第10.5話 這い憑きし者とその仲間達

 鬱蒼と生い茂る植物群により大部分の太陽光が遮られた森の中。

 まるで祝福せんばかりにそこにだけ植物の隙間から多量の日の光が射し込んでいて、その日の光を受け止める泉は水面のみならず空間全体を煌めかせ己の存在を誇示せんばかりに緑の中に浮かび上がっている。


「流石は混沌たる者。やることなすこと全部無茶苦茶。全ての行動が場当たり的で一貫性がないから当然なんだろうけど」


 ウェーブがかった深紅の髪を肩口で切り揃えた少女、夏姫なつきはたっぷりとタレがかかった串団子をパクつきつつ先程のピエロ……正確にはそれを操っていたカナについて思案する。


「明確な目的があるならまだしも、なんとなくで人々を恐怖のどん底に突き落とし社会を混乱させるなんて。本当、混沌たる者は怖いわね」


「同感。本当、おっかないわよね。怖くて怖くて失禁しちゃいそう。ねぇ、お前もそう思うわよね? 思うよな、おい。なんか言えよ屑」


 地獄の釜の底から這い寄るようなドスの利いたおどろおどろしい声。

 夏姫は泉に浸けた足をちゃぷちゃぷ動かしながらちらりと横目にそちらを見る。


 そこには綺麗な江戸紫色の髪を腰まで伸ばした少女と、その少女の足元で広がる血の海に転がる見るも無惨な形相を呈する物体が一つ。

 衣類がずたぼろに引き裂かれ、顔が潰れ、鼻が折れ曲がり、全ての指が切断され、腕があらぬ方向を向き、整っていた歯が欠け、全身が血に塗れ、下顎呼吸を繰り返すその姿は誰が見ても喋れる状態ではない。


「お前みたいな塵屑でも口はあるでしょーが。別に能力使って喋れなくしてるわけじゃないんだからなんとか言いなさいよ。質問してんだからさ。私達が来るまでそうだったように粋がれよ。粋がってみろよなぁ?」


 だが、アメジストのような絢爛で鮮麗な瞳にとめどもない憤怒と憎悪を宿した少女、杏奈あんなは一切気にかけずチカラを振るう。

 満身創痍の肉塊が不可視のチカラに吹き飛ばされ宙を舞い、鮮血が飛散する。しかしそれが杏奈にかかることはない。見えざるなにかに導かれるように杏奈を避け、結果、一滴たりとも杏奈に降り注ぐことはない。


「……あら? 死んじゃったわ」


 地面に落ちぐちゃ、という水袋が落ちたような音を奏でる肉塊。

 ぴくりとも動かないばかりか、いよいよ下顎呼吸すらしなくなったそれは明らかに絶命している。

 普通ならばそこで全てが終わるだろう。死とは不可逆的なものなのだから。


「さて。それじゃリセットしようかしら」


 だが、残念ながら。残酷なことにそうはならなかった。

 彼女達の前では死による逃亡は許されない。

 神以上の存在を前に、神未満の者が逃げることなど不可能。


 一瞬。本当に一瞬で肉塊は元の姿を取り戻す。

 幾春秋を重ね皺が増えながらもまだまだ若さを残す顔。高く伸びた美しい鼻。凄惨な姿を晒していた肉塊は姿を消し、無傷の女性が現れる。


「……っ!? あ、あああああああああああぁぁっ!!」


 そしてそれは瞬く間に歪んでいく。

 はじめこそ焦点のあっていなかった瞳は瞬く間に恐怖に揺れ、表情にはハッキリと絶望が刻まれ、しまいには発狂してしまう。


 だがそれは当然の反応だろうと夏姫は思った。

 なんせあの塵屑が復活させられたのは今回が初めてではない。そのためこの後自身の身に何が起こるかあれはわかっているのだから。


「さて、もう一度初めからやりましょうか」


「嫌っ! もう嫌! 謝る! 謝るから! だから許」


 言葉半ば。詫び言は強制的に中断させられる。

 杏奈は忽然と千切れ飛んだ女性の舌を虚空から取り出した拳銃で撃ち抜き、断面図から噴水の如く鮮血を噴出させる女性を射殺さんばかりに睨み付け吐き捨てる。


「はぁ? お前みたいな塵屑に情けなんかかけるわけないでしょ。ていうかもう一度言っとくけど、別に謝罪の言葉を欲しくてやってるわけでも、悔い改めてほしくてやってるわけでもないから。ただムカつく相手を痛め付けてるだけだから勘違いしないでよ、屑」


 言下。突き放すような言葉の後、今度は女性の右手親指が吹き飛ばされ、続け様に女性の左耳に幾多の針が突き刺さる。

 痛みから地面をのたうち回る女性に対し、杏奈は相変わらず憎悪に満ちた瞳を冷ややかに向けるのみ。やめる気は毛ほどもないようだ。


(……こうやって客観的に見てるとホント、あたし達って理不尽な存在よね)


 みたれしだんごの独特の甘みを堪能しながら夏姫はそんなことを思う。

 意識しただけで何もかもを行えるというのは。接触なく肉体が吹き飛ばされ切り刻まれ潰され傷付けられ生き返されるというのは。きっと相手からすれば理不尽極まりないことだろう。


「お二人とも、そろそろ戻りますよ。カナさんが来る前に戻りませんと」


 と、不意に耳を打つ第三者の声。

 夏姫が背後へ顔を向けると、二人の二十代前半の女性が視界に入る。


 一人は胸元に赤色のリボンをつけた白色の軍服を着る、蘇芳色の髪と同色の瞳が特徴的な可愛らしい愛嬌溢れる女性、蘇芳。

 一人は動きやすいよう改良された白黒の狩衣を着込んだ、たおやかな笑みを浮かべるおっとりした雰囲気の妙齢な女性、鈴歌すずか


「二人共、終わったの?」


「えぇ。切りがいいので切り上げました。自然の中で指す将棋は相変わらず格別で時間の経過を忘れるほど没頭してしまいますね」


「ふぅん。将棋の楽しさはやらないあたしにはわかりかねるけど、美しい景観の中でやるものはなんでも格別なのはわかるわ。それとあたしはだんご頬張ってるだけだから今すぐにでも戻れるわよ。けど……」


 立ち上がりながら夏姫は視線をそちらへ戻す。

 女性の体を操作して、女性に目玉を取り出させている杏奈へ。


(相変わらずやることエグいわね。自分の手で目玉抉り出させるとか。混沌たる者も怖いけど、杏奈みたいなタイプも充分恐ろしいわよね)


 混沌たる者のような一貫性のない言動も怖いが、夏姫からすれば杏奈のようなタイプの純粋な残虐性というものも同様に恐ろしく感じられた。

 確かに今暴行を受けてる女性は過去にそれだけのことを。小遣い欲しさにクラスメイトの気弱な少女に売春を強要させていた、同情の余地が欠片もない正真正銘の屑であり、夏姫自身心底虫酸が走る思いだが……。


(流石にあたしは感情操作しながらでないとできないわね)


 やろうと思えば夏姫も杏奈と同様のことが容易く行えるが、相手がどんな生物であれ夏姫には生物を傷付けること自体に抵抗感があった。

 目の前で拷問が行われていても平然と大好物のだんごを楽しめるが、自分自身が手を下すとなると途端に拒否反応が芽生えてしまうのだ。


(きっと一種の才能なんでしょうね。生物を躊躇いなく攻撃できるのは)


「ん? 私も問題ないわよ。後、鬱憤は大分晴らせたからもう送っていいわよ、これ」


 杏奈が転げ回る女性を顎で指すのと同時、女性はその場から掻き消える。先程のピエロがそうだったように、散布していた肉片や眼球、広がっていた血の海すら跡形もなく綺麗さっぱりと。

 女性は送られたのだ。杏奈の暴行が生易しく感じるほどの、本物の地獄に。尊厳という尊厳が踏みにじられる、死による逃亡も狂うことによる逃避も不可能な、未来永劫苦痛と恐怖に襲われる想像を絶する劣悪な場所に。


「それじゃ戻ろうか。仲間を増やしに♪」


 とびっきりの笑顔を浮かべくるりと踵を返し、嬉々とした足取りで歩き出す蘇芳。森の中へ消えていく蘇芳の後を夏姫達は追随する。

 残るのは静寂。飛ぶ鳥跡を濁さずというように、そこにはただただ美しい景色が広がるのみ。誰もこの場で人一人が虐げられていたとは思うまい。

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