ここに来るまで

そもそも僕は、「インターネット、怖い」で思春期をテレビで過ごし、横目に携帯、パソコンの発展史を見過ごしてきた人間である。


大学のレポート作成の必要に負けて、キーボード操作に徐々に身体を慣らし、インターネット・リテラシィなどというものを学んで、ようやくこれは時代の要請なのだと思い知らされた。仕事でのメールのやり取り、調べ物まで、もはや”デジタル”無くして、生活は成り立ってはいない。


「書籍」に至っては、データとして購入し、手のひらサイズの「画面」で読むことが可能になった。そうしたサービスに欠かせない「端末」購入時に、無料の「書籍」まで付いてくるというのだから、ますます文字文化は、”一冊いくら”の時代から、変化を迎えようとしているのだと感じた。


この変化は合理的で喜ぶべきものだとして、ただ、それに伴う思考が、追いついていない感覚は、正直ある。

僕たちは、こうしたデジタル作品を享受し、またはツイッターなどのSNSで24時間いつでも、好きな時に情報発信する”主体”として、どう変わったのだ、と思えばいいのか。それがなんだか引っかかって、モヤモヤとしていた。


これには、

「いや、変わっていないのだ、変わるべくもないのだ」という意見もあるだろう。

例を挙げるに事欠かず、書籍のデジタル化、無料化に関しても、著作権や、作家という職業の根本だとか、そういうところでの問題が未解決のまま、話題になっているのをよく目にする。


考え方を変えないのであれば、全般的に、著作物の無料化、自由化という流れには、反対せざるを得ないだろう。カクヨム、というサイトに対しても、最終的に懐疑的な見方しかできないはずだ。


無料で自身の作品を公開し、また無料で誰かの熱意のこもった力作を、好きなだけ読むことのできるサイト。


使いにくさは多々あれど、改善の余地が無い訳でもないし、他所へのリンクなど、そうした工夫も禁止されてはいない。ごく一部の作品は、書籍化されるらしいが、厳格な基準は不明、などなど。


自己作品の書籍化や、商業作家になることを目指して、日々、これと関わるには、相当の苦悩が付きまとうようにも思う。自己プロデュース力だとか、SNSでのつながりを駆使して、いわゆる「票稼ぎ」をしなくてはいけないだとか、想像するだけで冷や汗の出るような…。


しかし、そうした一つの目標をもって、カクヨムに登録する方がいるのは確かとして、カクヨムそのものが、そうした目標をサイト全体の目指すべきところ、としているかと言うと、それは違うように感じる。

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