二 弁天娘女男芝居

序幕

 薄紫に染まる空。迫り来るのは黄昏時。


 本格的に夏の始まった江戸の町並みは、この時間になると帰りを急ぐ人の姿が見られる。昼日中は茹だるような暑さなのだ。早く夕涼みといきたいところなのだろう。


 その中で、静かな通りに人影があった。低い位置で長い髪を結った、端整な顔立ちの青年だ。暗がりの通りで、そこだけが異様だった。

 彼の視線の先には、揺れる影が一つ。


 それを知らぬものは、あやかしと呼ぶだろう。

 その正体は言霊。人の想いが具現化したものたち。

 言霊を封じる者、それを言霊使いという。


 青年は懐から帳面を取り出すと、言霊に向けて掲げる。そして何事かを呟いた。

 するとどうだろう。言霊は帳面へと吸い込まれていった。


 彼はちらりと通りに目をやる。誰にも見られていなかったようだ。

 そうして彼は、帳面で口元を隠し、にいっと口の端を上げた。


「きな臭いねぇ」


 それは、賑わう江戸の町に向けての言葉だった。

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