第1章-04 グラビティ・ストリーム


 きっかけは例によってささいな出来事だった。

 学校の休み時間のことだ。


 その日、ぼくは友達といっしょにグラウンド脇に置いてある遊具で遊んでいた。その遊具にははしごみたいな雲梯がくっついており、ぼくらのお気に入りになっていた。

 高さ2メートル、長さ5メートルほどのその雲梯を、ふつうの子は下から鉄棒を掴んで渡っていくが、度胸のある奴は上からはしごを踏むようにして渡る。ぼくは勉強はからっきしだったが、この手の技だけは早くから習得していた。

「おーい、ログ。あれみせてくれよ」

「おう」


 ぼくはリクエストのままに雲梯の上を行ったり来たりしていたが、友人たちの視線を浴びているうちにすっかり得意になり、お調子者がよくやるようにバカなこと思いついた。この足場の悪い雲梯の上を駆けてみせてやろうと考えたのである。


「それっ」

 アホ丸出しでぼくははしごの上をしきりに駆け回っていたいたが、案の定というべきか足を踏み外した。


「あっ」


 と思ったときにはもう遅かった。ぼくは真っ逆さまに地面に転落し……暗転する視線の中でとっさに宙に手を伸ばした。


 こうしたとき、反射的に出る手は母親が幼い頃から使いこなせるようにと矯正させてきた右ではなく、生来の利き手、左手だった。




 人差し指と中指がかすかに鉄棒に引っかかり、ぼくは間一髪それを掴んだ。その瞬間、ぼくは落下する自重を支えきろうと自分の左手にすべての意識を集中させた。

「!」

 その瞬間、鏡のような水面の表面に光の波紋が一気に広がるようなイメージが一瞬脳裏に鮮やかに浮かんだかと思うと、奇妙な事が起こった。先刻まで鉄棒にぶら下がっていた友人が、ぼくの目の前で急に体を横にスライドさせ、はしごを支える鉄の柱にいきおいよく頭をぶつけたのである。


 ごちん。


「ぎゃんっ」


 その子は短い悲鳴を上げるとひっくり返り、そのままこてんと地面に伸びた。

「お、おい」

「だいじょうぶかー」


 友達たちが次々に集まってくる中、ぼくは雲梯に手をかけたまま呆然としていた。今、目の前で起こった出来事と自分の中で感じた一瞬の感覚、そのふたつの奇妙な合致になにかふしぎな感覚をおぼえたのだ。

 い、今のは………なんだ?

 鉄柱に勢いよく頭をぶつけたその子はしばらくうんうんうなっていたが、やがてむくりと起き上がる。見ると、かわいそうにおでこにこぶができている。


「いってー」

「おまえ、なにやってんだよ」

「はは。だっせー」

 友達たちがからかい混じりにいたわりの言葉をかける中、休み時間終了のチャイムが鳴った。あわてて駆けていく友人たちを尻目に、ぼくは今得た実感をかみしめながら自分の左手を見つめた。

 さっき落ちまいとぼくが必死に鉄棒をつかんだとき、あの友達は吸い寄せられるようにして鉄棒に頭をぶつけた。みんなはそれを着地に失敗したと思ったようだったが、ぼくにはわかっていた。彼が、まるでなにか強い力に引っぱられるように宙を真横にスライドしたことを。


 とくん。という心臓の音を聞きつつ、ぼくはあらためて頭上の遊具を見上げた。そして思う。そう、あの友達は飛んだんじゃない。彼は横に落ちたのだ。あたかも地球の引力に引きつけられるように。

 ふつと赤ん坊の頃からこれまで体験してきたさまざまな記憶がよみがえり、ぼくはもう一度鉄さびに汚れた自分の左手を見つめた。たぶんこの時こそがぼくがはじめて自分の資質に気づいた最初の瞬間だったろう。


 そう―――。



 ぼくは、重力を操れる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る