三幕目
「だからそれはこっちの方がいいって言ってるでしょー?」
「煩い喋るな邪魔するな。俺は俺のやり方でやる」
「なによー? あたしに歯向かうっていうのー?」
まだ涼しい時間。
「あっ、お梅ちゃんおはよー」
「おはようございます……」
梅乃はしずしずと店の中へと入る。するとお菊が梅乃の元へと近づいてきた。そして手を握られる。
にこりと笑うお菊に、梅乃はたじろいだ。
「言霊の気配が残ってる。気付いた?」
「き、気付きませんでした……」
お菊は手を離し、くるりと背を向けた。
「通りに二体いたみたい。悪いものじゃないけどね。本当にお梅ちゃんは、言霊使いとしてはまだまだねー」
そう言われて、梅乃はぐうの音も出ない。
お菊が店に来てから、始まったのは梅乃の言霊使いとしての修行だった。
なんとお菊は徳蔵と
「歳のことは聞いちゃいけないんだろうな……」
「何か言った?」
小声で言ったつもりだった梅乃は、慌ててぶんぶん首を振った。
梅乃とそう変わらなく見えるお菊だが、実はそうでもないのかもしれない。
「昼間は暑くてお客さんも来ないだろうしね。奥で修行の続きやろうか。徳くん、店番任せたよ」
「断っても聞かないんだろうが」
「なにー? 文句でもあるのー?」
「ねぇよ……」
渋々徳蔵は頷く。
梅乃はもやもやした気持ちを抱えたまま、お菊の後に続いた。
*
裏の井戸でお菊は立ち止まる。くるりと振り返るその面は笑顔だ。
「お梅ちゃんは久々に力の強い子だから嬉しいなー。なのに力の使い方を分かってなくて勿体無いけど!」
もっともなことを言われ、梅乃は肩を落とした。
新しい力が目覚めたといっても、未だ梅乃はその力を発揮できずにいた。
徳蔵と弥吉と言霊封じに行く日々は相変わらずだったが、河原崎座での一件以来、あの力を出せないのだ。
相変わらずの囮役。嫌だという訳ではないが、役に立てないのがもどかしい。
自分だって言霊使いなのだ。戦力になりたいと思うのは当然だろう。
ぱんっと乾いた音が響いて梅乃は我に返った。お菊が手を合わせ、にこりと微笑んでいる。
「じゃあ始めよっか。言霊の核は人の想い。強い想いがあってはじめて言霊として具現化するの。そしてそれを構成するのは、声と文字。まずは文字を使いこなせるようになってもらいます」
そう言ってお菊は自分の部屋へと梅乃を誘った。
これも梅乃の心を波立たせる一因となっていた。
竹彦に反対されたとはいえ、梅乃は柳井堂を出た身だ。そこに入れ替わるように住まうことになったお菊。
男所帯に紅一点。徳蔵の様子から察するに、何もないとは思うが落ち着かない。
そうこう考えているうちに、お菊は箱から硯を出し、手際よく墨を擦っていく。同じく箱から取り出した短冊に、その墨で書いた文字を綴った。
「惑い迷いし言の霊 姿を現ししばし留めん」
凛としたお菊の声が部屋に響く。すると短冊から黒猫が転がり出てきた。
黒猫は梅乃の膝に頭を摺り寄せる。
「すごい……。ここに来た最初の日、徳蔵さんと弥吉さんから同じように猫を見せてもらったんです。でもあの白猫は透き通っていました。この子は違う……。ちゃんと触れるんですね」
「言霊は想いの強さだからね。強ければ強いほど実体に近付くし、人を傷付けもする」
すっと細められた双眸に、梅乃の背筋は冷たくなった。
忘れていた訳ではない。総兵衛の両親だって、徳蔵の家族だって、言霊の被害に遭ったのだ。
この猫は愛らしい。けれど可愛いだけの力ではないのだ。
お菊がにっと笑った。
「その顔ができるなら大丈夫だね。あたしの手解きは厳しいからね、覚悟しなよ?」
「はい!」
梅乃は力強く返事をした。
*
「とは言ったものの……」
梅乃はふらつきながら家路に着いた。
「お菊さん、本当に厳しいなぁ。すごくいい笑顔なのに……」
今日は店番をしなくていいということだったから、一日お菊の修行だった。
室内ではある。店に立つよりは幾分か暑くはない。だけどこの疲労感はなんなのか。
「力を使うのが、こんなに体力使うことだったなんて……」
今日梅乃がさせられたのは、墨を擦り、文字を書くことだけだ。だがただ文字を書くだけではない。
『弱いよ。そんなんで想いを込めたつもり?』
今日何度その言葉を言われたことか。
梅乃の書く文字が生み出したのは、すぐに消えてしまう猫ばかりであった。自分ではころころした愛らしい猫を強く思い浮かべているつもりなのだが、うまくいかない。焦りばかりが募っていった。
「お菊さん、本当にすごい言霊使いなんだなぁ」
もうすぐ竹彦が帰ってくる。梅乃は夕餉の仕度をしながら、ぽつりと呟いた。
聞けば徳蔵と弥吉を言霊使いとして育てたのも、お菊だという。その実力は相当なものだろう。
女一人で旅をしていたのだ。腕に自信がなければ難しいものだったように思える。
「帰ったぞ。……梅乃?」
「あっ! お帰りなさい」
竃の前でぼんやり考え事をしていた梅乃は、兄の声に我に返った。怪訝そうな竹彦に、慌てて笑顔を取り繕う。
竹彦はそのまま梅乃の前へと立った。
「何かあったか?」
ぽすんと頭に手を置かれ、梅乃はぽかんとした。優しく撫でられる感触に、瞬きを繰り返す。
まったく、この兄は昔からこうだ。何かあるとすぐに伝わってしまう。
瞼がじわりと熱くなって、梅乃は竹彦の胸にぽすんともたれ掛かった。
「何でもないの。ただ、自分が少し不甲斐無いなぁって」
お菊は純粋に梅乃の力を伸ばそうとしてくれただけだ。柳井堂の戦力を増やそうと。
それが悔しいと思うのは、あまりにも狭量すぎるだろう。
自分はお菊ほど柳井堂の面々と長くいた訳ではないし、言霊使いとしても目覚めたばかりだ。適わないのは当然だ。
小さな溜息が聞こえた。
「思ったことは口に出さないと伝わらないぞ。お前は昔から口を噤んでしまうきらいがあるからな」
相変わらず竹彦の手は優しい。口調もだ。
甘えてばかりもいられない。
これはただの嫉妬だと、梅乃自身も分かっていた。
*
「そういえば、師匠のとこに出入りする人から聞いた話なんだがな」
竹彦は茶碗を片手に切り出した。梅乃は漬物を口にしながら兄を見る。
「なんでも呉服屋で珍妙なことが起こっているらしい。朝、店に行ったらな、着物が少しずつ移動しているそうだ」
「移動、ですか。物盗りの仕業ではなくて?」
「そうも思ったそうだが、盗られたものはないらしい。しかも妙なことにな、一軒や二軒じゃないそうなんだよ」
そう聞かされては梅乃も首を傾げる。
盗られたものはなくて、ただ動いただけ。犯人の目的が全く見当も付かない。
竹彦は真剣な瞳で梅乃を見やった。
「これってもしかしてあれじゃあないか? 言霊」
兄の言葉に梅乃は目を見開いた。
*
翌日。梅乃は早速、総兵衛に話をしてみた。
「着物が動く、ですか」
徳蔵とお菊は学問所へ帳面を届けに行っていて、店には総兵衛と弥吉と梅乃の三人しかいない。暑さのせいか客はおらず、話すなら今だと梅乃は昨夜の竹彦の話を切り出した。
「私も言霊のしわざかなって思ったんですけど、言霊の意図が見えなくて……」
今まで出会った言霊は、生み出した人の想いが見えた。
大事なもの、譲れないもの。そういった強い想いの片鱗が見えたのだ。
「その場を見てみないことにはなんとも言えませんけど……。柳井さん、どう思います?」
梅乃が顔を上げると、いつになく深刻そうに考え込んでいる総兵衛の姿があった。
「柳井さん?」
「あ……。いいえ、なんでもありません。ではお菊さんたちが帰ってきたら、様子を見にいってもらいましょうか」
その言葉に梅乃は戸惑う。自分は偵察に行かせてもらえないのだろうか。
そりゃあお菊という戦力が戻ってきて、心強い気持ちは分かる。梅乃が行くよりもお菊たちの方が安心だろう。
「柳井さーん。僕たちもいるから大丈夫だよ?」
ずっと黙って話を聞いていた弥吉が声を上げた。
庇われた気がする。梅乃はその言い方に引っ掛かった。
お菊が戻ってくるまで、梅乃は藤蔵たちと三人で言霊退治に行っていたのだ。今日に限って遠ざけようとする総兵衛はなんなのか。
総兵衛が口を開きかけたとき、店に人が駆け込んできた。
「総兵衛くん! 出たよ! 呉服屋だ! お梅ちゃんとあたしで行くから!」
頬を上気させて言うお菊に、総兵衛は渋面を浮かべる。
行かせてもらえることは嬉しい。だが総兵衛のその表情と、お菊と二人だということに梅乃の心に一抹の不安が過ぎった。
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