(13)その後

 美子が秀明と結婚して九年近くが経過した頃、少し前から衰弱して床に就いていた加積が亡くなり、密かに執り行われた葬儀に夫婦揃って参列した。

 夫を亡くしてからも桜は相変わらずで、「黒ばかり着ないといけないなんて、辛気臭い」などとブチブチ文句を口にしていたが、美子は何となく彼女が気落ちしている様に感じていた為、呼び出しを受けた時はすぐに加積邸に出向いて、様子を見る事にしていた。

 その日も急に呼び出されたにも係わらず、すぐに屋敷に出向いた美子を、桜は嬉しそうに出迎えた。


「いらっしゃい、美子さん。百箇日法要にも出て貰ったばかりなのに、呼びつけてしまって悪いわね」

「それは構いません。それよりも、幾らかは落ち着きましたか?」

「ええ、何とか。皆が色々と差配してくれたから。落ち着いたと言えば、美子さんの体調はどうなの? 百箇日法要の時は、悪阻で気持ち悪そうだったし」

「はい、もう落ち着きましたので、ご心配無く」

「それなら良かったわ。今度は三人目ね。若い人は家族が増えて、良いわねぇ……」

 穏やかな笑顔でそう述べた桜を見て、美子は出会ってからそれなりの年月が経過しているにも係わらず、彼女から親兄弟や子供の話を、一度も聞いた事が無かった事に、今更ながらに気がついた。しかし話す気があれば向こうから口にする筈と割り切り、曖昧な笑顔で頷く。するとここで、桜は思い出した様に付け加えた。


「ああ、あの子にも一応、お礼を言っておいてね? ちょっと五月蠅いのを、静かにさせて貰ったから」

「分かりました。伝えておきます」

(『あの子』って秀明さんの事でしょうし、桜査警公社の方で、五月蝿い外野を何とかしたって事よね? 相変わらず、何か裏でこそこそとやっているみたいだわ)

 秘密主義は相変わらずみたいだと、美子が呆れて溜め息を吐くと、桜は苦笑しながら一枚のスクラップ記事を美子の方に差し出した。


「ところで、今日出向いて貰った理由だけど、一つはこれよ」

「これは……、武田さんと勝俣さん!?」

 その新聞の切り抜きを目にした美子は、その記事に載せられている写真を見て本気で驚いた。慌てて記事の内容に目を走らせると、あの町に設立した鉄道会社の線路の起工式だったらしく、来賓の県知事の左右に社長の靖史と町長の良治が並び、鍬入れをしている場面を撮影した物だった。


「やっぱり面識はあったのね。地方紙の社会面では結構大きく取り上げられたけど、この日の前後に大きな事件が立て続けに起こって、全国紙には載らなかったみたいだから、取り寄せておいたのよ」

 小さく笑いながら桜が付け加えると、美子は半ば呆れながら感想を述べた。


「ありがとうございます。でもあれから十年も経っていないのに、ここまで漕ぎ着けるとは、正直思っていませんでした。何年か前に勝俣さんがタクシー会社を買収したのと同時に、バス会社を設立したのは聞いていましたが」

「線路が開通するまではバス路線を維持して、その後は各駅からの経路を拡充する腹積もりらしいわね。鉄道とバスとタクシーと包括した交通会社を立ち上げたのでしょう? まだ四十前後なのに凄いわね。町長さんも同級生みたいだし」

 その問いかけに、美子は即座に頷いた。


「はい。武田さんが就任後に何件もの企業誘致に成功して、町内の雇用も人口も増えていますから、前回の町長選は圧勝で、無事再選したと聞いています」

「そう言えばこの町長さんの初就任直後、真っ先にあの子が桜査警公社の開発研修総合センターを、あの町に作る計画を公表したのよね」

 おかしそうに桜が笑いながら口にした為、美子は当時を思い出して溜め息を吐いた。


「表敬訪問で、町役場を訪ねた時は大変でした。武田さんは主人が藤宮姓を名乗っている事をすっかり忘れていた上、主人がサラリーマンの傍ら桜査警公社の社長をしているなんて夢にも思っていなかったらしくて。書類で会長と社長の名前だけ知っていた武田さんに、私達がそうだと名乗ったら『ふざけんな、とっとと言いやがれ!』と本気で怒りだして掴みかかって。職員の方が二人がかりで、引き剥がしていました」

「まあ、結構大変だったみたいね」

 その場面を想像したのか桜がおかしそうに笑うと、美子も苦笑いで続けた。


「その他にも、皆さんが事務所や工場やコールセンターなどを次々と作ってくれましたし。武田さんが就任後に税収がかなり増えて、それを住民の皆さんが認めたお陰で彼が続投できましたから、ありがたい事です」

 美子が本心から、あの町に様々な形で進出してくれた友人知人に対する感謝の念を口にすると、桜は相変わらず微笑みながら告げた。


「それはあの子の手腕と言うよりは、美子さんに人望があるからよ?」

「恐れ入ります。……それにしても、どうしてあの人ったら、この事を教えてくれなかったのかしら?」

 記事を見下ろしながら、思わず秀明に対する文句を口にした美子だったが、桜が事も無げに解説してきた。


「単に、格好を付けたかっただけじゃないの? 鉄道が開通した時に初めて教えて美子さんを驚かせて、一番列車に乗せて自慢したいとか」

 それを聞いた美子は、思わず懐疑的な表情になる。


「……子供ですか?」

「子供みたいなものでしょう? あなたにとっては」

「確かにそうかもしれません」

 桜が含み笑いで指摘してきた内容に、美子は思わず納得して笑ってしまった。


(あれほど隠し事はしないと言っておきながら、黙っていた方がより驚いて、誉めてくれるとでも思っているんでしょうね。相変わらず困った人だわ)

 そんな事を考えていると、桜が話題を変えてきた。


「それと、用件はもう一つあるのだけど」

「何でしょう?」

「うちの人が亡くなる直前に公益財団法人を一つ立ち上げる手続きをしていて、そちらの方に運営に十分な財産を寄付してあるのだけど、あなたにそこの理事の一人になって貰いたいの」

「公益財団法人、ですか?」

 いきなり出された話に美子が戸惑うと、桜は座卓の隅に重ねてあった書類の中から、綴じられた薄い冊子を取り上げて美子に差し出した。


「ええ。詳細はこちらに書いてあるから、ざっと目を通してくれる?」

「拝見します」

 そして神妙に受け取った物に目を通し始めた美子だったが、何ページか捲っただけで驚いた様に勢い良く顔を上げた。


「これ……、『加積美術館』って、桜さん!?」

「そういう事。どう? 名前を使わせてくれない?」

「勿論、構いません! 何にでもサインします!!」

 嬉々として二つ返事で承諾した美子を見て、桜がおかしそうに笑う。


「あら、相談も無しにあっさり署名捺印したりしたら、あの子に怒られたりしないの?」

 しかし美子はそれを聞いても怯むどころか、語気強く断言した。


「秀明さんは関係ありません! これに関して文句を言うなら、家から叩き出しますから!」

「あらあら。すっかり美子さんのお尻に敷かれているわねぇ」

 鼻息荒く握り拳で主張した美子に、桜はとうとう我慢できずに笑い出し、それから二人はその冊子に書かれている計画について意見を交わし合い、昼食を挟んで楽しく一時を過ごした。

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