フェイズ3:処刑の〈槍〉

 マスターグレイヴ―――墓守清正は、不機嫌だった。


 それは、目の前にいる男のニヤついた表情が気に入らないためであり、そいつが『やらかした』ことが単純にムカつくからであり、何より、自分自身の胸郭内で異様な早鐘を打つ心臓の感覚がたまらなく不快だったためだ。


「―――『』ってよぉー、あるよな。心臓の。そいつが止まると、死ぬ。

かといって、メチャ速で動きまくってもダメなんだ。脳内出血や動脈破裂で死んじまうんだと」


 男は薄暗い路地の壁によりかかり、腕組みをしながら滔々と語っている。

 一方の墓守は、動けない。

 地面に片膝をつき、ぜぃぜぃと乱れた呼吸音を漏らすのみ。


「わかるか? 『鼓動』は『リズム』が大事なんだ。それが狂うと、もうダメさ。

今、自分がやべぇってわかるだろ? オレの拳から出た振動が、あんたの『鼓動』を際限なく高め続けてる。それがオレの能力〈シェイク・イット・アップ〉。

こいつを喰らった奴は、『鼓動』がイカレて―――死ぬ」


 彼――静馬騒次しずま・そうじ――は、墓守と同じくFHの構成員“だった”。

 現在は裏切り者として追われる身であり、東京近郊N市のホテルに潜んでいるところを、ハンターである墓守によって発見された。それが五分前の出来事。


 短い追撃戦。

 繁華街の裏路地に追い詰められた時点で、逃亡者は戦闘を決意した。

 静馬の放った不可視の力場が墓守の胸を打ち―――以来、墓守の鼓動は狂い続けている。


「一度始まったら、心臓と血管が弾け飛ぶまで終わらねぇ」

「…………」

「ったくぅ、オレを追い詰めるからそうなるんだぜ? さっきの金で手打ちにしときゃあよかったのに。強情なガキってのはよぉー、口答えするオンナと同じくらいムカつくよなぁー。その分、どっちも殴り甲斐があるけどな!」


 静馬は、恍惚としていた。

 彼は、己の暴力で他者を屈服させることを愛しているのだ。

 レネゲイドによる暴力は、法律では裁けない。だから彼はこれまで存分に暴力を楽しみ、弱者の血と涙を糧に肥え太ってきた。FHに入ったのも、より多くの楽しみを得られると判断したからに過ぎない。


 だが、FH内で有力なとあるセルに連なる人間を幾人も殺し、さらには殺害直前に得た情報を元にセルの秘密資金にまで手を出したのはやりすぎだった。


「……俺もわかるぜ、殴り甲斐っての」

「ああ?」

「お前みてェなをブン殴る時、スッゲェ気持ちいいよなァ」

「…………。立場わかってんのかボケ! さっさと血ぃ噴いて死ねよ!」


 静馬の要望通り、墓守は血の花を咲かせた。

 ただし、自らの手で。


「痛ェ……」

「な……なに、やってんだてめぇぇぇぇ!?」


 墓守の手に握られた、人の脊椎めいた形状の槍。その穂先が蛇腹状に曲がり、墓守自身の胸板を貫いている。

 心臓にあたる位置。普通なら致命傷だ。

 だが―――


「おお、動く動く。やっぱあれだな。血が回りすぎて邪魔ンなるなら、ちょいと血を抜きゃいいンだよな。ちと荒っぽいが、瀉血治療って奴」


 オーヴァードであれば、レネゲイドウィルスによる自己再生能力リザレクトで致命傷すらも塞がる。だが、墓守の傷は特に塞がるでもなく、こんこんと血を流し続けている。

 単純に、心臓を貫かれる程度のことは、彼にとって致命傷ではないのだ。

 苦痛に対しても、恐れは全く抱かない。そういう少年だった。

 それまでニヤついていた静馬の顔が、恐怖に歪む。


「不死身……その白い槍、まさか、まさか……マスターグレイヴ!」

「気づくのが遅ェよ。じゃあ、死にな」

「ま、待て! 待てよ! 聞いたぜ。あんた、あのマスターマインドに喧嘩売ったそうじゃねぇか」

「つまンねェこと知ってンな。単に契約解除ってだけの話さ」

「へへ、へ……あの女が飼ってた、メスガキ一匹……かっさらって、テメェんトコで囲ってんだろ」

「ゲスが。ありゃただの同居人だ」

「女は執念深いぜぇ。お前の首に賞金かけたってぇ噂だ」

「…………へェ」

「どうだ? ここでオレを見逃してくれるんなら、金とツテを使って、上手いこと“マスターマインド”との和解交渉をだな……」


 静馬がへつらいの笑みを浮かべた瞬間……その体を槍が貫いた。

 心臓だった。

 昆虫標本のように、静馬はコンクリート壁に縫い留められている。


「げああああっ!?」

「アホが。追われ者のテメェなンか、今更アテになるとでも思ってンのかよ」

「てめぇぇぇ、こ、殺す、殺してや……がぁぁぁっ!」

「痛ェか? 痛ェよな。なら、リザレクトで治しな。何度でも治すといい。完全に逝くまで、は刺しっぱなしにしといてやるからよ」

「なっ!? ぐ、お…………。ゆる……し、て、くだ……さ……」

「そいつァナシだ。ナシだよ、旦那。フツーの子供まで殺しちまうような奴が、『赦して』なンて口にしちゃいけねェ」

「……う……お……」

「この仕事の依頼元な、FHだけじゃねえンだわ。『これまでやってきたことの報いを受けながら死ね』……ってェのが、関係者のご要望」


 間断なく続く、再生と苦痛の責め苦。

 墓守は、冷めた目で静馬の断末魔を眺めていた。


(あー見苦しい。こいつァネズミを連れてこなくて正解だったな。邪魔はしねェだろうけど、こンなン見たら、しばらく夢でうなされっぞ、あいつ)


 ―――キミだって、こんなこと本当は嫌なくせにね。


 墓守の脳裏に、“声”が響いた。

 懐しいモノ。今はもう失われたモノ。

 それは、墓守の、喪われた幸福を形成する主要なピースのひとつ。

 

 すなわち、昔の仲間。

 

 彼らは、こうやって語りかけてくることがある。

 “死者の霊魂”などではない―――墓守は、そういったモノの一切を信じない。

 死と苦痛に満ちた“実験”の果てに〈エピタフ〉を宿した際、死んだ仲間の血肉と記憶も共に、彼の肉体に刻み込まれた。

 だから時折、「仲間のアイツだったらこう言うだろう」という墓守自身の深層意識が、“声”という形で届くのだ。

 少なくとも彼は、そう考えていた。


「……はン。もう慣れたぜ。お前こそ、こういうの苦手なヘタレのビビリなンだから引っ込ンでろよ」


 なのに、わざわざ返事をしてしまう。そこも、昔から変わらない。

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