イチイのこと。

瀬田 真赭

イチイのこと。

来た。


 ファストフード店の奥、レンガタイルに囲まれる一角が定位置。

全席禁煙になって空気も清浄。

押し寄せてくるざわめきを吸収する膨張色。

2時とか4時とか、偶数だけをあいまいに追って時計を見ていたら、あっという間に窓の外も暗い。

ガラスの向こう、連れ立った群れから、イチイが手を振る。


 イチイとは幼稚園が一緒だったことがある。

その日も夢中になって絵本を読んでいたら、声を掛けてきた。

「ごほんばっかりよんでると、おなかがいたくなるよ」

そう言って、静かに隣に座った。


 斜め前の席。いつもの男子4人。

今日もイチイはよく喋っている。

手元を実用書に切り替えた途端、彼の声が響きだした。

優しい、少しかすれたトーン。

「また歌ってきたん?」

「おぉっ」

ご機嫌に、隣のギターを持ち上げる。


 今日の3冊目。

【やさしい家庭料理】

しかし、出汁のとり方なんて何の役にたつのやら。

朝も昼も夜も、家には食べるものがいっぱいだ。

仕事で忙しい筈の母が、いつも作り置いてくれている。

しかも、こんなところでパイなんて食べてさ。


 桜が咲いていたから、多分入学式の頃だ。

期待していたようには気分が晴れなくて、やりきれなくて苛々していたら涙になった。

詰め襟のイチイと再会したその日、彼も泣いていた。

「終わりだよ」

君も僕もここで終わるんだよ。

突拍子のない言葉に、頭が真っ白になった。

そこからまた『付き合い』始めている。


 イチイが毎日明るいのは、いつか世界が滅ぶと思っているから。

だからやたらとよく喋るのだけど、もちろんそんな物騒な動機は、用心深く誰にも言わない。

 家に帰ると、昨日の特売卵を大量に発見。

出し巻きをしこたま焼いてみた。

残業の母の夜食にしてしまえっ。


この部屋にイチイは来たことがない。

「散らかってるよ」

と一言言ったら、

「うわぁっ、いい。やめとく」

とあっさり拒否られた。

散らかった部屋は『めつぼう』なんだそうだ。

なんだとっ。


 今日の5冊目。

【簡単おそうじ&収納術】

目の前のページへの意気込みは、そのままイチイへの想い。


片付けよう。


滅ばない明日に向かって。

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イチイのこと。 瀬田 真赭 @masohoks

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