第1章-01 グラビティ・ストリーム

 ぼくが生まれたのは七夕の夜らしい。

 星の綺麗な晩だったそうだ。


 もっとも、ぼくは星からも綺麗からもほど遠いけったいな顔をしていたらしい。そして産湯うぶゆを使ったばかりのぼくが新生児室で自分の左手の親指を吸い出したのを見て、母親は息子が左利きであることに気がついた。16年前の話だ。


 ぼくの名前は獅堂しどうログ。

 ちなみに芸名じゃない。本名だ。

 このふざけた名前についてはそのうち後述することもあるだろう。


「こいつは将来、芸術家になるぞ」

 新生児室をガラス越しにのぞきこみつつ親父は自信満々に言った。

「見てみろ。こいつは左利きだ。レオナルド・ダビンチも左利きだったんだ。偉大な芸術家には左利きが多いしな」


 8年後、ぼくが美術の時間に友達の正面顔をメタボの奈良の大仏みたいしか描けずに泣きながら居残りさせられることなど知らずに親父は断言した。一方、そこまで息子の将来に幻想を抱いていなかった母親は相手にしなかった。そして、なるべく早いうちにぼくの利き手を右に矯正をしてやらねばと考えた。

 理由は簡単だ。駅の改札や券売機、パソコンのテンキーを例に挙げるまでもなく、この世界は右利き用に設計されている。そのため社会に適合していくには右手を使えるようになる必要があるのだ。女親としては息子が偉大な天才芸術家になるかはともかく、成長したあとにあまり日常で苦労するような目にはあわせたくなかったのだろう。

 というわけで、物心がつくとぼくは右手を意識して使うようにしつけられた。ちなみに後で知ったことだが、動作によって利き手を使いわける行為のことをcross-dominance……「クロスドミナンス」と言うらしい。crossは交差、dominanceは優性とか支配とかを意味する。かっこいい響きだ。もうちょっと早く知っていれば必殺技の名前に使えたろう。


 さて、さしたる苦労もなく『クロスドミナンス』をマスターしたぼくは、すぐに日常生活に不自由しなくなった。左利きの人の中には矯正の過程でストレスをおぼえたり苦労したり人もいるらしいが、ぼくはそんなことはなかった。その結果、ぼくは左右の手どちらも遜色なく使えるようになった。ただ、ボールを投げるときだけは左手で投げた。そして危ない目に遭ったとき、とっさに身体の前に出る手はやはり左手だった。


 親父はのんきな性格で、育児にはほとんど口を出さなかった。職業は建築家で、雑居ビルの改装から幼稚園の庭造りまで何でも貪欲に手がけていた。顧客は絶えたことがなかったから性格はともかく腕はよかったんだろう。毎日忙しそうにしており、おかげでぼくはあまり口やかましいことは言われずにすんだ。


 一方、お袋の方は親父と異なりいたってまっとうな常識人だった。独身の頃は小学校の先生をしており、知識も常識も人に配ってまわれるくらいたっぷりと持ち合わせていた。親父とは一緒になったのが不思議に思えるほど性格は正反対だったけど、逆にそれがよかったのかもしれない。人生という名の高速道路(ただし本人の誤認識でただの一般道)をひたすら逆走する親父の横で律儀にそれにつきあった。ただ時々当人もシートベルトを締め忘れる癖があり、ついでにカーナビがまったく読めないところが欠点と言えば言えた。


 そんなわけでぼくはわりとのんびりとした幼年期をすごした。




 一方、ぼくの『力の目覚め』は早かった。思い出せる限り順を追ってあげていこう。


 あれはぼくが5歳の時だ。

 その頃ぼくは幼稚園が引けたあと近くの公園で遊ぶのを日課としていた。服はいつも泥だらけになり、家に戻った後はきまって母親から小言を浴びつつ洗面所へ追い立てられるのが常だったが、あるとき、帰ってきたぼくの手をながめるなり母親がふと眉をひそめて言った。


「ログ、あなた今日、工事現場とかで遊んだ?」

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