第5話 赫翼

 その力は圧倒的だった。

 月の石を核として作られた対オーヴァード用パワードスーツ・ルナゲイド。それを身に纏った影朗は迫りくるエージェント達を次々と蹴散らしていく。爆ぜる電撃は敵の肉を焦がし、強固な装甲は放たれた弾丸をものともしない。

「さあ、俺の妹を返せ!」

 影朗は吠える。その声は既に狂気ルナへと染まっていた。スーツが発するレネゲイド因子に当てられて暴走状態へと陥っているのだ。その鋼の右腕はヘレンの喉を締め上げる。

「そう。あなた、赫翼のお兄さんなのね。まったく勇敢なことだわ」

 だというのに彼女は少しも苦しむ様子を見せずに呆れてみせる。

「あなたもFHエージェントなら分かっているでしょう。インフィニティコードはノーマルともオーヴァードとも異なる存在と言っても過言ではないわ。上位存在でありながら実験動物。支配者でありながら鎖に繋がれた奴隷。そんなものを世間にそのまま放っておくほうが狂っているのではなくて」

「黙れぇぇええ!!」

 《サイバーアーム》が影朗の怒りに呼応するかのように放電を行い、ヘレンの喉を焼き焦がす。彼女がノーマルならばとっくに死んでいるだろう。しかしヘレンの体はすぐさま回復リザレクトを始める。

「まったく。兄妹愛なんて理解できないわね。……と言いたいところなのだけれど」

 ヘレンは手元のタブレットをちらりと見やり、そして微笑んだ。

「ご協力感謝するわ。あなたの力にあてられて赫翼は目覚めました。――生天目! シェルターを第一から第四まで開放なさい!」

『しょ、所長。そんなことをすれば……』

「何よ。今更怖気づいたとでも言うの? 元はといえばあなたの立案でしょ」

 タブレットから男の声が聞こえる。しかし影朗はそんなものに注意を向けていなかった。スーツの頭部に搭載されたセンサーが警告を発しているのだ。方向は地下、途轍もなく強力な反応が突如として現れたのだ。

 次の瞬間、影朗とヘレンの体は吹き飛んだ。下から突き上げられる衝撃を全身に浴びながら彼は驚愕、彼女は恍惚の表情でその飛来物を目の当たりにする。

 背中に赫い翼を生やした一人の少女。

 虚ろな目に少し痩せた体、けれども見間違えるわけがない。この数週間、ずっと探し続けてきた妹の姿だった。

「茜!」

 空中で体勢を立て直した影朗はすぐさま茜の元へと近寄る。しかし無情にも彼女の力は影朗へと向けて振るわれた。

 それは赫色の衝撃だった。

 血液と影からなる翼がまるで意志を持ったかのように攻撃を始める。点で、線で、面で、影朗の体を切り裂かんと迫り来る。

 そして彼の視界は赫に覆われた。迫り来る嵐と、流れ出した血、警告を示すアラート、どれもこれもが影朗の生存本能を刺激する。

 殺せ、と。

 目の前の敵を殺せ。

 あれは化物だ。自分たちとは違う異形の化け物だ。

 存在するだけで悪、生きているだけで世界を壊す災厄なのだと本能が哭き叫ぶ。

 影朗の意志とは裏腹に体が動き出す。それはスーツが持つ着用者保護機能の一つだ。着用者に命の危険が迫った場合に核となった月の石レネゲイドビーイングがその動作の補助を行う。

「茜! 俺だ、影朗だ! 聞こえないのか、茜!」

――殺せ、殺せ。あいつは化物だ。

「おい、茜! お兄ちゃんだぞ! 助けに来たぞ!」

――世界の癌を殺せ。衝動を解放しろ。

――お前の価値は赫翼の抑止力だ。お前はその為に生まれたのだ。さあ、殺せ。

 影朗の頭の中に声が響く。殺せ、と。妹を殺すためにお前は生まれたのだ、と。その言葉に導かれるように、その右腕が少しずつ茜へと伸び――

「――邪魔するんじゃねぇ! 名無しの鎧ジョン・ドゥがぁ!」

 その叫びに応えるように影朗の、影朗自身のレネゲイド能力が発動する。

 モルフェウス能力者は極まれば《魂の錬成》をも可能にする。モルフェウスは物質の創造と分解を行うのだ。作れるならば、壊すのも容易い。

 そして何かが砂になった。

 形ある何かを壊したわけではない。しかし確実に何かが壊れ、砂へと変貌を遂げたのだ。その瞬間、影朗の頭の中に響く声が消えた。

 あとに残ったのは影朗の意志だけだ。

「茜、手を伸ばせ! 俺はいつでもお前の」

 味方だ。

 そう言い終わるのよりも早く、赫翼レッド・ウィングが鋼の鎧を包み込んだ。

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