さよなら、サイキック 0.夢と出会いの塔 著:清野 静

角川スニーカー文庫

プロローグ


 木陰に座る。りんごが落ちる。もうが開く。

 アイザック・ニュートンは1665年、故郷のウールスソープで農作業中、リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を思いついた。彼が22歳の時だ。

 ニュートンは近くにぼくがいなくて幸いだった。もしぼくがいたらりんごはぼくの側に落ち、彼は世紀の大発見をする機会を逸しただろう。




 15歳で超能力を極め、16歳でふたつ年下の魔女と恋に落ちた。

 ぼくが彼女と出会ったとき、彼女は14歳の誕生日を迎えたばかりだった。そして、余命半年の命だった。

 と言って、これは悲しい物語じゃない。


 これは、ぼくの青春の物語だ。


 ぼくらが初めて会ったとき、彼女はぼくのことを柄の悪いピーターパンだと思ったらしい。というのもあの子の部屋は高層ビルの最上階にあり、当時のぼくはコンビニの袋をぶらさげては窓からそこへよく通ったからだ。もっともぼくは彼女のことをウェンディとは思わず、どっちかっていうと世界名作劇場に出てくる赤毛のアンみたいだと思っていた。髪をお下げにしていばっている感じがよく似ていたんだ。ま、こっちはテレビの再放送の印象だけどさ。

 もっともアンと呼ぶには彼女は病弱すぎ、病室から一歩も出ることのできない身体だった。そのせいかいつも退屈を持てあましてプレステのコントローラーを握っているのが常で、両親に大事にされていることをいいことに一日中ゲームばかりやっている重度のゲームジャンキーだった。

 少し先走った。彼女の話をする前にぼくの話もしておこう。




 冒頭でも書いたようにぼくは超能力者だ。より正確に言うとある特殊能力をひとつだけ持って生まれ、その後、彼女と出会って別の生き方をするようになった。

 だから話のすじを順序立てて説明するとだいたいこんな感じになる。ある奴が特別な力に目覚める。そして苦労の末それを使いこなせるようになり、ある日女の子に出会い、生き方を変える。

 話に起伏がないって言われたって実際にそうだったんだから仕方がない。その意味じゃ、この物語はノンフィクションだ。いいことも悪いことも全部、痛くて痒い傷だらけのマイユースがそのままの形で凝縮されている。

 超能力について言えば……あまりぼくはいい語り手じゃない。ぼくが得たのは全部自分勝手流のやり方ばかりだったし、そこには理論的科学的な裏づけはほとんどないからだ。誰からも教わらなかったぶん、ぼくは短期間の間にすべてを我流で身につけなければならなかった。おかげで実践には強いが、理論には弱い。よくある話だ。

 人生も同じだ。

 人は理論や筋立てで生きるわけじゃない。すべては自分の手足を使っておぼえていくしかない。その意味ではこれは記録でもある。ぼくがいかにして『魔女ウィッチ』と出会い、そしてろくでもないチンピラから真人間へと戻っていったか、その詳細な記録だ。

 ロバート・A・ハインラインっていう偉い作家が本の中で言ってる。


『自分自身でぶつかってみれば方法はかならずあるもんだ』

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