フェイズ4:ふたりのねぐら

 墓守が帰宅したのは、午後四時を回る頃だった。

 靴を脱いでいるところへ、廊下の奥からネズミが小走りに「おかえりなさいっ」と嬉しそうにやってくる。


「おう、ネズ公。あいつ、お前が調査した通りのホテルに隠れてやがったわ。よくやったな」

「ありがとうございます……って、ひぃぃぃっ! 胸、血塗れっ!?」

「傷は塞がったが、シャツは……クリーニングや修繕も無駄だな。捨てるわ」

「勿体無さすぎる……。マスターの戦い方は、家計に優しくないですねぇ」

「家計ィ? よせよ、女房じゃあるまいし」

「にょ、女房! ててて、照れる……!」

「『じゃあるまいし』って聞こえてた?」


 苦笑しつつ、脱いだニット帽をぽんとネズミの頭に載せる。


「シャワー浴びてくらァ」

「はいっ。か、替えの下着は、洗って乾かしたのを、脱衣所の左の棚に補充しておきましたからっ!」

「……洗濯くれェ、自分でするっつってンのに。ま、ありがとよ」


 ネズミは、命じてもいないのによく働く。

 何か礼をすべきかと思案し……結局、いつものように角砂糖の包みを三個、その小さな手に握らせるのだった。

 そして、ネズミはそれで十分、満足だった。


 戦闘の血と汗を洗い流した墓守は、炭酸水入りの瓶を片手に、リビングのソファにドカッと座り込んだ。

 一気に半分ほどを飲み干し、ぷはっと息をつく。


(さて、晩飯どうすっかな。作るか、食いに行くか。こないだ冷凍しといたカレー、ふたり分残ってたっけ。けどネズ公には辛すぎるみてェだし―――うン?)


 いつのまにか、ネズミが横にちょこんと座っている。目が合った。


「……フ、フヒヒ」


 妙に緊張した笑みだ。ちょっと不気味。手にはスマートフォンを握りしめている。


「あー、何? どしたン?」

「み、見てくださいマスター! メールですよメール!」

「メール? 誰から?」

「そりゃあ、友だ……フヒッ、とと、友達から、です!」

「相変わらず言い慣れねえなァ。つまり、ハチからか?」

「はいっ。蜂の人からですよー」


 蜂の人ハチ―――つまり、UGNエージェント・緋蜂紅ひばち・くれない

 裏社会に名を轟かせる美少女エリートスパイ(※本人談)である。


 かたやUGN、かたやFH。対立する組織に籍を置きながら、生命の樹事件を通して、墓守とネズミは彼女との友誼を結ぶに至った。それは、紅の天真爛漫な性格によるところが大きい。

 現在は、相棒のUGNチルドレン・鳩宮はとみやアンゼリカ(ネズミ曰く、“白い人”)と共に、人々を守るために日夜頑張っているはずだ。


「ハハッ、ループの外に出りゃ組織のしがらみがあるってェのにな。ま、ハチらしいか。……で、なンて内容だ?」

「プ、プールに、誘われ、ました!」

「プールゥ?」


 予想外の返答に、ソファの上で脱力する墓守。


「商店街の福引きだそうです。都内にある高級ホテルの屋内プール券と食事券のセットが当たったとかで。今週の日曜にでも、一緒に行こうって」

「はァ」

「……やっぱ、ダ、ダメですよね」

「いや、別にいいけどよ。お前が任務外で何しようと自由だし」


 FHエージェントが、UGNエージェントと、仲良く、プールに。

 なんとも能天気な話だが、情報漏洩がどうとかいう心配が必要な連中ではない。

 少なくともFH側としては、マスターエージェントである自分の裁量でどうとでもできる案件だ。

 許可の言葉に、ぱぁっと顔を明るくするネズミ。


「あ、ありがとうございます! 嬉しすぎます!」

「でもお前さァ、そもそも水着持ってンの?」

「刻ヶ峰学園に潜入したとき、一応、学校指定のを。使う機会なかったですけど」

「学校の水着ィ? おいおいおい……マニア層にアピールするつもりかよ。フツーの買え、フツーの」

「はぁ……わかりました。あ、それでですね、メールには、お墓く……すみません、マスターもどうですかって、書いてあります。券は四人分あるんです」

「ああ? ……ンー、俺はパス」

「えっ。せ、せっかくだから行きましょうよ。それに……」

「それに?」

「は、蜂の人や白い人の、み、水着姿、も見られますよ。フヒッ」

「気味悪い笑い方すンな。それに、あいつらの水着つったってよォ……」


問題)次に挙げる三名の肉体的共通点を述べよ(配点:二十点)。

・緋蜂紅

・鳩宮アンゼリカ

・ネズミ


答)貧乳


「うン。そンな面白い眺めじゃなさそうだ」

「容赦なさすぎます。それに、水着姿や中身なんか、見たことないでしょう?」

「あー?」

「……な、ないですよね? ね?」

「そりゃないけどよ。予想はつくだろ」


 墓守は改めて、三人の容姿を脳裏に思い描いた。


(ハチは、胸にパッド入れてるってシロが暴露したっけ。シロはシロで、胸がねェのも個性だと割り切ってたな。ネズ公はよくわかンねェが、チビだし、手足細っこいし、中身も同じようなもンだろ。あー、宇津木ちゃンは胸でっかかったな。FHに勧誘しときゃ良かったか。デカイといえばマスターレイス02も人格はクソだけど胸はかなり立派……ま、死ンだから無意味か)


 かなり失礼な感想の羅列。

 それをなんとなく見透かしたのか、ネズミはややジト目になって尋ねた。


「むぅ。マスターって、いわゆる、お、お、おっぱ……」

「おっぱい星人?」

「そっ、それですっ」

「見る分にはなー。実際に揉めるンだったら、正直、なンでもいい」

「まだ十七歳の男子なのに、身も蓋もなさすぎる……」

「うるせェよ。それはともかく、俺は一緒に行くのは、まァやめとくわ」


 ―――お前の首に賞金かけたってぇ話だ。


 静馬の言葉が蘇る。

 苦し紛れの嘘かも知れない。

 だが、真実だった場合、バカがつっかけてくる可能性がある。

 始末がつくまで、他人を巻き込むような場所には行かないほうがいいだろう。

 もちろん、ネズミはそんな事情を知る由もない。


「ま、まさか、マスター、カナヅチとか!? 大丈夫、自分もそうですけど、浮き輪を使えば……」

「違ェっ! ええと……これだよこれ!」


 腕まくりをすると、そこには脊椎を模した禍々しい紋様が刻まれていた。

 白き墓碑槍エピタフ

 戦いに臨めば、それは武器へと変じて敵を刺し貫く。


「こンな派手な刺青入れてるガキ、入り口で止められるに決まってンだろ。ホテルのプールともなりゃ、品のいいお客様方の目障りになっちまうからな」

「あ~……。で、でも、長袖を上に羽織っておけば誤魔化せますよきっと。そうだ、〈能力〉使って隠しちゃえばいいじゃないですか」

「面倒くさい」

「じゃあ……あ、自分が上手いこと隠しますよ。得意ですから!」


 ネズミは、FHの〈工作員マグネイト〉として高度な情報隠蔽技術を教育されている。本気で取りかかれば、この世のいかなる事実とて隠しおおせる。

 彼女が誇れる、数少ない特殊技能だ。

 それを、プールに入るため、刺青隠しに。

 FHの教育担当者が聞いたら「ないわー」とボヤきかねない、驚きのアイディア。


「技術の無駄遣いだ。とにかく、俺はいいから、遊びに行って来いよ」

「あうう。は、はい」

「それと、だな。お前、しばらく、ここから出てろ」

「…………」

「……聞いてる?」

「えええええええええっ!?」


 愕然とするネズミ。

 世の終わりが来たような、だが覚悟していた時が来たような、そんな表情である。


「こ、これまで、お世話に……グスッ、なりまじだ。ネズミは、じあわぜでじだ……」

「おいおいおいっ! 勘違いすンな! 泣くなっ! ほら、角砂糖角砂糖!」


 慌てて角砂糖の紙包みを一個握らせて宥めにかかる。


「う……?」

「俺は野暮用があるから、しばらくの間、遠くのホテルとか……そうだな、ハチのトコにでも転がり込ンでろって話だよ!」

「えっ? 任務か何かですか?」

「ああ、まァ、そンな感じかな」

「じゃ、じゃあ、ご一緒します。このネズミは、マスターグレイヴの、第一の部下ですから!」


 胸に手を当て、ふふんとドヤ顔宣言。目や顔の周りがキラキラ光って見えるのは、わざわざ〈ヴァーチャル・ライト〉で自分演出か。

 絶妙にイラッとさせる按配だが、今はスルー。


「いいや。こいつは上のほうの機密に関わることだ。お前レベルのエージェントじゃ関われねェ」

「ダ、ダメですか」

「ああ、ダメだ。だから、言った通りにしろ。ハチには、俺から電話して事情話しておく。とりあえず、荷作りしておけよ」

「了解です……」

「心配すンなって。あいつンとこなら、ここより余程居心地いいぞ」

「あの、自分は、ここが……いえ、はい。わかりました……」


 しょんぼりと落ち込んだ様子で、ネズミは自室へ向かった。

 その様子を見ていると、胸の奥が微かに疼く。理由は墓守にもよくわからない。


(……これで、あいつまで巻き込まれるこたァねェだろう。最悪、俺がくたばったとしても、ハチなら上手く取り計らってくれるだろうしな)

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