第1章-02 グラビティ・ストリーム
「ログ、あなた今日、工事現場とかで遊んだ?」
「ううん。ちかくのこうえん」
「へんねえ。手に油汚れがついてるわ」
ぼくは自分の手をあらためた。見るとたしかに赤茶けた油汚れが左手にみっしりとこびりついている。もともとの利き手なのだから無意識に使っていても不思議はないが、にしてもぼくは油なんて触っていないし、むろん工事現場にも行っていない。ちなみに右手はまったく汚れていない。
母親は首をひねっていたが、その後もこうしたことはたびたび続いた。外へ遊びに行き、遊びつかれて帰ってくると決まって左手だけがうす汚れている。奇妙なのは汚れている箇所はいつも決まって手の甲であることだった。ふつうであれば汚れる部位は手の外側ではなく内側であるはずなのに、洗う段になってみると触れたおぼえのない油脂や鉄をふくんだ砂、野生植物の花粉などが決まって手の甲にこびりついている。
「まったく。いったいこの子はどこで遊んでくるんだか……」
石鹸でぼくの左手の甲をこすりつつ母親はぶつぶつ言ったが、この出来事は子どもながらも妙に心に残った。
ほかにも左手にまつわる思い出はいろいろある。
たとえば子どもの頃、寝ていて起きてみると手に何かを握っているということがよくあった。夜になる。ベッドに入る。一晩寝る。朝、寝ぼけ眼をこすりつつ目を覚ますと、ぼくは布団の中で必ず左手に何かを握りしめているのだ。持っている物はさまざまだった。お気に入りのおもちゃの時もあればミニカーやサッカーボールの時もあった。
初めは両親も笑っていた。ぼくが子どもらしい執着心から自分の好きな物をベッドの中に持ちこんでいると思ったのだ。だがこれが日ごとに続くようになると、だんだん両親も不安になってきた。
「やあね。この子、夢遊病かしら?」
夜、布団に入るときはなにも持っていないのに、目を覚ましたときには必ずなにかを手に握りしめているぼくを見て母親は首をひねった。他に家族がない以上、息子が夜中に無意識に起き出しては眠ったままそれらをかき集めているのでは……と心配になったのだ。
結局、母親はぼくをともない児童心療内科に相談に行くことにした。
「やあ。こんにちは」
母親に手を引かれて診察室に入ると、目の前に顔の下半分が黒髭に包まれた屈強なおじさんが白衣を窮屈そうに着て座っていた。膝を悪くして引退したプロレスラーかと思いきや、どうやらこの人が心療科の先生らしい。
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