DX3 月満ちる夜に刻満ちる

人夢木瞬

第1話 崩壊する日常

「クッ! 人質を取るとは卑怯な!」

「ハッハッハ! 卑怯でなくて何がヴィランだ!」

 人質の青年にナイフを向けたヴィランが下品な笑い声を木霊させた。

 オーヴァード犯罪多発都市、東京。

 日夜、ヒーローとヴィランがしのぎを削り合う世界。しかしそんな世界でも戦うための力を持たないオーヴァードは存在する。

 望月影朗、十八歳。

 所有するライセンスは生産Cのモルフェウス。家族は妹の望月茜の一人だけ。彼女を養うために町の自動車修理工場で働く青年だ。このご時世、ヒーロー用マシンのチューンを請け負うことも多く、今日も今日とて残業だった。無論、分かりきったことではあったのだが。

 しかしそれが原因で、ヴィランの人質になってしまうというのは流石に想定の範囲外である。

 帰りが遅くなったため、近道しようと裏路地に入ると、今まさに初の悪事に手を染めようとしているビギナーなヴィランに遭遇。向こうはテンパったのかそのまま影朗を人質に取り、大通りへと姿を現した。

 最初はヴィランから「やべーよこれ、どーすんだ」といった様子が窺えていたのだが、ヒーローが手出しできないのをみるとどんどんと調子に乗り始め、今に至る。

「さあ、コイツを殺されたくなかったら、さっさと……さっさと……」

 やはり何も考えていなかったらしい。影朗は思わず嘆息する。

 そもそも自分はオーヴァードなのだからナイフでの一撃くらい《リザレクト》すればどうとでもなるし、逃げ出すことは容易だった。けれども死なないとはいえ、死ぬほど痛いのは確かだし、もし逃げ出せばこの考えなしヴィランがどう動くかも分からない。それで自分以外の人間が被害を被っては目覚めが悪い。

 そんな考えが、影朗をこの場から動かせずにいた。

「さっさと……クソッ、どうすりゃいいんだ?」

「そちらこそさっさと要求を伝えないか!」

「うるせー! ちょっと待ってろ!」

 ヴィランは影朗の首筋のナイフはそのままにスマートフォンを取り出した。どうやら噂のVネットなるヴィラン専用SNSにて相談をしているらしい。ほとほと呆れたヴィランである。

 少しでも自分から気がそれた今がチャンスとばかりに影朗は、ナイフにそっと触れた。その瞬間、ナイフが触れた場所から少しずつ砂になって崩れていく。分解、そして分解によって生じた砂から新たに別の物を生み出すのだけが彼の唯一の取り柄だ。

 ナイフの刃が完全に消え去り、柄だけになったのにヴィランはまるで気がついていない。影朗は拘束を無理矢理引き剥がし、前方に向かって駆けていく。

「あっ! この、待ちやがれ!」

 ヴィランが投擲したナイフは影朗の心臓目掛けて一直線に飛んでいく。しかし既に柄だけと化したナイフは、彼の背中にコツンとぶつかるだけで地面に落ちた。

 そして影朗とすれ違うようにヒーローがヴィランの元へと近づいていった。

 後のことは影朗には分からない。ただ、ヒーローの技名とヴィランの断末魔だけが後ろの方から響いていた。


 影朗はそのまま逃げるようにして現場から立ち去った。きっとあのまま現場に居続ければ事情聴取などを受ける羽目になり、帰宅が大きく遅れてしまうだろう。無論、そんなことをすれば後日さらに時間がかかることは重々承知だった。

 けれど今日だけは早く家に帰らなければならない。なにせ今日は自分の誕生日で、妹が腕によりをかけた料理を準備して待ってくれているのだから。

「茜のヤツ、怒ってなきゃいいけど」

 自宅の前で影朗はポツリとつぶやいた。

 もし怒られたら「いやいや、こんなことがあってさ」と土産話でもすればいい。そしたら結局「そういうのはちゃんと協力しないとダメだよ、お兄ちゃん」なんて怒られるかもしれないけれど、それはそれで楽しそうだ。

「ただいまー。遅くなってゴメンなー」

 玄関のドアを開けながら、家の奥へと声をかける。しかし返事は帰ってこない。

「なんだよ、拗ねてんのか?」

 ああ、これは確実に怒ってる。

 そんな思考はリビングを見た瞬間に吹き飛んだ。

 きっと綺麗に盛り付けられていたはずの料理は無残に床に散らばり、その床には焼け焦げた痕が今も燻って煙を上げている。そして壁には重機でも使ったかのような大穴と、周囲にはそこから外へと続く血痕も残されていた。

「茜!? 茜!」

 何度呼んだところで返事は返ってこない。認めたくなかった。信じたくなかった。けれども現実は残酷に事実を影朗に突きつける。

 ここに茜はいない。

 連れ去られた? 誰が? どこに? どうして?

 そんな疑問が頭の中をかき回し、かき乱す。答えなんて見つかるわけがなかった。

「茜ぇぇぇぇえええええええええ!!」

 昨日と同じ今日、今日と同じ明日。

 そんなものはまやかしだ。

 今までの日常は別れを告げ、望月影朗の新たな日常は始まりの鐘を鳴らした。

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