2話



 この夏、僕たちが所属する生物部は絶体絶命の窮地に立たされていた。

 創部三十周年という輝かしい歴史を持ちながら、現在の部員数はわずか二名。部員が規定の人数に達していないという理由で、生徒会より廃部勧告を受けていた。

 今しがた生徒会へ廃部取り消しを直訴しに行ったのだが、生徒会は夏休み明けの文化祭の準備に追われ、まともに取り合ってもくれなかった。そもそも、存在感の薄い生物部のことなど、あってもなくてもどうでもいいと思っているのだろう。

「で? どうする、川島」

 僕は生徒会でのことを報告し、額を流れる汗を拭った。

 一応、川島は生物部の現部長だった。たった二人とはいえ、これからの部の方針を決めてもらわなければならない。

 しかし、彼は蝶のメアリを見つめたまま、

「……どうするもこうするも、渉外活動はすべて君に任せると言ったじゃないか、清水。何とか生徒会を説得してくれなきゃ困る」

 と、子供のように唇を尖らせた。

 僕は呆れて何度目かの溜息をこぼす。

「あのな、この部の部長はお前なんだよ。こういうことは普通、部長の役割じゃないのか」

「でも、僕はそういう事に向いていない。それは君が一番よく分かっているだろう」

「……それもそうだ」

 生徒会室へ無理やり連れて行ったところで、彼は亀のようにむっつりと黙りこむだけだろう。

 川島は他人とコミュニケーションをとることが、大の苦手なのだ。

「最低、部員が四人いないと部として認められないらしい。あと二人集めなきゃいけないけど……どうする?」

「どうすると言われてもなあ」

 川島はぼんやりと天井を仰ぐ。天井からは、卒業した先輩の作った、カモメの模型がぶら下がっていた。カモメがどこか冷めた目で僕たちを見下ろしている。

「……言っておくが、僕に新入部員のあてなんかないからな」

「僕だってそうだよ。君以外に、友達なんかいないんだからね」

 そう言って、川島はふん、と威張るように胸を張った。どこまでも頼りにならない部長だった。

 完全に手詰まりだ。

 メジャーな部であるならともかく、生物部に興味を持つような中学生など、そうそういるものではない。そもそも、生物部は地味で暗いと言われて校内でのイメージはあまりよくなかった。

 新入部員を集めるなど、砂漠の真ん中に落とした針を探し出すようなものだった。

「……期限は、二学期が始まるまでだって。それまでに部員を集まらなかったら、廃部だ」

 そう、と川島は指先で飼育ケースを撫でた。

 蛹はあくまでも沈黙を貫き、飼い主に応えることはなかった。

 窓から望む校庭では、高校球児たちが練習に励んでいる。彼らは蝉の鳴き声と競い合うかのように激しく掛け声を上げていた。真夏でも元気なのは野球部と蝉くらいのものだ。うんざりとした心持で、雲ひとつない青空を見上げた。

「……ここにある、標本のことだけど」

 うん、と川島は小さくうなずいた。彼も僕と同じように、力なく空を仰いでいた。

「廃部になっても、ここに保管してくれるって森先生が言ってた。もしかしたら、授業で使うかもしれないってさ」

 森先生とは生物部の顧問で、理科の先生だ。初老の、のんびりとした感じの人で、生徒からの人気は高い。部を存続させようと尽力してくれていたらしいが、その甲斐もなく僕たちの代で部を潰してしまうのは、先生に対しても申し訳なかった。

 準備室の標本は、すべて生物部が作ったものだ。フナのホルマリン漬けだのネズミの骨格標本だの、不気味な品々ばかりだが、生物部の財産であることには間違いない。

 その中には川島が作ったものも多く含まれていた。

「そうか、それはよかった」

「ただ、今飼ってる生き物は持ち帰るか自然に返すかしろってさ」

 僕は窓際の水槽と飼育ケースを指差した。

 現在、生物部ではフナ三匹、カエル一匹、カブトムシのつがい一組、そして羽化待ちの蝶が飼育されている。

 夏休みでもこうして登校しているのは、彼らに餌をやったり水槽を掃除したりするためである。フナもカエルも、二人で学校の裏山へ採りに行っただけに、それなりに愛着があった。

「こいつら、どうする?」

「そうだなあ……」

 川島はぼんやりと呟き、大義そうに椅子から腰を上げた。軽く腰をかがめて、水槽の中を覗き込む。

 川島がこまめに掃除をしているので、水槽に曇りはなく、水も綺麗に澄んでいる。フナたちが小さな尾ひれを翻すたび、銀色の鱗がきらりと光った。

 きれいな水と光で形作られた彼らの小さな世界は、煩わしい世俗とは無縁であるように思えた。

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