十三幕目
よく知る男の姿に、お妙は足を止めた。
「
茶屋の客の少ない時間帯。ちょっと喋るくらいいいだろうとお妙は弥吉に声を掛けた。
「ん? あぁ、お妙ちゃんか。邪魔してるよ」
「何かあったんです?」
その問い掛けにも、弥吉は生返事だ。
お妙が弥吉の隣に腰掛けた。弥吉はちらりとそれを見やる。
お妙は笑みを携えて、通りを行く人々を見ている。弥吉が話し出すのを待っているのだろう。
仕方ない、似た者同士なこの娘のことだ。こんな時は話すまで動かないだろう。自分ならそうする。
「いやね、うちの梅乃ちゃんいるだろう?」
話し出した弥吉にお妙は目で頷いた。
「あの子が来てから色々と助かってんだよ。綺麗好きだから店の掃除も率先してやってくれるし、あの子目当ての客も増えたし」
隙あらば梅乃に近付こうとする輩が増えたのは事実だ。だが弥吉としても、看板娘に妙な輩から手を出されても困る。
思い出して少し笑ってしまった。徳蔵が店に立つことが増えたのだ。あんなに眼光鋭く客を睨んでどうする。おかげで変な虫は湧かなくなったが。
「いいことなはずなのにねぇ。何だか胸が妙なんだよ」
梅乃と徳蔵が話しているところを、時折見かける。相変わらずな仏頂面の徳蔵に、愛らしい笑顔の梅乃。何て事のない日常の風景だ。
だがこの胸のもやもやは何なのだろう。
隣で吹き出す声が聞こえた。弥吉は目を瞬かせて、隣を見やった。
「……何笑ってるのさ」
弥吉はまだ笑い続けているお妙にじとっとした視線を向けた。よほどつぼに入ったのか、お妙は肩を震わせ続けている。
「ごめんなさい。だって弥吉さん、そんなの」
お妙は深呼吸して弥吉の方に顔を向ける。
「徳蔵さんを取られたようで、悔しかったんでしょう?」
言われた言葉の意味が、すぐには分からなかった。弥吉はぽかんとお妙の顔を凝視するしかできない。
「い……やいやいや! 僕に男色の気はないよ!?」
「分かってますよぅ。そうじゃなくて、親愛って意味です。兄弟愛みたいな。ずっと
今度こそ弥吉は言葉を失った。
まさか、と思うが言われてみれば思い当たる節がない訳でもない。つまらないと思うのは二人が揃っている時だけだ。
徳蔵を弟のように思ってきた。二つしか違わないが、彼の故郷でのこともある。何かと世話を焼いてきたのは事実だ。
梅乃にしても、歳の離れた妹ができたようであった。それは徳蔵も同じだっただろう。言霊に狙われやすく、どこか目の離せないところのある梅乃は、弥吉にとっても徳蔵にとっても気に掛かる存在だったのだ。
徳蔵はそれが恋情に変わったが、手の掛かる弟だと思っていた存在が急に大人びたのだ。懐いていたわけではないが、兄離れと言っても変わらない。
弥吉は片手で顔を押さえ、俯いた。
弟離れできていなかったのは、自分の方か。
弥吉はくくっと肩を震わせる。
「弥吉さん?」
黙りこんでしまった弥吉を、心配そうな目のお妙が覗き込んだ。弥吉はぱっと顔を上げる。
「このことは内緒ね?」
そう言って弥吉は人差し指立てて口元に当てた。
色男な兄貴分で通っているのだ。かっこ悪いところは見せられない。
にっと笑う弥吉にお妙は面食らったようだ。目をぱちくりさせている。
やがてその顔がくしゃりとした笑みに変わった。この表情に惚れて、茶屋に通う客も多いのだろう。
「仕方ないですねぇ。いくつ秘密をお持ちになるつもりですか?」
「謎の多い男は魅力的だろう?」
「あら、私にはばれてしまっていますけど?」
「ははっ、それもそうだ」
この娘にならば、情けないところを見られてもいいかと思えた。勿論、見せないにこしたことはないが、隠したとしてもすぐにばれてしまいそうだ。隠し事は意味がない。
それに気付いているのだろうか。
弥吉はお妙を見つめるが、お妙は不思議そうに見返してくる。
この分なら気付いていないようだ。弥吉はこの関係性がずっと続きそうだなと思いながら、初夏の迫る高い青空を見上げた。
*
「それで、お梅ちゃんはどっちをお慕いしているの?」
ある日の昼下がり、柳井堂に遊びに来ていた茶屋のお妙が言った。恋文事件以来、お妙と梅乃は仲良くなったのだった。
硯を並べていた梅乃はぽかんとする。
「どっちって……?」
「やだよう、徳蔵さんと弥吉さんのことだよ」
意味を解して梅乃の顔がぼんっと赤くなる。徳蔵は小屋にいるし、弥吉は接客中だ。聞こえてはいないと思うが、梅乃は狼狽した。お妙がからからと笑う。
「大丈夫、大丈夫。聞こえてないって。それで、どっちなんだい?」
梅乃が茶屋に行ったりお妙が柳井堂に来たりで二人は随分と仲良くなっていたが、恋の話をするのは初めてだ。梅乃より二つ年上のお妙。梅乃ほどうぶではないのだろう。
「ふ、二人ともお仕事仲間です……! 私なんかに想われても迷惑でしょう!?」
梅乃はせめて弥吉に聞こえないようにと小さく言い返した。
お妙はきょとんと目を瞬かせる。
「あらやだ、お梅ちゃんは自分の可愛さを分かっちゃいないねぇ」
ふふ、とお妙は笑う。梅乃はどう返事をしたものか、と視線をあちこちに彷徨わせた。
「お梅ちゃんは初恋もまだだったかい?」
姉御ぶって笑うお妙は、どこか楽しそうだ。からかわれる梅乃はたまったものではない。話を切り上げて仕事に戻ろうとした。
「一緒の仕事場だからって安心してちゃあいけないよ。二人とも、もてるから」
そう言って片目を瞑ると、墨を買ってお妙は帰っていった。
知らない訳ではない。顔のいい弥吉がもてるのは周知のことだが、徳蔵もあれで女性に人気がある。愛想はないが、黙々と仕事をする姿がいいと評判だ。
梅乃は盛大にため息を吐いた。
「どうかしたのか」
「うひゃあ!」
突然背後から声を掛けられて、梅乃は飛び上がる。振り返ると、そこにいたのは徳蔵だった。
「いっいつ、いつからそこに……」
話を聞かれてしまっただろうか。梅乃の顔に焦りが浮かぶ。
「いや、今来たところだが。それより顔が赤いが大丈夫か? 熱でもあるんじゃないのか?」
まさか徳蔵たちの話をしていたなんて、とても言えやしない。梅乃はぶんぶんと横に首を振った。
「えっと、あの……。お妙ちゃんと新作のお菓子の話をしていただけです!」
我ながら何と苦しい答え、しかもよりによって菓子とは。
梅乃は言ってしまってから、もうちょっとどうにかならなかったのかと後悔した。食い意地が張っていると思われてしまったかもしれない。
「あぁ、あの茶屋の娘か。確かにあそこの団子はうまいな」
変には思われなかったようだ。梅乃はちらりと徳蔵の顔を見上げる。
徳蔵は見かけによらず、甘いものが好きなようだ。酒のつまみに白桃を用意していたときには驚いたものだ。
「あの……。今度一緒に食べに行ってみませんか?」
「え?」
「お妙ちゃんが来週から新作のお菓子が出るって言ってたから! あ……嫌だったらいいんですけど……」
声が段々尻すぼみになる。勢いで言ってしまったが、徳蔵はあまり誰かと出かけることはない。
自分が誘うのは迷惑だったか、と梅乃が思った時だった。
「分かった」
短く呟かれた言葉に、梅乃は顔を上げる。視線の先の徳蔵は、いつも通りの仏頂面ながらも別段迷惑そうではなかった。
「楽しみにしてる」
無表情のまま告げて、徳蔵は総兵衛のところへと行ってしまった。
「顔と科白が合ってないよ……」
ぽつりと零しながらも、梅乃は頬が緩んでしまうのを止められなかった。
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