黒い雨 -第3話- 「月光編」

夜の提督執務室。

ハーブティの匂いが部屋を包み込んでいる。

作戦会議の机に、時雨と提督は会話を弾ませていた。


「助かったよ。明日は本部の大事な作戦会議なんだ。」

「居眠りでもしたら何て言われるか。」


提督は面目なさそうに時雨を見つめた。


「どういたしまして。提督も大変だね。」

「あんまり頑張りすぎちゃだめだよ?」


苦笑いを浮かべる提督はハーブティを持ち上げた。


「大丈夫、これを飲んだら不思議と元気になるんだ。」

「もしかすれば、時雨の元気を分けてもらってるのかもな。」


提督なりの感謝の気持ち。

時雨も嬉しそうにはにかんだ。


「そうかもしれないね。」

「そう言ってくれると・・作った甲斐があるよ。」


「・・・・。」


時雨は執務室の窓へ視線を移す。


「提督。今日は満月なんだって。」

「ねぇ・・二人で見に行こうよ。」


顔を赤らめながら時雨は提督を見つめる。


「月か・・いいな、気晴らしになりそうだ。」

「これを飲んだら二人で行こう。」


時雨はその言葉を聞き、嬉しそうに微笑んだ。





鎮守府の宿舎、執務棟から離れれた堤防。

工廠に隠れ、一人になれる時雨お気に入りの空間だった。


「この時期は、ここから見える月が綺麗なんだ。」


時雨は防波堤に座る提督の傍らに立ち、月を眺めていた。


「へぇ~・・こんな絶景スポットがあるんだなぁ。」

「お前より長く居るのに、気付かなかったよ。」


提督もまた、月を見ながら言った。


「・・・。」


時雨はささやくように口を開いた。


「提督・・。」

「夕立の事・・好き?」


突然投げられた問い。

提督は少し戸惑いつつも答えた。


「あぁ・・あいつは俺の仲間だ。」

「好きに決まってるだろ?」


時雨は表情を変えず、さらにささやいた。


「僕もだよ・・。」

「夕立はいつも元気で、優しい。」


提督は返事をしないまま、月を眺めていた。

それを無視するように、時雨はささやき続ける。


「昔からそうなんだ。」

「いつも僕が落ち込んだときははげましてくれる。」

「僕なんかのことをいつも気にかけてくれる。」

「太陽みたいに、暖かくて優しい。」


時雨は提督のとなりにしゃがみ込んだ。


「そう・・夕立が太陽なら・・」

「僕は・・月なんだ。」


その手は提督の肩を優しく撫でる。


「太陽が月を照らし、夜空に輝くように。」

「夕立がいないと・・僕は自分が見つからないんだ。」

「夕立が僕の事を見ていてくれないと・・」

「僕は暗い夜の空に溶けてしまいそうになる。」


時雨の目は提督を見つめていた。

それはほんの一時間前までの優しいまなざしでない。

まるで深海棲艦を見つめているように鋭く、冷たい視線だった。


「僕はとても辛かったんだ・・」

「夕立は君しか見てくれない・・」

「僕は夕立の事をこんなに愛しているのに・・」

「君なんかより愛しているのに。」


提督の体は小刻みに震えていた。


「ふふ・・驚いた?」

「声が出せないし、体も動かせない。」

「さぁ・・何でだろう。」


時雨は提督の口元へと指を重ねる。


「僕の作ったお茶・・」

「実は僕のナノマシンが入っているんだ。」

「体が動かないのは・・」

「脳からの信号を、ナノマシンが一時的に遮断しているんだよ。」


まるで獲物を捕まえた蜘蛛の様に、時雨は提督の頭を優しく撫でる。


「安心して・・別に君は一生動けなくなるわけじゃない。」

「それは一時的なものだ。」

「処理が終われば君は自由に動ける。」


撫でていた手を止めて、時雨は提督の耳元でささやいた。


「感じるかい?」

「今、僕の気持ちが・・君の頭に流れている。」

「とても清々しい気持ち。」

「そう・・僕の嫌いなものがこの世から無くなるんだ。」


提督の体は、何かに抗うように震え続ける。


「安心して。」

「ナノマシンは艦娘の機密を守るために・・」

「宿主の脳が死んだ瞬間、跡形もなく消えるように作られている。」

「あぁ・・提督は知ってるよね。」


時雨は提督の背中へゆっくりと手を移していく。


「君は・・誰もいない、この場所で自殺する。」

「原因は不明・・」

「証拠もなく・・”理由もなく”・・」


背中にかかる手が止まった。


「さようなら・・提督。」


波の音にまぎれて、

提督は海面へと消えていく。


時雨は、嬉しそうに微笑んでいた。

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