値段のつけられないPRICELESS
“無料であることは、0円、ということだから、1円よりも価値が低いのである”
こうした見方は、実は、数学的正しさとは何の関係もない、一個の社会的価値観に過ぎない。
それを証拠に、値段の付けられないようなもの、いわく、普段の生活において無償で提供されるべき、とされるものに、日本では「好意」とか「善意」、「親切」などが挙げられる。
私は、無料のデジタル作品も、こうした並びに入るべきものなのではないか、と『デジタル・ジャーナリズムは稼げるか』(ジェフ・ジャービス著、東洋経済新報社)という本を読んで思った。そもそもこれを書こうと思い立ったのも、この本を読んだことで受けた刺激と理解によるものである。
モバイルの普及によって、情報社会における特権者として利を得てきたメディアやジャーナリズムの両翼は捥がれ、誰もが対価もなしに情報発信者となれる時代が到来している。
ジャービス氏は同書において、ゼロ円で飛び交う無数の情報が、さながら混沌を呈している社会を前提に、そうした逆境ともいうべき環境下においても、今後、ジャーナリズムという「職業」が生き残る形を模索している。
彼の心には、おそらく、「人の好むものは、人が良く知っている」。「誰かの利は、他の誰かの利でもある」という、素朴な人間論が坐している。
また、"アナログとデジタルの比較研究"、"デジタル史を辿る"など、題せばキリがないが、社会の不可逆な変化を論じる立場で、おきまりの視座倒錯(学術の世界ではよくある)をやらないのも、議論をすっきりとさせるのに一役買っている。
人が顧客である限り、サービス提供者は人であり続ける。だから、年々、益々捉えどころの無くなっている膨大な情報の「雲」に惑わされず、その惑わされないことを以て、力と利益を得ることができるのである、と。
その「雲」はただ存在しているだけで、多くの人の関心や恐怖を招くのだから、そこに関わり続けるというだけで何らかの意味を、また重ねて、その集合の適切な”選り分け”や抜粋、集約が為せることは、相対的かつ流動的な付加価値をもたらす。
何を構える必要があるだろうか。手放しで、その身一つで、その頭一つで十分なのである。
まるで漁夫の利だと私は思うが、こんなにリベラルで、だからこそ”サバイバル”な環境は他にはないのだと、彼は訴える。いやはや、まるで宗教の勧誘の様に、都合のいいだけの話に聞こえるが、思わず、首肯せずにはいられない。
最初から最後まで彼が言っていることは一貫している。
「顧客の満足をきちんと掴めば、デジタル社会だろうと何だろうと、生きて行ける」。
プロのジャーナリストを目指すにあたって、身分的障害が無くなった分、生業として「サービス提供者」であり続けるために、社会から要求される品質はより高くなっている、これはすべて、喜ぶべき社会の趨勢であって、決していつまでも過去に甘え、”平等なる切磋琢磨”から、逃げていてはいけない、のだと。
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