第4章 傍らに在る人

(1)藤宮家の総意

 美子達の挙式当日。広い新婦親族控え室に集まり、美子の父方母方双方の近親者が顔を揃えて和やかに話し込んでいると、やってきた担当者が、挙式の時間が迫って来た旨を告げた。その為室内の全員が、その男性スタッフに付いてホテル内のチャペルにぞろぞろと移動し、大きくて重厚な扉の前に集まる。そこで自分のすぐ側に父親が立っているのに気が付いた美幸は、少々驚きながら尋ねた。


「あれ? どうしてお父さんが、私達と一緒にこっちに来てるの? 美子姉さんと一緒に入場するんじゃないの? それにお義兄さんはどこ?」

 花嫁を同伴してくる父親が居て、本来先にチャペルに入って花嫁を待ち受ける筈の秀明の姿が無い事に気付いた美幸は、不思議そうにキョロキョロと周囲を見回したが、一方の昌典は平然と答える。


「聞いていなかったのか? 新郎新婦で入場するんだ」

「そうなんだ……」

 釈然としないながらも取り敢えず頷いた美幸だったが、傍にいた姉達は、怪訝な顔を見合わせて囁き合った。


「新婦の父親が居ないなら、そうだろうけど……」

「父さんが、良く許したわね」

「何か裏が有るんじゃない?」

 そんな囁きを昌典が無視していると、式場担当者らしい女性スタッフが大きな両開きの扉を開け、左右に並ぶ長椅子を指し示しながら列席者に説明する。


「それでは祭壇に向かって右側に新郎様のご親族様、向かって左側に新婦のご親族様がお座り下さい」

 その説明を聞いた殆どの者は左側の壁際に沿って歩き出したが、昌典は一人で右側に歩き始めた。


「お父さん。新婦側の席は逆よ?」

 説明を聞き洩らしたのかと慌てて美野が声をかけると、昌典は足を止めて振り返り、淡々と言い返してくる。


「美野、こちらで間違っていない」

「え? でも……」

「あいつはもう俺の息子だからな。お前達もこちらに来なさい」

 尚も戸惑った様子の美野に理由を述べてから、昌典は彼女の背後に揃っている他の娘達にも声をかけた。それを聞いた彼女達は、一瞬キョトンとしてから、嬉しそうに頷いて昌典の後に続く。


「うん!」

「はい!」

「……そういう事か」

「別に、隠しておかなくても良いのにね」

 娘達は満面の笑顔や苦笑の表情で父の後に続いたが、昌典の義妹や弟達は、さすがに戸惑った声と視線を寄越した。


「あ、あの……、お義兄さん?」

「兄貴?」

 その困惑した声に昌典は苦笑しながら、他の列席者に新婦側の席を勧める。


「こちらには構わず、皆さんはそちらの席でお願いします」

「はぁ……」

 そして結局、藤宮家の人間は新郎側に、他の者は全員新婦側の席に着く事になった。


「うふふ、お父さん、いい所あるよね?」

「どうだか。扉が開いた瞬間の、お義兄さんの驚いた顔が見たいだけじゃない?」

「確かにそうかも」

「でも良かった。挙式は親族だけの列席にしたから、新郎側に誰も居ないのは寂しいなって思ってたの」

 そこで美野が心底安堵した様に微笑んだ為、他の姉妹達も無言で満足そうに笑った。すると昌典が小声で注意してくる。


「お前達、そろそろ始まるから、私語は慎む様に」

「はい」

 それに美恵達は大人しく従い、スタッフによって祭壇から扉に向かって白いバージンロードが敷かれていくのを眺めながら、主役二人の入場を静かに待つ態勢になった。

 一方で、それぞれの控え室からスタッフに先導されてやって来た秀明と美子は、扉の前で合流した。


「準備が整うまで、こちらで少々お待ち下さい」

「はい」

 その指示に素直に頷いた二人だったが、美子がベール越しに、傍らに立つ秀明を見上げる。


「もの凄く今更だけど……。どうしてお父さんとじゃなくて、秀明さんと入場するわけ?」

「お義父さんが、そうしろと言ったからだが?」

「それは聞いたけど、理由は聞かされていないのよ」

 その訴えに、秀明は真顔で考え込みながら、推論を述べた。


「俺もはっきりと聞いてはいないが……。自分が美子と腕を組んで入場したら、渡さずに俺に殴りかかりそうだったから、その危険性を予め排除する事にしたとか?」

「……こんな場所で、笑えない冗談は止めて」

 がっくりと肩を落として溜め息を吐いた美子を見て、秀明が小さく笑う。そんな二人に、女性スタッフから声がかけられた。


「それでは扉を開けますので、腕を組んで一礼してから、ご入場下さい」

 その指示に二人が頷いたのを見て、彼女が同僚と共に扉を左右にゆっくりと押し開いた。そして秀明の左腕に右手をかけた美子が、二人揃ってチャペル内に一礼してから顔を上げたが、美子は予想外の光景に目を見開いて固まる。


「え?」

「はぁ?」

 それは、てっきり無人だと思っていた新郎側列席者の席に、自分の父と妹達が当然の様に笑顔で陣取っていたからだが、美子はすぐにその意図を悟った。それは隣の秀明も同様だったらしく、チャペルの入口で微動だにせず、室内を眺めたまま掠れ気味の声で囁いてくる。


「美子、困った……」

「どうしたの?」

「今、無性に笑いたくて笑いたくて仕方がない」

「いきなり何を言いだすのよ?」

 自分にだけ聞こえる程度の小声で、そんな事を言い出した秀明を、美子は呆れ気味に再度見上げた。すると確かに真顔ながらも、口角が僅かに上がっているのが見て取れる彼が、口調だけは淡々と訴えてくる。


「バージンロードに寝転がって、腹を抱えて目一杯笑いたい位、最高の気分だ」

「感動して、泣きそうで困るって言うならまだしも……。どこまでひねくれているのよ」

 秀明が本当にうずうずしている気配を察した美子は、呆れかえって溜め息を吐いた。そんな中、傍目には微動だにしない主役二人に、担当者が控え目に声をかけてくる。


「あの……、新郎様、新婦様……」

 その困惑を含んだ声を聞いた美子は、秀明の腕を掴んでいる手に軽く力を込めながら、少々きつい口調で言い聞かせた。


「ほら、行くわよ? そんなに転がって笑いたいなら止めないから、この後の写真撮影と披露宴と二次会を無事に済ませた、八時間後にして頂戴」

「了解」

 些か素っ気なく美子に言い聞かされた秀明は小さく笑いながら頷き、静かなBGMが流れるチャペル内に、二人揃って進み始めた。

 それからは笑いの発作に襲われる事は無かったらしい秀明と共に、美子は挙式と記念撮影を無事に済ませ、控え室の奥で衣装を着替えて、披露宴までの時間を妹や叔母達に囲まれて過ごす事になった。


「美子ちゃん。ドレスも似合っていたけど、色打ち掛けもとっても素敵よ?」

「深美姉さんにも今の美子ちゃんの姿を、一目で良いから見せてあげたかったわ」

「本当に。さぞかし心残りだったでしょうね……」

 山吹色を基調とした華やかな刺繍が施されている色打掛を身に纏い、畳敷きの丸椅子に大人しく腰掛けていた美子を眺めて、叔母達がしんみりとした口調で愚痴めいた呟きを漏らし、誰からともなくバッグからハンカチを取り出して目頭を押さえ始めた。それを見た美恵が、苦笑混じりに隣に立っている叔母を宥める。


「美音叔母さん。お母さんは少なくとも、姉さんのウェディングドレス姿は見ているんです」

「ですから叔母さん達が思っている程、心残りは無かったと思いますよ?」

 美実も姉の言葉に続けて述べた為、深美の三人の妹達は揃って怪訝な顔になった。


「えぇ? 何、それ?」

「美恵ちゃん、美実ちゃん、どういう事?」

「初耳なんだけど?」

「姉さんと秀明義兄さんが、最近まで私達にも秘密にしてたんですけど。実は母の最後の入院中……」

 そして美恵が、最近美子から聞かされたばかりの話を叔母達に披露し始めると、控え目なノックの音が室内に響いた。


「失礼します」

 ドアを開けた後、断りを入れて入室してきたホテルスタッフの女性は、美恵の話に聞き入っている集団の横をすり抜けて、美子の元にやって来る。

「新婦様、宜しいでしょうか?」

「はい、何でしょう?」

 座ったまま美子が応じると、彼女は上半身を屈めて美子耳元に口を寄せ、他人には聞こえない様に囁いた。


「フロントロビー担当者から連絡が。場違いなアヒルが来たので、騒ぎ立てる前に周囲に気付かれない様に確保して、新郎控え室に誘導中との事です」

「分かりました。ありがとうございます」

 全く動揺せずに小さく頷きながら、美子は小声で相手に礼を述べた。そして話題となった人物を、ほんの少しだけ憐れむ。


(アヒル……。白鳥とすら呼んで貰えないのね)

 そんなどうでも良い事を考えていると、大人しく美恵の話を聞いていた叔母達が、驚愕した声を上げた。


「半年以上前? そんな時期に、ちゃんと深美姉さんに紹介していた人がいたなんて!」

「もう! 美子ちゃん! 私達、全然聞いて無かったわよ!? 急に結婚が決まったって話だったけど、婚約自体はしていたんじゃない!」

「秀明さんは、お通夜にも来て下さってたわよね? この事を知っていたら、幾ら遠慮されても親族席に座って頂いたのに!」

「すみません。色々ありまして、お話しするのが遅くなってしまいまして……」

 驚いた後は一斉に自分の方に向き直り、特に秀明を美子に紹介した形になっている美嘉は、悔しさと無念さを含んだ口調で訴えてきた為、美子は神妙に頭を下げて謝った。


(叔母さん達に、その時点で結婚する気は皆無だったと正直に話したら、どんな顔をされるかしら?)

 そんな事を考えながら、美子は美恵に声をかけた。


「美恵」

「何?」

「例の件、お願いしたいの」

「分かったわ」

 前日のうちに最終的な打ち合わせを済ませ、万事心得ていた美恵は、叔母達に向かって声をかけて頭を下げた。


「すみません。私達は、ちょっと失礼します」

 それと同時に美実が、壁際に置いてあった披露宴には相応しくないスポーツバッグを持ち上げながら、妹達を促す。


「ほら、美野、美幸、行くわよ?」

「……分かりました」

「本当にやるの?」

 そして四人でぞろぞろと控え室を出て行くのを、叔母達は不思議そうに見送った。


「あら、皆、どこに行くの?」

「ちょっと頼み事をしまして。珍しい方がいらっしゃった様ですから、その応対を」

 美子が何でもない事の様に告げると、彼女達は自分達が新婦の叔母である事を思い出した。


「そういえば、今日は叔父さんや叔母さん達もいらっしゃるのよね」

「宮越さんや、川尻さんも出向いて下さるって聞いたわ」

「披露宴までまだ時間はあるし、お義兄さんだけでお相手するのは大変よ。私達も親族控え室に戻りましょう。じゃあ美子ちゃん。また後でね」

「はい、色々とありがとうございます」

 慌ただしく出て行く叔母達を笑顔で見送ってから、美子は先程招かれざる客の来訪を伝えた後、さり気なくそのまま斜め後方に控えている女性を見上げた。


「あの……、桜査警公社の方ですよね?」

 その問いかけに、相手はにこりと微笑んで自己紹介をしてくる。


「はい。本日は臨時でこちらのホテルの従業員になっております、桜査警公社防犯警備部門特務二課の岸田と申します。暫くは、私がお側に控えております」

「宜しくお願いします」

 本物のホテルスタッフと同じスーツとネームプレートを身に着けた、美子とそう年齢が変わらない様に見える岸田は、挨拶の後に落ち着き払って付け加えた。


「社長の方にも万全の配置をしておりますので、ご心配無く。妹様達にも、無粋な輩には指一本触れさせません」

「頼りにしています」

 この時点で、美子は自分が立案した計画の成功をほぼ確信し、密かに(直にこの目で見られないのが、ちょっとだけ残念だわ)などと、かなり呑気な事を考えていた。

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