第12話 混沌たる者と狂気纏いし者②

 キンッ! と。カナが無造作に振り抜いた刀が弾丸を切り裂き、耳を劈くような金属音が響き渡る。

 両断された銃弾は背後へ消えていく。


「あははっ。そうよね。この程度の奇襲なら以前の私でも余裕で対処できたんだもの。あんたにできないわけないわよねぇ。さぁ次いくわよ」


 ピタリと重力に逆らい空中で停止したカナが油断なく見据える先。

 奇襲が失敗したというのに欠片も表情を崩さず、変わらず狂気的な笑みを携えた、同じように宙に浮かぶ女は両手に持った漆黒と白銀の拳銃の引き金を無造作に引く。

 途端、銃口から吐き出される二つの弾。形こそ先程と違いないそれは、しかし途中で無数に分裂……否、同じ形、同じ大きさのまま分散する。


 視界一杯。空間一杯に拡散し、殺到する密集した無数の弾雨。

 最早それは点でなく面。まるで巨大な壁が押し寄せてくるような情景。


(……)


 周囲の雲を衝撃波で霧散させながら亜光速で接近するそれ。

 彼我の距離から考えるに、一般人所か魔王すら呆気なく絶命するだろう死の雨を前に、カナは焦らず冷静に懐の念写カードへ手を伸ばす。

 想像と創造は同時。カナのすらりとしたしなやかな指がカードに触れるないなや、カナの周囲にヴェールの様に薄く透明な結界が形成され弾道を断ち切る。


 ズガガガガガガガガガガッ!

 と。凄まじい轟音が鳴り響き、空間が激震する。

 どれほど頑強に造られた要塞もこの弾丸の前では砂上の城のように呆気なく崩壊するだろうと、そう確信させるに足る威力だが、それでも結界が破られることはない。結界は完全に死の雨を遮断している。


 それもそのはずだ。なんせカナはそういう風に。どれ程の攻撃にさらされようと内部を完全に保護する絶対的な結界を構築したのだから。

 実際、カナと相対しているのが彼女ではなく現在世界を恐怖に陥れている魔王達だったなら、 彼らは未来永劫どう足掻いても結界を破ることができず、攻略の糸口を掴もうと考え倦んでる間に殺されていただろう。


「……?」


 が、しかし。そうはいっても、今回は相手が悪すぎた。

 数千もの銃弾が一見何もない中空に次々めり込むという不思議な光景を眺めながらカナはおもむろに刀へと手を伸ばす。


 直感が囁いたのだ。

 来る、と。


 そして次の瞬間その予感は現実のものとなる。

 ばりーん! と。あれほどの銃撃を受けてもびくともしなかった不可視の結界が、硝子が割れるような音と共に結界にめり込んだ銃弾もろとも吹き飛んだのだ。


 刹那、一筋の光がカナに躍りかかる。

 カナは頭で考えるより早く刀を振るい、肉薄する刀身を受け止める。交差する二つの刀身はゾッとするほど艶かしく美しい。


「あはっ。そうよね。これも対処するわよね。本当規格外で羨ましいわ」


 所持していた二挺の拳銃はどこへやら。

 拳銃ではなくカナが握る刀と同程度の長さの刀を押し付けてくる女は、アメジスト色の瞳に狂気を爛々と渦巻かせながらそうカナを褒め称える。


「羨ましい? その規格外を遥か上空まで蹴り飛ばし、亜光速の銃弾を撒き散らす貴女も大概だと思いますが? なにより貴女が今しがた難なく突破した結界は、如何なる攻撃をも防ぐ絶対防壁として創造した物なんですよ?」

「この世に生まれてからそう経っていませんが、それでも今まで一度も覆されたことがない私の能力がひっくり返されるなんて、正直いって喫驚を禁じ得ません。貴女、一体何者なんです? よろしければ教えてくれませんか?」


「あら。なぁに? 私のことが知りたいの? そっちから絆を育みにきてくれるなんて嬉しいわ。いいわよ、教えてあげても。どうせ長い付き合いになるんだから。でも親睦を深めるのは後。今は存分に楽しみましょう!」


「ッ!」


 女が左手を柄から手を離す。

 刹那、その手の中に一挺の銃が現出する。

 銃口が狙いを定めるのは、己の頭部。


 カナは咄嗟に距離を置こうとする。が、しかしそれは僅かに遅かった。

 カナが飛び退くより早く、女は刀を抹消すると自由になった右手でカナの刀……その刀身を掴む。手が斬れることなど些事だと言わんばかりの力で。

 別に手からダラダラ血を流しながらもその顔に苦痛を刻まない女の性質に気圧され硬直したり、大勢の者からしたら狂気の沙汰でしかない女の行動に心胆を寒からしめ思考を停止したりしない。むしろ即座に刀を手放し迅速に後退し回避行動を取る。


 が。それでもやはり一瞬。僅かに行動が遅れていて。

 それは0.0000001秒ほどの、常人では遅れと判断できない、否、その僅かな差を知覚すらできないような須臾にも満たぬものであるが、それでも彼女達のような規格外からしたら歴とした遅れであり。


「あはっ。さっすがぁ。あそこから致命傷を避けるとかどんな反射神経してるんだっての。ま、でも掠り傷だろうがなんだろうが一発は一発よ?」


「……」


 無言で頬から流れる一筋の鮮血を拭う。

 間一髪。紙一重で致命傷は避けたが、無傷とはいかなかった。

 無論、あの状態からその程度で済んでる時点でカナの規格外具合も相当なものなのだが……ともあれ。


(……)


 カナは着物に拭った鮮血を一瞥し、再び女を見据える。

 同時、女は血塗れの手の中に収まるカナの刀を無造作に投擲する。

 カナは光速で飛来するそれを難なく受け止め、尋ねた。


「一体なんの真似です? 態々得物を返すなど。舐めているのですか?」


「んぅ? それは勘違いよ、勘違い。私は別に舐めてるつもりはないわ。刀を返したのはほら、あれよ。その方が面白そうだからよ。だって私は貴女とただ思いっきり遊びたいだけで殺し合いをしたいわけではないもの」


 言い終わるなやいなや女は左手の拳銃を抹消し瞬時に間合いを詰めにかかった。

 接近は一瞬。瞬きした瞬間には、なんて生易しいものではない。瞬きをしてないにもかかわらず、次の瞬間には女は目と鼻の先にまで迫っていた。


「さぁこれはどうかしら?」


「ッ!」


 女が不意に勢いよく右手を横へ薙ぐ。

 すると、いまだダラダラ流れ出る鮮血は狙い済ましたように……否。実際それを狙ったのだろう。鮮血は顔面、正確には目に襲いかかる。


(まさか、こんな搦め手を使ってくるとは)


 カナはそれを反射的に体勢を低くしてやり過ごしながら感嘆する。

 確かに戦闘において目潰しというのは常道かつ王道的な戦術の一つだが、それをまさか自らの血液でやるとは。さしものカナも予想できなかった。


(戦闘センスがずば抜けているのか、それともそれだけ場数を踏んでいるのか。その辺はわかりませんが……なんにせよ私の見立てに狂いはありませんでしたね。思った通り、この方は尋常ならざる者のようです)


「咄嗟の回避行動は天晴れだけど、その避け方は想定済みだし悪手よ」


 心のうちで改めて評価を下すカナを他所に、女は顎先めがけ右足を烈風が発生する程の凄まじい勢いで振り上げる。

 カナは初めこそそれを左手で受け止めようと考えるも、巨大な岩石どころか惑星すら粉微塵にしそうなその蹴りを片手で受け止めるのは不可能だと判断し、咄嗟に後方へ飛び退くことで難を逃れる。


 そのまま滑るように更に距離を置き、30メートル程離れた位置で体勢を立て直すカナに女は心からの賛辞を送った。


「あはっ。流石ね。スペックはそっちの方が上でも、戦闘経験では私に分があるのに全然決定打を入れられないなんて。貴女、本当凄いわね」


「散々攻撃時に声を上げておいてよく言いますね。あれでは避けてくれと言ってるようなものですよ? まぁ貴女程の実力者がそんな初歩的なミスをするとは思えませんし、十中八九わざとなのでしょうが」

「それとスペックはこちらが上で、戦闘経験ではそちらに分があるということですが、まだお互いに全力を出してないこの段階で何故そう言い切れるんです? もし差し支えなければそう判断するに至った経緯を教えてくれないでしょうか?」


 その何気ない問いかけに女の表情がここに来て初めて変化する。

 狂気に彩られた笑顔から、しまったという表情に。

 自分はただ胸裏に生じた疑問をストレートにぶつけただけで女を揺さぶる意図はなかったのだが、どうやら思わぬ収穫を得たようだーーなんて思ったのも束の間、女はやれやれと頭を振ると、再び狂気の笑みを浮かべた。


「いやぁ。失敗失敗。私って昔っからそうなのよね。ついつい余計なことを口走っちゃうのよ。本当我ながらしまりのないお口で困っちゃうわ」


「いえいえ。猛省する必要も卑下する必要もありませんよ。むしろ私としてはもっとぺらぺら情報を吐き出してもらいたいのですが、どうでしょう?」


「どうでしょうって言われてもねぇ。さっきも言ったけどそういうのは後よ、後。さて、お喋りもそろそろおしまい。ここからはギアを上げていくわよ。ついてこられないなんて言わせないわよ?」


 言下。言い終わるなやいなや、女は滑空し先程同様……否、先程を遥かに凌駕する速度で瞬時に間合いを詰めにかかる。

 対しカナは刀で接近戦は不利になるだけだと断じて刀を迫り来る女めがけ投擲し、同時、守ってばかりでは一向に状況は好転しないと考え、突き進む刀の後を追うようにして女へと突撃する。懐へ手を忍ばせながら。


「得物で注意を引き付け、その隙に攻勢の準備を整えたり撤退したり、攻撃を仕掛けるなんてのは古今東西で使い古された手。ま、それだけ使い勝手がいいのも認めるけど、残念ながら私には通用しないわよ」


 言葉通り女は回転するように動くことで容易く迫る刀を回避し、その勢いのままカナの頭部へ容赦ない勢いで回し蹴りを叩き込もうとする。

 超光速という馬鹿げた速度で迫り来るその蹴りはしかし、カナへ接触することはない。なんせ蹴りを見舞うはずの足首より先が進行方向へ突如現れた巨大な横向きの刃に両断されたのだから。


 だが、足首より先を切断された当の本人は激痛を感じているだろう筈なのに表情を歪めることはない。断面図から噴水のように鮮血を撒き散らしながらも変わらぬ狂気の笑顔をその顔に刻み込んでいる。

 いや、それどころか驚くことに、女は視界に収まる自らの切断された足首より先が慣性に従いあらぬ方向へ飛んでいく様子など欠片も気に留めず追撃を仕掛けにいく。至近距離から女の右拳がカナの顔面向け放たれる。


「……」


 全身を断面図から噴出する流血で真っ赤に染めたカナはそれを限界まで引き付けた後、一気に体を沈めながら懐へ入り込み、腕を取り股の間に足を滑り込ませ、全身を使って勢いを利用し放り投げようとする。

 が、流石というべきか。カナが女の腕を放すと同時、女はすかさずカナの腕を鷲掴みにした。ぐるり、と。カナの体は巻き込まれる形で回転し、そのまま今しがた己がやろうとしたように女に放り投げられる。


 無論、幾ら投げられようと空を飛んでいる二人に効果はないのだが。

 ともあれ。

 ぴたりと。綺麗な放物線を描いて飛んでいたカナの体が急停止……したかと思えば、突如、あたかも背中に猛烈な爆風でも受けたかのようにカナは大気の壁を破りながら女に向かって超光速で急接近する。


「あはっ。やっとその気になってくれたのね。嬉しいわ」


「別にその気になったわけではありません。いい加減鬱陶しくなってきたので潰すだけです。速やかに消えてください」


 そんな軽口もそこそこに、二人は同時に腕を振るった。

 忽然と手の中に収まった二振りの刀がぶつかり合い火花を散らし、硬質な音を世界に響き渡らせた。

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