第1章-03 グラビティ・ストリーム
「やあ。こんにちは」
母親に手を引かれて診察室に入ると、目の前に顔の下半分が黒髭に包まれた屈強なおじさんが白衣を窮屈そうに着て座っていた。膝を悪くして引退したプロレスラーかと思いきや、どうやらこの人が心療科の先生らしい。
「はい」
髭面の先生は一通りぼくを診察した後、ごほうびに自分の机の上にあった小箱の中からキャンディーをひとつくれた。そしてそれを口の中でころころ転がすぼくを前に、母親にむかってこの手のことは就学前の幼児期にはよくあることだから心配する必要はありませんといった。夜に身近な物を抱きしめて離さないとのことですが、子どもは無意識が強い生き物ですし、おそらく眠った拍子に坊やの心の動きが動作となって現れたのでしょう。お話をうかがったかぎりそれほど深刻な症状でもないようですし、気になさる必要はありません。いちばんいけないのはご両親が神経質になるあまりそれがお子さんに伝わることです。ですからお母さまとしてはなるべくおおらかな気持ちでお子さんに接してあげて下さい。
いい先生だ。
お医者というものはこうでなくてはならない。
不安が払われほっとしたのだろう。帰り道、母親はすっかり元気になった。そんな母に手を引かれつつ、ぼくはふと左の手のひらを開いた。中にキャンディーが入っている。
さっきぼくはあの髭の先生からキャンディーをひとつもらった。そして食べた。1-1=0。単純な引き算だ。
でも、じゃあなぜぼくは今キャンディーを握っているのだろう?
ともあれ先生のお墨付きを得た母親はそれから安心してぼくを放っておいた。おかげでぼくはさらにすくすくと成長した。それがよかったのだろう。小学校に上がる頃にはぼくのこの症状はいつの間にかなくなり、布団の中でソフビ人形やランドセルと添い寝する癖もなくなった。
さて、そんなこんなで小学生にあがったぼくだったが、この時期うちの家庭にささやかな変化があった。ぼくに妹が生まれたのだ。家庭内は一気に華やぎ、それにともないぼくは一気に一般人へと格下げとなった。
ちなみに妹の名は
ここまでくると、もう受けを狙っているとしか思えない。
「この子は将来きっとモデルか女優になるぞ。みてみろ。こんな整った顔は見たことない」
親父は懲りずにそんなことを言っていたが、この六つ年下の妹は生まれつき世界の幸せの総量をアップさせる才能に恵まれているらしく、大きくなるにつれ「おにいたん、たんとぴーまんもたべなきゃだめ」と舌足らずの声で呼ばれるたびぼくはうっとりとなったが、これは親父の親バカが移ったのだろう。
そんなぼくにもついに自分の『能力』に自覚的になる出来事が起こった。この機会にぼくは本格的にサイキッカーとしての道を歩み始めるのだが……ま、順に記していくことにしよう。
きっかけは例によってささいな出来事だった。
学校の休み時間のことだ。
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