第2話 遺骨

 五年生の頃だった。一度だけ、佐倉君と隣の席になった事がある。佐倉君は休みがちの子で、無口で、ぼんやりしていて、友達と呼べそうな子は一人もいない様であった。なので彼は昼休みになると自分の席でうたた寝をしていたのだが、彼はとても糸目だったため本当に寝ているのか、頭を机の上に乗せているだけなのか、見分けが付かなかった。

 正直皆、「佐倉は何を考えているか分からない。」と彼を少々気味悪がっていたが、彼自信そんな事はどうでも良いらしく、特に困っていたり、寂しそうにしている様ではなかった。ただ淡々と現状を受け止めるだけ。自分から行動するタイプでは無かった。

 私も彼に対して良いイメージを持っている訳ではなかったが、別に嫌っては無かった。だから隣になった時も、『五月蝿い人と隣でなくて良かった。』と胸を撫で下ろしただけであった。

 それは給食で魚が出た日の事であった。女子数名が、「小骨がめんどくさい」と騒ぎ、残そうとするのを担任が咎める風景を横目に、私はちまちまと骨を取り除いていた。すると佐倉君がポケットティッシュを取り出すのが目に入った。ずぼらそうなのに、きちんと持ち歩いているなんて意外だな、と感心していると佐倉君は箸でつまんだ小骨をそっとその上に置いた。一本ずつ、残す所なく、丁寧に。まるでこの魚に敬意を払うように。

すると佐倉君は私の目線に気づいたらしく私の方を見た。

「あっ」

と思わず声が漏れる。じわじわと頬が赤くなっていくのが分かる。別に咎められるような事をしたわけでは無いのだが、うっかり彼の秘密を覗き見てしまったような、そんな申し訳なさに襲われた。

「なに?」

佐倉君は相変わらずぼんやりした声色で小首をかしげた。いつもと大して変わらないその様子に私は少しほっとして、「それ、どうするの?」と小骨を指さした。佐倉君は目線をそちらに滑らす。五秒ほどの沈黙。そしてそれを崩すように佐倉君は「ああ。」と頷いてもう一度私の目を見た。彼の糸目が、少し見開かれた気がした。

「埋める。」

「それを?」

「うん。」

「なんで?」と聞くより先に佐倉君は口を開いた。

「これは、遺骨だから。この魚は僕が弔ってあげないといけないんだ。」

彼の目が、また一層見開かれる。真っ黒な瞳孔がじっとこちらを見据えていた。

 彼の口からそのような難しく、大人びた単語が出て来るとは思っていなかった。けれども私はそれ以上に、あの佐倉君がはっきりと、断定するかのように物事を言った事に怯んでいた。だから彼の言動を何一つ理解する事は出来なかったが、それ以上何も聞かなかった。

 その日の昼休み、佐倉君はいそいそと教室から出て行った。瞬時に『遺骨を埋めに行ったんだ。』と付いて行こうとしたが、友達からのドッジの誘いを断りきれなかった。放課後、どうしても気になって、帰り際にこっそり「埋めた?」とだけ聞くと、彼は無言のままただ頷いた。それきりだった。

 翌日、佐倉君は何も言わず転校してしまっていた。先生は「家庭の事情」という曖昧な言葉を繰り返した。なんとも形容し難い靄の様なものが私の体の内側に充満した。佐倉君が居なくなったからと言って大して何かが変化することは無かった。まるで始めから存在しなかったみたいであったが、空の机はやはり私の隣にあった。

 それでも月日が経つにつれ、私は段々と佐倉君の事を忘れていき、それに比例するかの様に靄も晴れていった。元々あまり学校にさえ来ない様な子であったし、印象に残ってる彼との出来事だって最後のあの会話ぐらいだったので、逆に始終覚えておく方が難しかった。

 だから、いつの間にか佐倉君の机が撤去されたくらいの頃、友人の口から彼の名前が出て来た時も、瞬時に思い出せなかった。しばらく記憶を呼び起こし、ああ、あの遺骨の子か、と思い出した。

「この間聞いたんだけど、佐倉君が転校したの、お母さんが亡くなったからだったんだって。」

その友人は、自分の母親から聞いたらしい話を私に聞かせてくれた。

「佐倉君のお母さん、昔から体が弱くていつ死んでしまってもおかしくない状態だったんだって。だから佐倉君、休む日が多かったらしいよ。今何処にいるかは分かんないけど、多分親戚の家に住ませてもらってるんじゃないかな。あの頃は佐倉君の事ちょっと気持ち悪いとか思っちゃったけど、もっと話しかけてあげてれば良かったな。」

噂好きの彼女はそう早口に言い終えると、少しわざとらしく肩を落としてみせた。 

 私は佐倉君のあの言葉を思い出した。

『これは、遺骨だから。この魚は僕が弔ってあげないといけないんだ。』

あの時は、なんて大人びた単語を使うのだろうとだけ思っていた。けれどもそれはきっと

違うのだと気付く。あれは彼の言葉では無かったのだ。

 私は想像する。火葬場、彼は彼の母親の遺骨の前に立っている。自分の知っている母と

は似ても似つかない姿に彼は困惑する。そんな彼に付き添っていた大人が長い箸を差し出

す。

「これは君のお母さんの遺骨なんだ、だから君が弔ってあげないといけないんだよ。」

 私はゆっくりと現実に戻ってゆく。彼はあの時、どんな顔で遺骨を埋めたのだろうか。

それを知る術を私は持っていない、持っていたとしてもあまり知りたいとは思わない。た

だ、佐倉君が今でも元気でいたらいいなと、そう思った。

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