(2)目障りなアヒル

 時間は少し遡り、大栄センチュリーホテルの正面玄関車寄せに止まったタクシーから、秀明の次兄夫婦が降り立った時、礼服と留袖姿の二人は、若干不機嫌だった。


「秀明の奴……。こんな所で立派な披露宴を催すのに、こちらに一言も知らせないとは何事だ」

 大きな自動ドアから広いメインロビーに足を踏み入れ、軽く左右を見回しながら奥へと進む龍佑に、妻の茜も同感だとばかりに相槌を打つ。


「本当にそうね。新婦側のご親族や招待客が錚々たる顔触れになると分かっているのに、自身の親族が全く顔を見せない事が、恥になるとは思わないのかしら?」

「あいつは昔から、取り澄まして我関せずなんて態度を貫いていたから、親戚付き合いの重要性などを全く分かっていないんだ。気楽な三男だし、家に引き取られるまでは真っ当な暮らしもしていなかったからな」

 普通に考えれば、自分を勘当した実家になど招待状を出す筈もなく、加えて常に自分を見下していた人間などと和解する気など生じる筈も無いと分かりそうなものだが、生憎とその辺りの常識は、白鳥家の人間は持ち合わせてはいなかった。そんな家に嫁入りした茜も、ほぼ同等の価値観の持ち主だったらしく、笑顔で夫を宥める。


「物の道理を弁えていない異母弟がいると大変だと、実家の両親も同情していたわ。でも今回、倉田さんや長谷川さんとお近づきになれたら、あなたの選挙資金を融通すると約束してくれたから、安心して?」

「本当か!? 都市銀行も地銀も、親父が議員だった頃は頼まなくても貸し付けてきたのに、辞めた途端に掌返しやがって。今後、儲け話には一切乗せてやらんぞ!」

 そんな自分達に都合の良すぎる事を喋りながら歩いていた夫婦に、突然背後から、落ち着き払った声がかけられた。


「失礼致します。白鳥龍佑様と、奥様の茜様でしょうか?」

「そうだが?」

 足を止めて振り返った二人の前で、ホテルスタッフの制服であるスーツを身に纏った五十前後に見える男が、恭しく頭を下げる。


「私は、当ホテルバンケットマネージャーの阿南と申します。これから結婚披露宴を催されます藤宮美子様から、直々にご依頼を受けまして、お二人をお出迎えに参りました」

「新婦が?」

「あら、どういう事?」

 受付で新郎の実兄夫婦だと直談判すれば、慌てて席の二つ位準備するだろうとの、軽くて傍迷惑過ぎる考えで出向いていた二人は、予想外の展開に怪訝な顔になった。しかし相手の当惑には構わず、阿南が淡々と事情を説明し始める。


「新婦様におかれましては『秀明さんの親族が全く出席されないのは、彼の面目が立たないのでは』と懸念され、『彼が家を出た原因が、私に対する家人の発言だとは理解していますが、私が直接言われた訳でもなく、気にしていません。できればこの披露宴を、和解の機会にして貰えれば』と仰っておられまして」

 そんな嘘八百の話を阿南が口にした途端、龍佑達は満面の笑みになった。


「いやぁ、そうでしたか。さすがに二百年近く続いている、名家のお嬢さんだ。物の道理を弁えていらっしゃる!」

「そんな素敵なお嬢さんが、秀明さんのお嫁さんになってくれるなら、安心ですわね!」

 忽ち美子を褒め称える台詞を口にした二人に、阿南は笑いそうになりながら、しかし傍目には沈鬱な表情になって説明を続けた。


「ですが……、新婦様が新郎様にさり気なく白鳥家に出席をお願いする様にお話ししても、新郎様が頑として聞き入れずに、大変お困りになってしまったそうで……」

 そう言って阿南が溜め息を吐くと、二人は義憤に駆られた表情になって、秀明を貶しにかかった。


「あいつはそんなできたお嬢さんに、横暴に威張り散らしているのか? けしからん!」

「美子さんと仰ったかしら。秀明さんがこれからご苦労をおかけしそうで、本当に申し訳ないわ」

「しかし新婦様が『公に招待状を出せなくとも、きっと白鳥家の方は秀明さんを心配して、誰か出向いて下さる筈。予め秀明さんには内緒でお席を準備して、披露宴が始まる前に是非秀明さんと顔を合わせてお話できる様に、取り計らいたいのです』と、私共に事前にご相談がありまして。私がお二方をお迎えに参った次第です」

 阿南が神妙な表情と口調で、そんな風に話を締めくくると、龍佑達は感服した様に言い合った。


「本当に申し訳ない。美子さんには感謝のしようもないな」

「本当ね。秀明さんの顔を見たら、是非とも披露宴の前にお礼に伺わないと」

「そうだな。そうしよう」

 そこで阿南が声をかけて、二人を通路の奥へと促す。


「それではご案内致しますので、こちらにどうぞ。新婦様が『ご親族に混雑している受付を通って頂くのは申し訳ない』と仰られたので、私が新郎控え室までなるべく最短距離で、混雑していないルートでご案内致します」

「本当に美子さんは、細かい所まで気配りできる、素晴らしいお嬢さんだな」

「そんな方と縁続きになれるなんて、白鳥家も安泰ね」

 満足しきって美子を誉めちぎるのに夢中になっている二人は、阿南が歩いている通路が段々人気が無くなり、さり気なくスタッフ専用通路やエレベーターを利用している事にも気が付かないまま、誘導されて行った。


(ガァガァと耳障りな声で良く喋る。しかし会長がどういうルートで白鳥家内での話を聞いたのかとか、俺がどうして自分達の顔を判別できたのかを全く疑わないのが、残念ぶりも甚だしいな)

 美子の人格者ぶりに関して二人に時折同意を求められた阿南は、笑顔で相槌を打ちながらも、内心で呆れ果てていた。


(これから起こる事を分かっていたら、間違っても今口走っている様な事は言わないだろうし、笑っていられもしないんだがな。好きなだけそうしていろ)

 そして口では最短距離と言いつつ、かなり回り道をして秀明の控え室があるフロアに到達した阿南は、従業員専用エレベーターを降り、怪しまれない様に予め開放してあったスタッフ専用スペースとの仕切りを通過して、接客フロアに足を踏み出す。


(しかし……、今度の会長も一見凡庸に見えて、中身はなかなか苛烈な方だな)

 そんな埒もない事を考えながら、阿南は未だに微塵も疑っていない二人を引き連れて、秀明の控え室となっている部屋へと向かった。

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