第2話 囁き出す悪魔

 あれからもう二週間が経った。

 未だに茜の、茜を連れ去った者の足取りは掴めていない。影朗の落ち込み様は見るに耐えないものであった。集中力を欠き、まともなレネゲイドコントロールも行えない。それ以外の作業さえも手元がおぼつかないのだ。見るに見かねた上司が忙しいにも関わらず無理矢理休暇を取らせるほどだった。

 家は事件後、レネゲイド関連対策室の調査が入ったあと、元通りに修復された。壁にぽっかり開いた大穴も綺麗に塞がっている。しかし茜の帰ってこない家というのは、影朗にとって穴が開いているのと一緒だ。どうにも落ち着かず、考え込んでは気が滅入ってしまう。

 逃げ出すように外に出てきた影朗だったが、することもなくただただ公園のベンチで缶コーヒーを啜っていた。

「…………」

 無言でスマートフォンを取り出し、ニュースサイトやSNSで情報を探る。始めのうちは何か少しでも茜に繋がる手掛かりが見つからないかと努力していた。しかし警察やヒーローでさえも掴めない情報をただの一般人である影朗が見つけられるわけもない。今では自分も頑張っているんだと自分に言い聞かせるためのルーチンワークと化していた。

「どこにいるんだよ、茜」

 影朗は左手の空き缶を握り潰す。ノーマルからしてみればスチール缶をいともたやすく潰すだけで立派な超人だ。しかし影朗の力はあくまでその程度に過ぎない。オーヴァードとして最低限の身体能力と再生能力、そしてオマケのようなモルフェウスエフェクト。現状に対し、影朗はあまりにも無力だった。

 感情が昂り、抑えきれなくなったレネゲイドの力が潰れた空き缶を砂に変えていく。さらさらと掌から零れ落ちる砂はまさしく彼の涙だ。

 一通のメールが影朗のもとに届いたのはそのときだった。

 ボーっとしながら何気なく開いたそのメールの内容に、彼は大いに戸惑った。

「Vネットのアドレス?」

 ヒーローや警察でさえ手に入らない情報。ならばヴィランの手にかかればどうだろうか。いや、逆だ。ヴィランが厳重に隠しているからこそ、ヒーローや警察ではその情報が掴めない。だとするとこのVネットにアクセスすれば茜に関する情報が見つかるかもしれない。

 影朗もVネットの噂は耳にしたことがあった。たとえUGNの諜報員がどんなに経歴を完璧に偽っても入り口さえも見つからない。しかしヴィランとも言えないチンピラ共なら容易く参加できる闇のSNS。

 きっとこのアドレスもヒーローや警察に通報した途端に機能しなくなるのだろう。それならば今ここで自分が利用してやれ。どうして自分の手元にこれが送られてきたのかは定かではないが、絶好の機会なのには代わりはないんだ。

 影朗の中の悪魔がそう囁く。

 そして茜の泣き顔が浮かんだ。今もどこかで助けを待っているはずの妹。

 早く助けてやらないと。誰が? 俺が? 俺が!

 早く、早く。早く! 躊躇ってなんていられない。

「……ハッ」

 その嘲笑は誰に向けたものなのか。影朗は画面に表示されたアドレスをタップした。

 一瞬のラグを経て、ブラウザはVネットのトップページを映し出した。それだけでここの異様さが分かる。犯罪の計画や報告、見るだけではらわたが煮えくり返るような悪意の塊の集合体がこのVネットなのだと影朗は理解する。

 それでもなお、彼の指は止まらない。

 百人単位で人が死ぬ残忍なテロ計画も、人を人と扱わない卑劣なドラッグ売買の実態も、全てを無視して影朗は自分に必要な情報を探し求めた。

 そして影朗は画面をスクロールする手をピタリと止めた。茜の名前を見つけたわけではない。けれどもそこに記された"赫翼レッドウィング"の二文字が自分のことを呼んでいるような気がした。

「"赫翼"能力発露実験 協力者募集中」

 そう記されたスレッドを影朗は開く。

 実験の場所や日時、具体的な実験内容などが淡々と事務的な文章で連ねられている。そしてその最下段、被検体の画像が添付されていた。

「見つけた」

 そこに映るのは虚ろな目、感情のない顔をした最愛の妹の姿だった。

 影朗はすぐさまそのページに記された文章をスマートフォンに保存。さらにブラックドッグ能力者の干渉も視野に入れ、手書きでもメモを取る。

 ヘレン・ディートリッヒと生天目なばため倉人。

 それが敵の名前だ。さらなる情報を求めてVネット内で彼らの名前を検索にかける。どうやらヘレンは表向きはUGNに協力するレネゲイド関連企業のトップ、生天目は彼女のもとで働く研究員らしい。

 あとはこれを警察やヒーローに通報するだけ。

 影朗は安堵した。

 しかしそれは仮初めに過ぎなかった。

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