんかもやった。
放課後、駅前の通りを歩いていると、駐車場でヤンキー数人に喧嘩をふっかけられたのだ。
「やい、どこに目をつけてんだ」
「妙な目つきしやがって。おれたちに喧嘩うってんのか。ああん」
たぶん、ぼくはよっぽど不機嫌な顔をしていたのだろう。地元の高校生らしい、制服を着崩した数名の不良たちが口々にぼくにつっかかってくる。
もともとぼくにヤンキー体質はない。だがこの頃のぼくは精神的に荒んでいたせいかこの手のトラブルに巻き込まれることがやたら多く、さらにたちの悪いことにはぼくの方も逃げるとかトラブルを避けるとか、そうした考えは一ミクロンも持ち合わせてはいなかった。
「きいてんのか、あん」
金髪に頭を染めた男子が執拗に絡んでくる。そんな彼らを見ているうちにぼくは急になにもかも面倒になってきた。
「重くしてやろうか」
「あ?」
「重くしてやろうかって言ったんだよ」
その瞬間、そいつの顔が苦悶にひきゆがんだ。不良たちはまるで膝と脚の筋肉をなくしたように、腰から崩れ落ちるようにして地面に叩き伏せられる。
「ぐわあああっ」
「どうだ? 重くなったか? その羽毛みたいに軽いおつむがよ」
路面のアスファルトに接吻し、自分の身にいったい何が起こったのかわからず真っ青になっている相手に向かって、ぼくは口の端を持ち上げて言った。これまで感じたことのない、自分でもわからない不条理な怒りに駆り立てられ、ぼくはGをどんどん加圧させた。
「あああああぁぁ」
「きこえねーよ」
つんざくような悲鳴を無視しぼくは近くの塀にどんと左手をついた。その瞬間、今度は這いつくばっていた男の子たちの体がまるでラインダンスでも踊るようにいっせいに起き上がり体を塀の上にたたきつけられる。
頬と耳と髪をブロック塀に貼り付け、本物の化物を見るようにぼくを見つめて震える瞳孔に宿る恐怖を存分にむさぼったあと、ゆっくりと力を解く。
「消えろ」
ぼくがそういったときには、すでに不良たちは悲鳴を上げて地面を転げるようにして逃げ出していた。ぼくはきびすを返して通りを歩き出したが、胸の奥にはどす黒い、後悔にも似た感触が残った。
かつてぼくは必死に超能力を鍛えた。自分が重力を操れるとはじめて知ったあの日以来、少しでも能力を高めようと懸命にトレーニングに取り組んだ。その結果が「これ」なのだろうか。ぼくは『グラビティ・ストリーム』を通りすがりの不良をいじめるために鍛え上げてきたのだろうか。
これが、ぼくの夢見た世界か?
「……うう」
深夜。ビルのてっぺんでぼくは両膝を抱えて俯いた。以降、ぼくはさすがに懲りてこの手のことはしなくなったが、それでも自分のやってきたことに対するむなしさはその後もつきまとうことになった。毎日が無性に寂しく、ぼくは毎日の放課後をビルの屋上ですごした。バカなことに、ひとりで孤独に物思いにふけられる場所がぼくにはそこにしかなかったのだ。
夜。夜風が髪をなぶるのに任せつつ、ぼくはじっと目の前の光景を眺めた。家に帰りたくなく、終電の時間を過ぎてもずっとこの場に腰を下ろしていたのだ。目の前には美しい夜景がフルパノラマで広がっている。
「……」
その光の一粒一粒は人の、家族の、あるいはそれ以上の集団のつながりと営みの証だった。その無数の光の集まりは家庭を作り、街を作り、そして都市という大きな光の渦を形作っている。でも、あの無数の光の中のたとえ一粒だって、ぼくと同じ悩みを抱えた人間はいないのだ。
ぼくは、ひとりだ。
たぶんぼくはそれを子供の頃から知っていた。だからこそぼくは夢中になったのだ。カタカナいっぱいの設定を作り、自分をそこに置き留め、あたかも自分は物語の主人公と見なすことで、この訳のわからない力が自分に備わっていることは正しいと証明しようとしたのだ。
でも、長い時を経てぼくは気づいた。ぼくには命を賭けて戦う相手なんかいないし、倒すべき敵もいない。宿命のライバルもいなければ、背中を預けられる仲間もいない。
そう、単純な、単純な事実。
世界はぼくを必要としていない。
そんなある日のことだ。
その日、ぼくはいつものようにビルの上にいた。
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