第3話
俺の本名は
なんでも、「よくウロウロと周りを見回している印象があった」らしい。
あながち嘘でもないが、失礼な話だ。
アルバムを閉じて、ベッドの上に置く。
パソコンを立ち上げて、起動してる間、本棚のすみに立てたノートを手に取り、使えそうなことが書かれてないか探した。
いつか小説家になるのが夢だと誰かに話したのは、彼女が初めてだった。
そして、そのバカげた夢を知っているのも、彼女だけだ。
大学で文芸サークルに入ったが、人間関係でつまづいた。
そこを辞めて以来、誰かに読んでもらうあてもない文章を、一人で書いている。
小説を書き始めて、2年半が経った。
いまだに俺は、1作も書き上げられずにいる。
「……何をしてるんだろうな、俺は」
何度となく唱えたその言葉を、また口にする。
フォルダを開き、書きかけの作品の一覧に目を通す。その中から、書き進めることができそうなものを適当に開いて、書き始めた。
400字ほど書くと、手が止まった。その先が思いつかない。
しばらく考えても、うまく考えがまとまらない。あきらめて、上書き保存をしてから、ファイルを閉じる。これも、いつものことだ。
手元のお茶を飲み、ラジオに耳を傾けてみた。知らないパーソナリティの声だ。時刻を確認すると、ずいぶんと長い時間書いていたことを知る。
「400字……原稿用紙1枚、か」
笑うしかない――自分の才能のなさには。
「ホントバカだな……就活始めなきゃいけない時期になって、こんなお遊び、バカの一つ覚えみたいに続けているなんて……なあ」
パソコンを閉じて、誰かいるわけでもないけど、乾いた声で少し、笑ってみせた。
俺はもう、小説家ごっこを辞めるべきなのだ。
『ねえ……忘れちゃったの? 私のこと?』
忘れることなんてできない懐かしい声が聴こえた。
『ねえ……お願い、何か答えてよ』
「……浦沢?」
この透明感のある甘い声――忘れもしない、まちがいなく彼女だ。
「どうして……」
『そんなこと言わないでよ! 約束したじゃん、また会おうって!』
とうとう俺は気がおかしくなってしまったのか?
どうして彼女の声が聴こえてくるんだ?
『ねえ! 答えてよ! ねえ!』
やめろ。
『やめないよ!』
やめろよ。
『答えてよ!』
やめろやめろやめろやめろやめろ。
『ねえったら!』
「やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ」
『なんで答えてくれないの!』
「――うるさい! いい加減にしろ! お前の声なんて聞きたくないんだよ!」
『なんでそんなこと言うの!』
「お前はいいよな……いつも明るくて前向きで器用で……俺が今どんな風になってるか聞くか? 偉そうなことお前に言っといて、3年近く経って、まだ1作も完成させることができてないんだぜ? おまけに21にもなって、いまだにまともに人と付き合うことができない……クズの惨めさがお前なんかにわかるか!」
彼女の声は途絶えた。
「なあ、何か言えよ……なあ」
何も声は返ってこない。
「なあ……なあったら!」
何も声は返ってこない。
「何か言ってくれよ浦沢! バカでもマヌケでもクズでも人でなしでも何でもいいからさあ! 俺のことを呼んでくれよ……声を聞かせてくれよ!」
視界がかすんだ。雨の降り始めのように、涙がこぼれ、溢れ出した。
「なあ……浦沢」
何も声は返ってこない。
喉が痛い。今にも破けそうだ。
一気に疲れが襲ってきて、その場にへたりこんだ。
何か、聴こえた。
『ヒロインにしてくれるって約束したじゃん!』
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